2020/09/24  日記  南洲忌 - 菜花亭日乗
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菜花亭日乗

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2020-09-24 (Thu)  21:29

2020/09/24  日記  南洲忌

2020/09/24 () 旧暦:  88日 祝日・節気・雑節・朔望:  上弦 日出:  530分 日没:  1735分 月出:  1256分 月没:  2242分 月齢:  6.67 潮汐:  小潮 干支:  庚午 六曜: 先負


今日のあれこれ: 南洲忌

「西郷さんゆかりの荘内南洲神社 2018年4月17日 山形県酒田市」


https://youtu.be/GdGOedbswsA



『南洲忌: 西郷忌、隆盛忌
2009/03/27

  仲秋

幕末、明治維新の政治家、西郷隆盛の忌日。九月二十四日。
薩摩国に生まれる。薩摩藩士。
戊辰戦争では江戸城の無血開城に尽力した。
新政府において、陸軍大将、参議を務めるが、征韓論が受け入れられず、帰郷した。その後、私学校を設立した。明治十年(一八七七)私学校党に擁せられて西南戦争を起こし、鹿児島の城山で自刃した。四十九歳。』
(季語と歳時記)



南州忌の俳句:


・庄内に生くる遺訓や南洲忌  秋沢猛


今日924日は、西郷隆盛の命日。
明治102月に起きた西南戦争により、西郷隆盛は924日鹿児島の城山で自刃し49年の波乱の生を終えた。

西郷は朝敵の将として扱われることとなったが、「西郷の人柄を愛した明治天皇の意向や黒田清隆らの努力があって明治22年(1889年)211日、大日本帝国憲法発布に伴う大赦で赦され、正三位を追贈された。

明治天皇を始め、幕臣であった勝海舟も同様、西郷と交わりを持った人は、朝敵として亡くなった後も、その遺徳を偲んだ。

庄内藩と西郷隆盛の関係にもよく現れている。
例句に挙げた、今猶庄内に生きている西郷南洲の遺訓は、庄内藩の人たちが、西郷に教えを乞い後に西郷を偲び遺訓としてまとめたもので、朝敵である庄内藩の人も魅了してしまう人格の力があった。
 西郷が賊名を許され、正三位を追贈されると、庄内藩の西郷を慕う人たちは、明治23年1月に遺訓集を作成して、6人の藩士達が全国を行脚して、西郷の遺徳を広く伝え様とした。

現在、西郷南洲翁の言葉を直接聞くことができるのは、庄内藩の人たちのおかげである。


今日、久し振りに、遺訓を取り出して読んだ。
すると、心が晴れる思いがした。

遺訓第4には以下のように書かれている。
万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して、人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して、面目無きぞとて、頻りに涙を催されける。

今の為政者たちの振りまく不信感、公私混同、虚言、無責任、言行不一致など一般国民から見ても軽蔑に値する状況だ。
将来の日本を考えると、暗い思いにならざるを得ないが、南洲翁の言葉を聞いていると今の日本が仮の姿で南洲翁の説く日本が本当の日本と考えることができる。

秋の好日、南洲翁遺訓を読むことは、心に爽やかな風を呼び込み、青く高く晴れ渡らせることになる。


【データ】

西郷隆盛 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E9%9A%86%E7%9B%9B


西南戦争 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89


西郷南洲翁遺訓は、書籍は文庫本もあり手に入れることは可能だ
ネット上にも公開されており、原文と対訳が掲載され易しく読むことができる。

西郷南洲翁遺訓集
https://www.keiten-aijin.com/ikun


西郷どんと山形県

https://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020026/mailmag/special/dokuzi/201712.html




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最終更新日 : 2020-09-24

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