2020/02/01  日記 如月 - 菜花亭日乗
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菜花亭日乗

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2020-02-01 (Sat)  18:15

2020/02/01  日記 如月

2020/02/01 () 旧暦:  18日 祝日・節気・雑節・朔望:   日出:  641分 日没:  1707分 月出:  1039分 月没:  2347分 月齢:  7.22 潮汐:  小潮 干支:  甲戌 六曜: 友引


今日のあれこれ: 如月 きさらぎ


「面影橋【都電荒川線】」


https://youtu.be/SjyjV_UiQ-M



『如月: 衣更着、梅見月、初花月、雪解月、小草生月、梅つ五月

  仲春

陰暦二月の異称。
暦の上では春であるが、なお残る寒さのために、更に衣を重ね着るという意が語源とされる。』
(季語と歳時記)



きさらぎの俳句:


・きさらぎとふ語感よろしき朝かな   渡辺鶴来


・きさらぎと呼べばきらきらして来たる   飛高隆夫


・きさらぎの「面影橋」に用のあり   高千夏子




今日から2月。
伝統的な表現では如月。

同じ「きさらぎ」でも「如月」と「きさらぎ」では、語感からすると印象が違う。
 やはり感じのほうが硬い感じがする。そのため、季語として「きさらぎ」を使う人も多いようだ。

「きさらぎ」の例句を読んでみると、矢張り語感が良いと詠む人や気持ちが「きらきら」すると詠む人もいた。同じ感じ方をする人が「きさらぎ」を使っている。


例句を読んでいて、高千の句が気になった。
「きさらぎ」と「面影橋」の取り合わせ。
語感も良いし、ロマンチックな感じもする。
しかし、句の意味はもうひとつ解らない


問題は、「面影橋」だ。
面影という言葉には心を掻き立てるものが在る。
「面影橋」に含意があるのだろう。

そこで調べてみた。

「面影橋」を検索してみると、3箇所の「面影橋」がヒットした。

一つは、東京の面影橋。
この橋には伝説が在る。


『亮朝院の北側、神田川にかかる橋を面影橋という。
付近一帯は、古くからいくつかの伝説を残しています。
◎山吹の里伝説
文明年間(146986)、太田道灌がこの付近に鷹狩りに来た時、急雨に降られて近くの農家で蓑を借りようとしました。家の中から出てきた娘は、庭に咲く山吹の花を手折って道灌に捧げました。道灌はその意味が理解できずに帰り、近臣に事の次第を話したところ、そのうちの一人が、中務卿兼明親王の「七重八重花は咲けども山吹の実の()ひとつだになきぞ悲しき」の歌を借りて、家に蓑がないから貸すことができないとの意を表したのだろうと話しました。自分に歌心のないことを恥じた道灌は、その後、和歌の道に励んだという。この娘は紅皿といい、その墓と称される碑が区内新宿6丁目の大聖院にあります。

面影橋伝説
戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説です。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いました。
 里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたといわれています。』
(一般社団法人新宿観光振興協会
http://www.kanko-shinjuku.jp/spot/-/article_325.html
より転載)

太田道灌の話は有名だが、於戸姫の話は知らなかった。


ふたつ目は、秋田市を流れる草生津川に架かる橋。
この橋にも話がある。

『江戸時代、この近くに久保田藩の草生津刑場があり、罪人は橋のたもとにある茶屋で最後の食事を取り、処刑されたと言い伝えられている。この時、罪人が川に映る自分の面影を今生の見納めとしたことから、「面影橋」という名前がつけられたとされる。

ほかに徳川家光のキリシタン禁止令により、集団処刑をしたという言い伝えも残っている。

この橋に纏わる言い伝えをもととして俳優の佐竹明夫が作った脚本に「面影橋の地蔵」がある。[2]
wikipedia

この橋には刑場の露と消えた罪人たちの思いが残っている。
 悲しい橋だ。


三つ目は、鳥取市の面影橋。
この橋には面影は残ってい無さそうだ。
面影と言う言葉は、近くの「面影神社」に由来すると思われる。
 面影神社についても、名前の詳しい情報は得られなかったが、鳥取には因幡三山があり、面影山はその一つである。
面影神社は面影山の麓に位置するので、山に由緒を持つと考えてよいだろう。

この「面影山」と言う名前の由来は、こうだそうだ。


『この神社は標高100mの面影山南西麓に鎮座しています。面影山は今木山・甑山(こしきやま)と共に因幡三山の一つで、その美しい姿が天の香久山に似ているとして、万葉歌人や国司達は都に残した妻子などを偲んで面影山と名づけたそうです。その中でも大伴坂上郎女「わが兄子が 面影山のさかゐまに 我のみ恋ひて見ぬはねたしも」の歌は有名です。
神社は正蓮寺脇の小径の突き当たりが入口で、明神鳥居を潜ると坂道の参道となり、大きな社務所兼参集殿前に境内入口があります。境内には未だ木の香がにおうような真新しい社殿が建立されていました。』
(神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識
http://www.komainu.org/tottori/tottorisi/omokage/omokage.html
より転載)

面影橋ではなく面影山には話が言い伝えられていた。



さて、この3つの「面影橋」の内、どの面影橋に高千は行ったのだろう。

それは判らないが、恐らく神田川の「面影橋」だろう。

だとして、高千は「用のあり」と多くを語らないが、何の用?

まさか、於戸姫に倣うためでは無いでしょうな。





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最終更新日 : 2020-02-01

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