驢鞍橋は石平道人鈴木正三の言行録である。従って、厳密には鈴木正三の著作ではなく、晩年の弟子慧中が筆録したものである。
正三の著作ではないが、その中では正三道人の真面目が躍動しているので正三の登場するドギュメンタリーとして理解できる。
正三の著作を読む上で、驢鞍橋を読んで初めて理解できることも多いはずである。
驢鞍橋は慧中が正三道人の最晩年の七年間の言行を筆録したもので、正三の死後5年の萬治3年(1660年)刊行されたものである。
驢鞍橋の中にいる正三道人は生身の身体を持って迫ってくるような躍動感がある。その言葉は、400年前の徳川初期の人とは思えないような普遍性を持った言葉である。
それは、愚かしい人間の心をじっと見つめて、愚かしさから抜ける方法を実践的に追求したことから来る説得力であろう。
現代では心の問題を扱う場合に、心理学的な分析とは別に気分の問題を避けて通ることは出来ないし、我々の実生活においても明確な信念とか主義と言うよりももっと曖昧な感情的な心の状態の方が問題になることが多い。
我々は、ある気分を抜け出す方法を知らないのであるが、正三は既に知っていたようである。
彼は、「浮ぶ心」「沈む心」という言葉を使って、気分に打ち勝つ方法を述べている。
このカテゴリー「驢鞍橋」では、原文、要約、寸言・贅言に分けて一段落ごとに掲載するつもりであるが、筆者は専門家でもなく、禅の実践者でもないので、本来斯うしたことが可能な能力を持ち合わせていないのだが、他に誰も行っていないので、一つの道しるべとして作成したいと思っている。
特に、中巻は公案の話とか、禅学の話になるので手も足も出ない事を恐れている。
先学の方、専門家の教示をお願いする次第である。
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最終更新日 : 2019-03-15