2008/05/30 驢鞍橋 上巻-5 - 菜花亭日乗
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2008-05-30 (Fri)  22:46

2008/05/30 驢鞍橋 上巻-5



【原文】
一日右の僧に示曰、我も悟り等と云事を知らず。其方達も左様の事を求ずとも、人間に生を得、出家と成たる功徳に、なにとぞして餓鬼道を免るべし。殊に今時の出家は餓鬼心探き也。先小僧より智者の名を貪り、人に勝ん事を思ふ智欲餓鬼有。其後江湖頭餓鬼、転衣餓鬼、寺餓鬼、法幢餓鬼、隠居餓鬼、此の念を本として、所有餓鬼心を造り出し、片時も安き事なく、一生空く餓鬼の苦に責られ、未来永却此念に引れて、三悪道に堕すべき類ひ計也。必ず用心して餓鬼道を免れめされよ。亦人に娑婆を授らるヽ事莫れ、或は汝を長老に作んと云、亦は能ァ_参僧也、学文を休するは惜き事等と云ひ、兎角其方身上を持せん等と云は、皆娑婆を授くる人也。今時娑婆を奪人、一人も無、皆名利を授る人計り也。能々用心して、娑婆を授けらる、事莫れと也。




【要約】
 ある日、先程の曹洞宗の僧に教えて言われた。「自分も悟りなどと言うことは知らない。貴方たちもそのようなことは求めなくても、人間として生まれ、仏の導きで出家となったからには、何とかして餓鬼道から逃れるべきである。殊に今の出家は、餓鬼心が深い。まず小僧の時より頭がよいと言われ、他の人より優れ様とする知識欲餓鬼があり、その後修行道場で一番になりたいと思い、出世して色袈裟を着ることに心を奪われ、寺の住職になることを願い、次には法幢師になろうと思い、最後は隠居して安逸に暮らしたいと思う、このような欲念から所有餓鬼心をつくり出し、一時も心が安まらず、一生涯空しく餓鬼の欲念に振り回される苦労に追い立てられ、未来永劫にこれらの欲念に引きずられて、地獄道・畜生道・餓鬼道の三悪道に落ち込む連中ばかりである。必ず用心を重ね餓鬼道から逃げ切りなさい。また、人から娑婆を与えられない様にしなさい。又は、お前を長老にしてあげようと言い、又は良い修行僧である、学問を止めるのは惜しい事だ等と言い、兎に角お前の生活の面倒を見てあげよう等と言うのは、皆、娑婆を与えようとする人である。今の時代は娑婆を奪う人は一人もいない、皆、名誉・利得を与える人ばかりである。よくよく、用心をして、娑婆を与えられない様にしなさい。」と。




【寸言・贅言】
江湖会: 中国で「江湖」とは、「三江五湖」の略で、転じて天下全体や世間そのものを意味するようになった。禅宗では、唐代に於いて最盛期を迎えるが、その頃には「江西は大寂、湖南は石頭」といわれて、馬祖道一(大寂)と石頭希遷の二師の下に多くの修行僧が参学したため、この江西省と湖南省が禅僧の修行の場として中心的位置を占めた。その意味が転じて、天下にある禅僧が集まって、安居し修行することを江湖会と呼ぶようになった。現在では法戦式を含めた、結制修行の意味である。(つらつら日暮らしWiki)



転衣: 更衣ともいい、或いは古来から瑞世と同意とされる。日本曹洞宗に於ける、僧侶の三大出世(立身・転衣・結制)の一。伝法した者は、両大本山に瑞世して、従来の黒色の袈裟を改めて、色袈裟に転ずることから、転衣という。転衣・瑞世を終えると、和尚の法階となる。徳川時代には、転衣は朝廷の綸旨を受けることになっていた。(つらつら日暮らしWiki)



法幢: 法幢とは「猛将が幢旗を建てて敵を伏せしめるように、仏・菩薩が説法の標幟として建てる幢旗をいう。」(仏教語大辞典)
本師とは①現在の日本曹洞宗が定める三師(受業師・法幢師・本師)の一つ。伝法した師を意味する、嗣法師。これら三師の他に、最近では便宜的に「参学師」と呼ばれ、修行道場などで指導を受けた師や、就いて大学などで教学的な指導を受けた師を総称することが多いが、これは「依止師」と呼ばれるものもある。ただ、道元禅師は『正法眼蔵』「陀羅尼」巻で、本師に依止するように説くため、その場合は本師も依止師になる。
②受業師を指すこともある。
③宗祖や教祖を意味する。
【内容】①現在の曹洞宗では、得度⇒立職⇒伝法と修行の階梯が進むが、これは同時に師を易えることをも意味していた。そこで、それぞれに名前を付して、修行者が得度するときの師を受業師、立職(法戦式)するときの師を法幢師、そして伝法するときの師を本師であるとした。



三悪(さんあく): 仏教用語で悪行を犯した人間が死後に堕ちる世界である三悪趣(「三悪道」とも、地獄道・畜生道・餓鬼道)の事。



遍参: ①遍く諸方の知識に参じること。雲水の如く行脚して、尋師訪道することである。ァ_参とも書く。
②道元禅師の『正法眼蔵』の巻名の一。95巻本では62巻、75巻本では57巻。なお、60巻本にもやや内容が異なる巻が37巻として収録されている。寛元元年(1243)11月27日に越前国の禅師峰下茅庵にて修行僧に示された。(つらつら日暮らしWiki)



六道(りくどう、ろくどう)は、仏教用語で、6種類の世界のことである。それぞれ以下のとおり。
地獄道(じごくどう)
餓鬼道(がきどう)
畜生道(ちくしょうどう)
修羅道(しゅらどう)
人間道(にんげんどう)
天道(てんどう、天上道、天界道とも)



餓鬼道は、『俗に、生前に贅沢をした者が餓鬼道に落ちるとされている。ただし仏教の立場から正確にいえば、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした人が死んで生まれ変わる世界とされる。しかし大乗仏教では、後々に死後に生まれ変わるだけではなく、今生においてそのような行状をする人の精神境涯をも指して言われるようになった。



餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされる事がないとされる。極端な飢餓状態の人間と同じように、痩せ細って腹部のみが丸く膨れ上がった姿で描かれる事が多い。また、餓鬼と言う妖怪もおり、人にとりついて空腹状態にしてしまうと言う。』



正三は、悟りなどは求めなくとも良いという。餓鬼道からは免れて、自由になれと言う。
 正三は頭の中の知識、観念的な悟りには重きを置かなかった。実際の世界で、日常生活の中での実践こそが問題であった。儒教的な表現をすれば、知行合一でなければ「用に立たない」と言い切っている。
 正三にとっては、自由に使い得てこその仏法である。


今の世の中でも全く変わることがない状態である。役所・大企業のような大きな組織では、餓鬼道が猛威を振るっている。
 小学校・塾・進学校・一流大学・一流企業と経てきた彼らは競争こそが行動原理になっている。同期一選抜から始まり、管理職、役員、社長と出世欲は止むことがない。
 そして、地位が高いことと人間が偉いことを同一視してしまっている。


 

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最終更新日 : 2019-03-15

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