2008/07/17 驢鞍橋 上巻-15 - 菜花亭日乗
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2008-07-17 (Thu)  22:57

2008/07/17 驢鞍橋 上巻-15

 


【原文】
夜話曰、修行と云物、中中上り難き物也。我今十二時中、坐禅ならざる事無。喩ゑば大勢に交り、上下へかゑし、相撲を取、躍りををどり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少もたじろぐべからず。また好若ひ時より心づきて自己を守りしが、其時分より、はや念には勝て、ばかされざる也。夫より次第よく修しつめ、何たる事にもたじろかぬほどに仕付たれども、まだ夫でも生死の為には不成、中々大儀な物也。




【要約】
 夜の訓話で言われた。「修行というものは、なかなか上の段階に進めないものである。自分は今、二十四時間常に、坐禅状態でないことはない。例えば、大勢の人に中にいて、上を下への大騒ぎでも、相撲を取ったり、踊りを踊ったり、どのように跳ね狂っても、坐禅の機は少しも動揺する事はない。また、若い頃から、心掛けて自分を守ることに努力してきたので、その頃から早くも妄念には勝って、化かされないようになった。それから、段々と修行を進め、どんなことにも驚かないように修行してきたけれども、そうではあっても、生死の一大事にはまだ充分とは言えない。なかなか大変な物である。 」と。




【註】
夜話(やわ): (大辞泉)
 1 夜間にする談話。よばなし。また、それを書き記した本。
 2 気軽に聞ける話。また、そのような内容の本。「歴史―」
 3 禅宗で、夜に修行上の訓話をすること。




【寸言・贅言】
「(修行は)成らぬ物」というのが、正三の到達点であった。



登山は、山があり登るものであるが、有限の山はいずれ頂上に立つことが出来る。しかしながら、修行の山は頂上があるかどうか判らない、頂上かと思ったら峠でしか無く、また下りまた登るのである。一山越えればまた一山である。



正三の「成る」は頂上に立つことである。現世におりながら、妄想から脱するだけで無く、身体からも脱して了うことである。手品ではない以上、抓れば痛い身体から自由になることは「成らぬ」事なのである。
正三は、成らぬ物と言いながら頂上に立つことは考えていない。その視線は現世に向いている。妄念から自由になり、心身を修行し尽くすことが成仏であることを見据えている。



人生 簡単であれば面白くない。
陽水が歌うように明日がわかればツマンナイのである。




 

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最終更新日 : 2019-03-15

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