2010/2/7 (日) 旧暦: 12月24日 日出: 6時36分 日没: 17時14分 月出: 1時18分 月没: 11時07分 月齢: 22.83 戊子 (ぼし,つちのえね) 六曜: 大安 九星: 七赤金星 選日:
今日の季語: 追儺(ついな)
昔は大晦日に行われた宮中行事で、鬼を桃弓、葦矢などで追い払い疫病よけとしたもの。やがて節分に行うようになり、現在の節分の豆撒きになっていった。
(多聞寺追儺式・鬼踊り 兵庫と神戸の写真ブログ-2009 より転載)
『追儺(ついな)とは、大晦日(12月30日 (旧暦))の宮中の年中行事であり、平安時代の初期頃から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺などとも表記)、「儺(な)やらい」とも呼ばれる。追儺はもとは中国の行事であり、宮廷の年中行事となり、現在の節分の元となった行事である。
儀式の概要
方相氏(平安神宮)方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人(大舎人(おおとねり))と、方相氏の脇に仕える?子(しんし)と呼ばれる役人(特に役職は決まっていない)が二十人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。
方相氏は袍(ほう)を着、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。方相氏が大内裏を回るとき、公卿は清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対して援護としての弓をひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふって厄を払った。
ところが九世紀中頃に入ると、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになる。古代史家の三宅和朗はこの変化について、平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないかとしている。』(Wikipedia)
追儺の俳句:
・鬼となる身はあぢきなき舎人かな 松瀬青々
・面とりて追儺の鬼も豆を撒く 大橋宵火
・行僧の荒び声なる追儺経 能村登四郎
・山国の闇おそろしき追儺かな 原 石鼎
・匂ふほどの雪となりたる追儺かな 小林康治
3日の節分の豆撒き、恵方巻の行事は終わったが、一年の災いを払うための追儺式は旧暦大晦日だからまだだ。
今の日本人は、筆者も含めて、行事の起源についての理解が足りない。
宮中、仏教に起源を持つ行事は多い。言い換えれば日本文化に深く、人知れず浸透している。
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最終更新日 : 2019-03-15