2019/01/28  日記  避寒 - 菜花亭日乗
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菜花亭日乗

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2019-01-28 (Mon)  19:45

2019/01/28  日記  避寒

2019/01/28 (月) 旧暦: 1223 祝日・節気: 下弦 日出: 644 日没: 1703 月出: #NAME? 月没: 1120 月齢: 22.06 干支: 乙丑 六曜: 仏滅 九星: 八白土星


今日のあれこれ: 避寒

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(若胡子屋跡
arch-hiroshima
http://arch-hiroshima.info/arch/hiroshima/wakaebisu.html
より転載)



『避寒: 避寒宿、避寒旅行、避寒地

晩冬

冬の寒さを避けるために温暖な地や温泉などへ出向いて一時期を過ごすこと。夏場の避暑のようには混雑しない。
老人や病人向けといえるであろう。』
(季語と歳時記)



避寒の俳句:


・あをうみの暁はやき避寒かな 日野草城


・オリーブの島を恋ひ来し避寒かな 鎌田沙華


・風待ちの港の見ゆる避寒宿 吉田槻水



今日は、太陽の光のない寒々しい日だった。
暑い、寒いというのは気温が一定であれば、慣れもあり耐えられるが、気温が日替わりで上がったり下がったりすると身体がついて行かない。

インフルエンザが急激に流行しているのは、気温の上がり下がりが大きくて身体が慣れないからだろうと思う。
聞いた話では、雪が降り続いている日本海側では、雪が積もっては居ないそうだ。
降っても、次に気温が上がり溶けてしまって根雪にならないそうだ。

こんな気候の冬には、環境が許せば暖かい地方や温泉地に避寒をしたいものだ。
仕事に追われる身では、そんな贅沢は許されないのだが。


日野草城は元々会社員で長く温泉宿で避寒できるような身分ではなかったが、土曜日一泊の避寒だったかもしれないし、病気のため退職し、その6年後亡くなっているので、その間療養の間の避寒だったかもしれない。

吉田の句は、どうしても「風待ちの港」が気になる。

明治の御代になり蒸気船が普及するまでは、帆船だった。
江戸時代、東海道などに陸路と並行して海路も開発された。
江戸に物資を運ぶには大阪から紀伊半島を経て海を行く定期航路が出来、港の開発が盛んに行われた。

帆船の場合、良い風が吹くまで海には出ず、港で待つ必要があった。
三重の鳥羽湾、的矢湾、英虞湾は風を待つのに適していたため、港が整備され、発達した。
そうした港には、藩公認の遊び場所が用意された。
風待ちのため逗留する船乗りを相手とした、遊女を抱える遊郭街が栄えた。
全国にある風待の港には、どこにでも同じ様な状況が在った。

瀬戸内の御手洗港もそうした風待の港で、広島藩公認のお遊郭が立ち並んでいたそうで、その中で最も繁盛した店が若胡子屋(わかえびすや)で遊女が百人も居たらしい。

御手洗には、当時の面影を残す建物や史跡が残されているそうだ。
遊女の集まる場所には、様々な悲しい話が残るのは当然で、若胡子屋にも「日本残酷物語」で広く知られるようになった「おはぐろ伝説」が伝えられている。
江戸時代にはどこにでも在った風待ちの港にはこうした悲話や伝説が必ず在ったと言えるだろう。

吉田が避寒した港はどこかわからないが、「風待ちの港」の背景を知れば、句の理解も深くなる。




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最終更新日 : 2019-03-15

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