2019/02/11 日記  高田馬場の決闘 - 菜花亭日乗
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菜花亭日乗

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2019-02-11 (Mon)  19:25

2019/02/11 日記  高田馬場の決闘

2019/02/11 (月) 旧暦: 17 祝日・節気: 建国記念の日 日出: 632 日没: 1718 月出: 958 月没: 2303 月齢: 6.25 干支: 己卯 六曜: 先勝 九星: 四緑木星


今日のあれこれ: 高田馬場の決闘

今日は、季語はお休みにして、歴史上の出来事。
高田馬場の決闘は、元禄7211日(西暦169436日)に起きた。
江戸郊外戸塚村の高田馬場(現 新宿区西早稲田)において行われた、西条藩の家臣、菅野六郎左衛門と村上庄左衛門の決闘である。
菅野の助っ人として中山安兵衛(後に、堀部武庸)が活躍し名を挙げた。

安兵衛は、この件を機縁として赤穂藩の堀部家に婿入することになり、次の大事件に繋がっていく。

この決闘の7年後、元禄14314日(西暦1701421日)、浅野内匠頭長矩は、江戸城松之大廊下で、吉良上野介義央に斬りかかった。
松の廊下での刃傷事件により浅野は切腹、藩は取り潰しとなった。
藩士の一部は、主君の仇を討つのが武士の面目と考えた。
江戸詰めだった堀部武庸は、仇討ち派の先頭に立って行動し、元禄151214日、吉良邸に討ち入り、主君の仇を討った。


時は元禄、戦乱の世が終わり町民が平和を満喫していた時に発生した、主君の仇を討ち切腹して果てた義士たちの話は、話題になり。
話に尾ひれが付き、事実でないことも事実となった。

高田馬場の決闘の際、前夜酔いつぶれた安兵衛が、後から馬場に駆けつけたというのも事実ではない。

堀部武庸は、討ち入りに関する重要書類をまとめて編集してあった『堀部武庸日記』を書き残し、儒学者・細井広沢に編纂を委ねている程の人物であり、ただ剣術の上手いだけの武士ではなかった。


高田馬場に関する俳句は無いが、討ち入りの方については義士大高源吾が居り、俳諧の世界とも絡みが出てくる。

討ち入りの後、切腹に望んだ辞世として

・山をさく刀もおれて松の雪

・梅で呑む茶屋もあるべし死出の山

を詠んでいる。




【データ】

高田馬場の決闘 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%B1%BA%E9%97%98


堀部武庸 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E9%83%A8%E6%AD%A6%E5%BA%B8


大高源吾
Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%AB%98%E5%BF%A0%E9%9B%84




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最終更新日 : 2019-03-15

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