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  • 2019年02月 の記事一覧

2019年02月28日(木) 記事No.16

2019/02/28 (木) 旧暦: 124日 祝日・節気:  日出: 613分 日没: 1734分 月出: 145分 月没: 1156分月齢: 23.25 干支: 丙申 六曜: 赤口 九星: 三碧木星


今日のあれこれ: 蕗の薹


「【山菜】道志村周辺で蕗の薹採取」


https://youtu.be/VbbOXqB24pY



『蕗の薹: 蕗の芽、蕗の花、蕗のしゆうとめ

初春

蕗は菊科の多年草で山野に自生する。早春、新葉が出る前に根茎から卵の形をした緑色の花茎を出す。花茎は数枚の大きな鱗のような葉で包まれ、特有の香気とほろ苦い風味が喜ばれる。花がほうけたものを蕗の姑という。』
(季語と歳時記)



蕗の薹の俳句:


・万葉の野に子等と摘む蕗の薹  名取袿子


・陽光のしるき水辺や蕗の薹  穴澤光江


・里の土つけ持ち帰る蕗の薹  久保田雪枝


動画の蕗の薹のある場所、道志村何処にあるか知らなかった。
山梨県の南東にあり、自然が豊かな場所であり、キャンプ場が数多くあり、全国的に見ても有数のキャンプ場が整備されているそうだ。
蕗の薹は勿論、色々な山菜が採れるところに違いない。

一雨毎に春が近づいてくるので、降った後晴れれば、蕗の薹も一斉に顔をだすのだろう。

明日は関東は雨だが、週末は山菜採りが楽しめるはずだ。




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2019年02月27日(水) 記事No.17


糸満のまさひろ酒造の本社入り口近くに大きな甕が置いてある。
百年古酒と銘打たれている。
眼の前にあるが、過去も未来もわからないものだった。

琉球新報の記事によれば、百年古酒の提唱者土屋實幸氏の遺志を継ぎ、仕次ぎが再開されたそうだ。
仕次ぎをした人もこの記事を読む人も、おそらくこの百年後の古酒を味わうことが出来ないだろうが、雄大な計画だ。

琉球王朝の時代には百年を超える古酒が存在し、王様の接待用の泡盛として使われたそうだが、今では存在しない。
存在しても飲むに値する状態の古酒はないだろう。

仕次ぎの理想を言えば、甕を100個用意して、毎年2割ほど取り出して、順送りに仕次ぎすれば完全なのだから、県や国が予算手当して大規模に計画したらどうかと思うが。


『百年古酒へ仕次ぎ再開 提唱者・土屋さん遺志継ぎ 「泡盛文化を継承」
2019
215 05:30

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22
年目を迎えた泡盛の原酒に、新酒を入れて仕次ぎをする参加者=11日、糸満市のまさひろ酒造

【糸満】県泡盛同好会副会長などを務めた故・土屋實幸さん(享年73)を中心に1997年から始まった「泡盛百年古酒造り」の仕次ぎが11日、糸満市西崎のまさひろ酒造であった。仕次ぎは土屋さんを中心に続けていたが、2015年3月に亡くなった後、中断していた。同日は泡盛百年古酒造りの賛同者らが集まり、「泡盛文化と土屋さんの思いをつなぎ、百年古酒を完成させよう」と、22年の原酒に新酒を注ぎ、4年ぶりに仕次ぎを再開させた。

土屋さんは、那覇市安里の栄町にある泡盛と琉球料理の店「うりずん」のオーナーで、県泡盛同好会副会長も務めていた。戦前まで存在した泡盛百年古酒を「今からでも造ってみよう」と賛同者を募り、97年に三石甕(がめ)5本分を造った。
土屋さんが亡くなった後、「土屋さんの思いと古酒造りを、ここで途絶えさせてはいけない」と仕次ぎの再開を計画したのは、泡盛百年古酒元年管理運営理事会の知念博理事長らだ。
「土屋さんから生前、『みんなから預かった財産を、どうにか百年守ってほしい』と、遺言のように言われていた」という知念理事長。「古酒造りは人と人をつなげる。彼の思いと一緒に、泡盛文化も継承したい」と話し、仕次ぎの前には22年育った古酒を参加者に振る舞った。
賛同者の一人である県泡盛同好会の上間信久会長は「22年で、まろやかでこくのある味に育っている。百年古酒造りには人のつながりが必要だ。これが完成すれば海外からも人が集まり、国の垣根を越えたつながりが生まれる」と話し、笑顔で成長途中の古酒を味わった。』
(琉球新報)



故土屋實幸氏は、那覇市の沖縄の泡盛・料理の名店「うりずん」の経営者だった。
2015年に73歳で亡くなられたが、その時の追悼文に百年古酒の話が書かれている。

『うりずんのお話』

http://urizun.okinawa/pg133.html




(4)泡盛・酒一般 |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2019年02月27日(水) 記事No.18

2019/02/27 (水) 旧暦: 123日 祝日・節気:  日出: 614分 日没: 1733分 月出: 047分 月没: 1112分月齢: 22.25 干支: 乙未 六曜: 大安 九星: 二黒土星


今日のあれこれ: 観梅


「縮景園・梅見茶会2019」


https://youtu.be/XX17zm8uSPI



『梅見: 観梅、梅見茶屋

初春

梅は奈良時代に日本へもたらされたとされる。
早春、百花に先立って咲く梅は、香りも高く気品がある。
見頃には、各所の梅林がにぎわう。』
(季語と歳時記)



観梅の俳句:


・観梅の富士快晴となりにけり  門伝史会


・観梅の床几とほくに濤の音  環順子


・観梅や人多けれど閑かなり  須賀敏子


庭の梅が白い花を咲かせ始めた。
北風の当たる寒い場所に植えられているので、いつも開花は遅い。
ぼんやりとした記憶では、この辺りでは桜の開花とそんなに離れていないような気がするが、今年は冬が温かかったのだろうか。
今年は桜の開花も意外に早いかもしれない。

何れにせよ、花がさくことは嬉しいことだ。

桜の前に梅も見ておきたい。



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2019年02月26日(火) 記事No.19


尾畠氏が、徒歩で大分まで帰る79歳の挑戦を断念していた。

そろそろ愛知県に入る頃かと思っていたが、24日に娘夫婦の車で、大分に帰ったそうだ。

理由は、交通事故に因る死亡などの事故を回避するためだそうだ。
TVで放映していることもあって、道中行く先々で、多くの人が待っていて、握手・サイン・会話攻めに会う、律儀な尾畑氏は丁寧に歓迎する人たちに応える。
道路は、車の停車が多くなり、交通渋滞を引き起こす可能性がある。
このまま続行すれば、危険なので、それを回避するために、心ならずも断念したそうだ。


『“スーパーボランティア”尾畠さん涙の断念…東京から大分まで歩く旅「人の命にはかえられない」
2/26(
) 19:03配信 東海テレビ

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FNN
の取材に応じる尾畠さん

“スーパーボランティア”として知られる尾畠春夫さんが東京から大分まで歩く旅に挑戦していたことはご存知の方も多いと思います。

静岡から愛知にまもなく入るということで取材をしたところ、意外な場所にその姿がありました。

一人でリヤカーを引き、歩き続けるスーパーボランティア尾畠春夫さん、79歳。

1月19日、東京を出発した後、大分の自宅までのおよそ1100キロをテントで寝泊まりしながら旅を続けてきました。

尾畠さんは、歩いているとのウワサを聞きつけ集まった住民たちが求めるサインや写真にも…。

尾畠さん:
「はい、お待たせしました」

住民:
「ありがとうございます」

尾畠さん:
「お次の方どうぞ」

時間をかけながら、“尾畠スマイル”で丁寧に対応します。中には、尾畠さんと会えて涙を流す男性も…。

感涙した男性:
「やっぱ感動しました。抱きしめてもらった時の力強さはちょっと(経験したこと)ないですね。それに感動しました」

リヤカーは、住民達から貰った差し入れが山積みに…。

尾畠さん:
「楽しみはみなさんとの出会い。一期一会ですかね。みなさんとたくさんお話をさせていただきたい」

そんな中、まもなく尾畠さんが愛知県にやってくるとの情報が。そこで…。

(記者リポート)
「愛知県豊橋市です。スーパーボランティア尾畠さんがまもなく静岡を横断してこちらの方にやってくるということです」

東海テレビの取材班が向かったのは、静岡と愛知の県境。

(記者リポート)
「静岡との県境に着きました。小さな川をはさんで東側が静岡、西側が愛知ということでこのあたりで尾畠さんを迎え入れたいと思います」

御年79歳…。尾畠さんの足取りを止めないよう、あくまでじっと待つことに。

(記者リポート)
「けっこう車通りはあるんですが、歩く人の姿はまったく見られませんね…」

リアルタイムな情報をつかむため、ツイッターでも検索してみますが、有力な手掛かりは得られません…。実は尾畠さんの姿が、24日から確認できなくなっていたんです。

そんな中、大分・日出町で25日、FNNの取材班が尾畠さんに接触することができました。尾畠さんは、すでに大分の自宅に帰っていたんです。

尾畠さん:
「帰ってきたばっかりでな。ちょっと寝てから休憩すりゃいいのにと思うかもしれんけど、次のボランティアで使うものを準備したり目についたことをすぐせんと気が済まん」

次のボランティアに向け、準備を整えていました。

尾畠さん:
「体力的な疲れはないけどね。精神的な疲れはなかなか抜けないね」

“精神的な疲れ”…一体何があったのでしょうか。

Q.
いつ大分に戻ったんですか?

尾畠さん:「24日の午後。日曜日に歩いたら地元の方やらが通行人が集まってるのを見て、車を左側にずっと止めて、ハザードをつけて交通渋滞になって。いつ事故が起きてもおかしくないなと思って、今回はここで一応旅を打ち切って身を引いた方がいいなと思って。だから誰にも知らせずにスッと身を引いたんです」

静岡県内を歩き続けた尾畠さんを一目見ようと住民たちが次第に殺到し、警察も出動する騒ぎに…。見物に来た人たちが事故に巻き込まれてはいけないという思いから、志半ばで旅を断念したのでした。

娘夫婦の車に乗せてもらい大分まで戻ったという尾畠さん、家の中にはリヤカーに積んでいたたくさんの差し入れが…。

尾畠さん:
「皆さんからたくさん支援物資やお声をいっぱいいただいて、身に余ることをいっぱいしてもらって、感謝の気持ちでいっぱいですけど。人の命にはかえられんから、人の道、仁義として(人命を)守るべきやなって。皆さんからもらった…励ましの言葉をもらったのに…途中でもうやめて逃げ帰ったみたいな状態だったけど。途中でやめてしまって本当に申し訳ないなって気持ちでいっぱいだけどね。私は受けた恩は絶対忘れないから必ずなんかの形で、恩返しはさせてもらいたいなと思ってます」

(東海テレビ)


TV
の放映下で、大分まで歩き続けることは困難だと思う。
何十人何百人の人が待ち構えていたら、その応接時間だけで終わってしまい、1歩も進めないことになる。
事故を回避するために、断念されたことは、小畑さんらしい決断だと思う。
また、別の形で全国の困っている人や悩んでいる人を元気づけていただく様希望する。



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2019年02月26日(火) 記事No.20

2019/02/26 (火) 旧暦: 122日 祝日・節気: 下弦 日出: 615分日没: 1732分 月出: ---- 月没: 1031分月齢: 21.25 干支: 甲午 六曜: 仏滅 九星: 一白水星


今日のあれこれ: 野焼


2019年「秋吉台の山焼き」日本最大規模 217日」


https://youtu.be/dDGIHg1nPi4



『野焼く(のやく) 初春

子季語: 野焼、堤焼く、野火、草焼く
関連季語:
解説: 春先に野原の枯草を焼くこと。草萌えをよくし害虫を駆除するため、山、畑、野、畦、芝などを焼く。その灰は肥料となる。
来歴: 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
文学での言及: おもしろき野をばな焼きそ古草に新草まじり生ひは生ふるがに 東歌『万葉集』
春日野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり よみ人しらず『古今集』
』(季語と歳時記)



野焼の俳句:


・阿蘇野焼太古の火色幾うねり  渡辺純


・火が風を風が火を呼ぶ野焼かな  河野美奇


・煙より低く野焼の勢子走る 稲畑汀子


・焔迫れば草薙ぐ鎌よ野焼守 杉田久女


・夕映えの秋吉台の野焼かな  中川浩子



阿蘇の山焼きは有名だが、秋吉台の山焼きも大規模で、イベントも行われており、見物する価値がありそうだ。

大規模な山焼き・野焼きは事故が起きることが在り、火勢や方向を管理しながら安全に終了することが求められる。
野焼守とか勢子とか呼ばれる人たちが風や火を見極めながら走り回って安全を守ってくれている。
稲畑も久女も背を屈め走り回りながら奮闘する漢の姿を火の中に見届けている。

無事に野焼きが終われば、褐色の大地が黒々と広がる。
やがて、黒の中から新しい芽が顔を出し、遠近に点在する緑の点は、次第に空に伸び横に広がり、黒を覆い尽くして緑の草原に変えてしまう。

野焼きは人類が自然の火事から学び取ったものだろうが、自然の摂理に則った合理的な行為だ。

山焼き・野焼きが終われば、春は駆け足でやって来る。



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2019年02月25日(月) 記事No.21

2019/02/25 (月) 旧暦: 121日 祝日・節気:  日出: 616分 日没: 1731分 月出: 2347分 月没: 953分月齢: 20.25 干支: 癸巳 六曜: 先負 九星: 九紫火星


今日のあれこれ: 深良用水と「歴史の真実」

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深良用水の隧道の出口
裾野市HP
http://www.city.susono.shizuoka.jp/kanko/2/4/2/3164.html
より転載


「深良用水水中動画(裾野市)」


https://youtu.be/PbHOJsdQp6M



2
25日は、1670(寛文10)年深良用水の難工事が終わった日である。

深良用水は、湖尻峠に約1200メートルのトンネルを掘って、芦ノ湖の水を富士山麓の村々に給水するために造られた灌漑用水であり、350年後の現在でも機能を失っておらず、当時の日本の土木工事技術水準の高さを示している。2014年には
「世界かんがい施設遺産」に登録されている。


深良用水は、現在も目の前に存在し流れている。
その存在を疑う事はできない真実である。
しかし、その造られた由来や経緯など歴史上の真実となると話は違ってくる。

現在の用水の管理者である裾野市のHPでは、次のように書いている。
http://www.city.susono.shizuoka.jp/kanko/2/4/2/3164.html

『芦ノ湖の水を静岡県側へ流すために、1666年から約4年の歳月をかけ湖尻峠の下に掘られたトンネル。全長1,280メートルにと、出会いに1メートル程の誤差しかなかったと言われ測量技術の精度の高さに驚かされる。この用水は、深良村の名主・大庭源之丞が幕府と小田原藩の許可の下、箱根権現の別当快長の理解と江戸浅草の商人・友野与右衛門の協力を得て完成。かんばつに苦しむ農民を救ったと言われている。』


農水省のHPでも次のように書いている。
http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_kakuti/13_fukara/

『今から346余年前の寛文10年(1670年)四代将軍徳川家綱の時代、浅草の商人友野与左右衛門は、現在の静岡県裾野市深良の名主大庭源之丞の依頼を受け、水田の用水不足にあえぐ静岡県駿東地域(現在の御殿場市、裾野市、長泉町、清水町)の農民のために、約3年半の歳月と総工費約7,400両、延べ約84万人を投入して、神奈川県の芦ノ湖の水を静岡県裾野市へ導く、全長1,280m(高低差約10m)の水路トンネルを完成させました。
工事は両口から手掘りで行われたにもかかわらず、約1mの落差で結合しており、当時の驚くべき技術の高さを物語っています。』


しかし、Wikipediaの記述者は、違う説を唱えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E8%89%AF%E7%94%A8%E6%B0%B4

『箱根用水は、駿河國新風土記や駿河志料によると、小田原藩御厨代官所の小山源兵衛によって立案された。そして、稲葉家引き送り書(貞享三年)に記載されている江戸の町人四名の者達、即ち浅井佐次右衛門、友野与右衛門、須崎源右衛門、橋本山入らが請け負った町人請負の新田開発であった。掘抜き工事は、小田原藩用水奉行小山源兵衛の指揮のもとに寛文六年七月に始まり、同十年四月に掘抜きが完成し、同十一年五月に初めて通水し、翌十二年五月になって十分な水量の用水が、芦ノ湖より深良村へ流下するようになった。今まで箱根用水の御発起と、伝承されてきた深良村名主大庭源之丞であったが、実際は箱根用水の成立には全く無関係であった。』

小田原藩による町人請負を利用した新田開発のための用水工事であり、名主の大庭源之丞は無関係であると言う主張である。

そして、明治に入り、明治政府の富国強兵政策を背景に、水利権を争う静岡県と神奈川県の争いが1896年(明治29年)に起き、訴訟になった。
1898
年(明治31年)に、大審院判決により、静岡県の深良村外六ケ村水利組合が勝訴したが、その裁判過程で静岡県側に立った多くの偽造文書が作成され、歴史の改ざんが行われたと記述している。

また、それは水力発電を進める明治政府の国策が背景に在り、紛争に介入した富田鉄之助は、『実は東京水力電気という電力会社の中心人物で、箱根用水を水力発電として利用する事を自ら計画していた』と書いている。


町人請負の中心人物であった友野
與右衛門のその後についても、歴史の闇のような側面が存在する。
工事完成後、新田開発が計画通り進まなかったために、水利権の利用料が集まらず経営が苦しくなった。與右衛門は100両を横領したとの科を問われ、幕府の命によって江戸へ送り返され、鈴ヶ森で打首になったと伝えられている。


「箱根用水と友野与右衛門」で泉秀樹氏は以下のように書いている。
https://www.tkc.co.jp/kaze/backnum2002/koramu11.html

『与右衛門ら元締たちは破産状態になってわずかな金を横領した料で処刑されたというが、その後の行方も死に方もわからない。
五代将軍・綱吉は貞享4年(1687)に町人請負新田の停止、幕府年貢総決済の命令を出している。幕府の方針は国役普請や諸大名に経費を負担させる手伝普請に転換してゆく過渡期にあった。町人が中間で利益を抜く請負は士農工商の身分制度下では不都合だったから闇に葬られたのかもしれない。』

その後、1713年(正徳元年)に、用水を利用できる百姓たちは、建設した元締たちを供養するために芦ノ湖水神社を作り友野与右衛門たちを祀っている。
伝えられている脇指は友野与右衛門のものとされる。


そして、現在も芦ノ湖湖水神社はそのまま在り、深良用水は用水として、また電力発電用としても流れ続けている。






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2019年02月24日(日) 記事No.22

2019/02/24 (日) 旧暦: 120日 祝日・節気:  日出: 618分 日没: 1730分 月出: 2244分 月没: 917分月齢: 19.25 干支: 壬辰 六曜: 友引 九星: 八白土星


今日のあれこれ: 春浅し


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20132月 雨の浅草さんぽ
浅草 旅行記
https://4travel.jp/travelogue/10905345
より転載)



『春浅し(はるあさし) 初春

子季語: 浅き春、春淡し、浅春
関連季語:
解説: 立春をすぎたのに、まだ春めいていない感じをいう。暖かいところでは梅が咲き、目白などが飛び交っているが、東北の日本海側などではまだ厚い雪に覆われている。風も冷たく、時には厳寒のころの気温に戻ったりもする。雪の中から蕗の薹を見つけるのもこのころ。
「早春」よりも主観の入った季語と言えよう。』
(季語と歳時記)




春浅しの俳句:


・雨降りて雷門の春浅し  矢嶋みつ江


・客を待つ回転木馬春浅し  中島隆


・奇なる夢知る術もなき浅き春  桑垣信子


・看取りとは尽しきること春浅し  柴田朱美


・急逝を惜しまるる声春浅し  片岡良子


昨日は、風が強かった。
春一番と言っても良いような風の吹き方だった。
昨日は事情があって、人気店の行列に並ぶことになってしまった。
風に背を向けて防寒コートの襟を立ててるのだが、それでも日が落ち、衰えることのない風は身体から温かさを奪って行く。
寒い戸外に1時間風に吹かれているうちに声も枯れてきた。
そして、漸く順番が回ってきた。

今日は風も収まり、春らしくなった。
3
月並の暖かさと予報士は話している。
だが、早春のこの季節は、日陰や日暮れ後はまだ寒い。
気を抜くと体調を崩す危険もある。

浅い春、まだまだ気を抜くことは出来ないが、看取りの世界にも春は来るだろう。

急逝ではなく、大往生だが、日本文学の世界への紹介に人生を費やしてこられたドナルド・キーン氏がお亡くなりになった。
ご冥福をお祈りしたい。



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2019年02月23日(土) 記事No.23

2019/02/23 (土) 旧暦:119日 祝日・節気: 日出:619分 日没:1729分 月出:2139分 月没:842分 月齢:18.25 干支: 辛卯 六曜: 先勝 九星: 七赤金星


今日のあれこれ: 鱵(さより)


「鱵(さより)のさばき方- How to filet Halfbeak -|日本さばけるプロジェクト」


https://youtu.be/ND9VGLfv6MU



『鱵(さより) 三春

子季語: 針嘴魚、竹魚、細魚、水針魚、針魚、さいより、ながいわし、鱵舟
関連季語:       
解説: さよりは、竹魚、細魚、針魚とも書き、身がほっそりとした魚。旬は春の産卵期。身は淡白で、刺身、焼き物、干物などにする。
来歴: 『改正月令博物筌』(文化5年、1808年)に所出。
文学での言及:
実証的見解: サヨリはサヨリ科サヨリ属の硬骨魚で、北海道南部以南の日本各地沿岸の浅いところに棲息する。体形は細長く、下顎は上顎よりも長い。背は淡い青緑色をしてをり腹は銀白。体長は二十センチから三十センチくらいで、四十センチをこえるものもある。プランクトンを食べ、春の産卵期には沿岸の藻場に群れる。』
(季語と歳時記)



さよりの俳句:


・さより舟東京湾に雨走る  岡本一路


・沖船の余波たたみくるさより汲む 大木さつき


・群れゐてもさより一匹づつ光る  内山花葉



ランチに食べた天ぷら定食に白身の魚が入っていた。
訊いてみるとさよりだった。

鮮度が良ければ、美しい白身は天ぷらよりも刺し身でいただきたいものだ。
合わせるなら、切れの良い吟醸酒が良い。

さよりが日常の食の中に登場することは、もう春なのだと言われていると考えてよいだろう。

風は強い一日だったが、日差しは強く春を感じさせた。
加えてさよりもそう教えてくれた。

東京湾も綺麗になって、さより漁が行われているのだろうか。



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2019年02月22日(金) 記事No.24


先に行われた順位戦C級の昇級がかかった試合には、杉本師匠も藤井聡太七段も負けてしまい、大方はがっかりした。

その後、藤井七段は朝日杯の連覇を達成し、落ち込むどころか一皮むけてパワーアップした事を感じさせファンを安心させた。

一方の杉本師匠も負けてはいなかった。
今日行われた対局に勝ち、七段昇段後公式戦190勝を達成し、八段昇段条件を満たした。

藤井七段の活躍も杉本七段の指導と愛情があってこそなので、この昇段は良かった。
杉本新八段も、まだまだ上を目指して頑張っている。その姿を見れば藤井七段も思う存分活躍ができる。

名古屋の将棋界を二人で引っ張って行ってほしいと思う。


『藤井七段の師匠・杉本昌隆七段、弟子より早く八段に昇段
2019/02/22 17:49
朝日新聞

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将棋棋士の杉本昌隆さん
(
朝日新聞)

将棋の高校生棋士、藤井聡太(そうた)七段(16)の師匠にあたる杉本昌隆七段(50)が22日に行われた対局に勝ち、八段への昇段を決めた。「七段昇段後、公式戦190勝」という昇段の条件を満たしたため。昇段は同日付。弟子の藤井七段よりも早く八段に昇り、師匠の貫禄を示した。

杉本新八段は名古屋市出身。故板谷進九段門下。1990年10月、四段に昇段し、プロデビュー。95年12月、五段昇段。2000年7月、六段昇段。06年2月に七段昇段。四段から七段へは15年余り、七段から八段へは13年がかりで、昇段を果たした。

弟子の藤井七段はスピード昇段。16年10月1日付で四段昇段、18年2月1日に五段昇段、同年2月17日に六段昇段、同年5月18日に七段に昇段した。プロ入り後、1年7カ月余りで四段から3回昇段して七段まで駆け上がった。

七段から八段へ昇段するには「七段昇段後、公式戦190勝」のほかに「(名人戦の予選にあたる)順位戦でA級昇級」「竜王位1期獲得」「タイトル2期獲得」という条件がある。

藤井七段が、いつ、どんな形で八段に昇段するかも注目されている。

終局後、記者の質問に対し、杉本新八段は「師匠の威厳を見せられたかなといったところでしょうか。(藤井七段には)早く追いついて欲しいなという気がします」と話した。また、日本将棋連盟を通じて「子どもの頃、将棋を覚えて棋士を志した時から、八段昇段は目標でした。これからも弟子に負けないように勝ち星を積み上げていきたいです」とコメントした。

また、師匠の昇段を受けて藤井七段は「八段昇段おめでとうございます。対局や普及に全力で取り組む師匠を尊敬しています。これからもますますご活躍されることを祈念しています」とのコメントを発表した。(佐藤圭司)』
(朝日新聞)




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2019年02月22日(金) 記事No.25

2019/02/22 (金) 旧暦:118日 祝日・節気: 日出:620分 日没:1729分 月出:2032分 月没:806分 月齢:17.25 干支: 庚寅 六曜: 赤口 九星: 六白金星


今日のあれこれ: 風生忌(ふうせいき)

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(山茱萸の花
トッコス爺の身近な花・虫・鳥 撮り
http://dojiwo.blog93.fc2.com/blog-entry-2911.html
より転載)


風生忌:
2
22日は俳人富安風生の命日である。
1979
年(昭和54年)に亡くなっている。
風生は最晩年に

・九十五齢とは後生極楽春の風 富安風生

と詠んでいる。
人生も辞世の句も大往生であった。
九十五は数えの話だ。



風生忌の俳句:


・空青く山茱萸が咲き風生忌 浅野敏夫


先日、愛知県図書館に行って郷土資料を探していた時、棚に富安風生に関する図書が数多く並べられていた。
風生が愛知県に縁のある人物だと初めて知った。

調べてみると、愛知県八名郡、今の豊川市生まれで、旧制の時習館中学卒業まで愛知県に暮らしていた。
その後、一高、東大、逓信省に進み、全国を転々とすることになった。

風生忌の俳句はそれなりに詠まれている。
個人的な感慨を詠んだものが多い。

ここでは、植物が好きだった風生に因んで
早春の花と空を背景にしたものを選んでみた。



【データ】

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富安風生 Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%AE%89%E9%A2%A8%E7%94%9F



「風生忌」 俳句俳話ノート
http://nobu-haiku.cocolog-nifty.com/haiwanoto/2006/02/post_31bf.html

風生の代表句が簡潔に紹介されている。




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