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  • 2017年12月 の記事一覧

2017年12月31日(日) 記事No.640

2017/12/31 (日) 旧暦:1114日 祝日・節気: 大晦日 日出 :650分 日没:1637分 月出:1500分 月没:413分 月齢:12.85 干支: 壬辰 六曜: 赤口 九星: 二黒土星

今日のあれこれ: 除夜の鐘

「知恩院で除夜の鐘の試しづき 京都・東山区」



https://youtu.be/tPqfC7FwQ6A



『除夜の鐘(じょやのかね)は、日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。1231日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)くことである。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。

108
つの由来
除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。この「108」という数の由来については、次のような複数の説がある。格別にどれが正しいということはないが、一般には煩悩説が有名である。

煩悩の数
   
眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。

1
年間
   
月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数が108となり、1年間を表す。

なお、寺によって撞く回数は108回と決まらず、200以上の場合などがある。

作法

鐘を撞く前には鐘に向かって合掌する。108回撞く寺院においては、多くが108回のうち107回は旧年(1231日)のうちに撞き、残りの1回を新年(11日)に撞く。ただし、静岡県富士宮市の大石寺では例外的に年明けと同時に1つ目が撞かれる。

除夜の鐘と放送
上野・寛永寺にて1927年(昭和2年)、JOAKNHK放送センターの前身である社団法人東京放送局)のラジオによって史上初めて中継放送された。

NHK
『ゆく年くる年』で、日本各地の寺院にて除夜の鐘が撞かれながら年が明ける様子を全国中継しているが、『ゆく年くる年』の番組開始当初のタイトルこそ『除夜の鐘』であった。
...』(Wikipedia



除夜の鐘の俳句:



・奥武蔵雪山ならぶ除夜の鐘 水原秋櫻子



・我宿も寺領のうちや除夜の鐘 今井つる女



・一打ごと闇を震はせ除夜の鐘  尾生弘子



・家の音消して聞き入る除夜の鐘  国包澄子



・願ふ事謝すこと多し除夜の鐘  牧咲子




お寺参りをし、鐘の音に耳を傾け、煩悩の心を洗うことはお粗末な自分にとってありがたいこと。

ところが、除夜の鐘の音が雑音だとして、苦情を申し立て、お寺が除夜の鐘を止めるケースが増えているそうだ。


『近所からの苦情で「除夜の鐘」を自粛する寺も…「伝統文化」と「人権」が衝突
12/31(
) 9:29配信 弁護士ドットコム

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近所からの苦情で「除夜の鐘」を自粛する寺も…「伝統文化」と「人権」が衝突

大晦日の伝統的な行事の一つ「除夜の鐘」。ゴーンと鳴り響く鐘の音を聞くと、「今年も終わったなあ」と感じる人も少なくないだろう。ところが近年、近隣住民の苦情から、「除夜の鐘」を中止せざるをえなくなった寺もある。

東京都小金井市の曹洞宗「千手院」は、近隣住民への配慮で、2014年から「除夜の鐘」を自粛している。住職の足利正尊さんによると、老朽化した寺と保育園の建替えの際、鐘の配置が変わったことが背景にあるという。

「除夜の鐘」は、大晦日から元旦にかけての夜間におこなうため、閑静な住宅街では、住民の中に不快に感じる人もいるだろう。だが、そうは言っても、昔ながらの伝統的行事だ。はたして、「除夜の鐘」の問題をどう解決すればいいのだろうか。騒音問題にくわしい山之内桂弁護士に聞いた。

●法的解決の論理と限界

「伝統文化と人権の衝突に対する法的解決の論理と限界を考えるうえで、興味深い事案です」

山之内弁護士はこう切り出した。どう考えればいいのだろうか。

「法的に分析すると、除夜の鐘をつく寺(A寺)は、それを止めてほしい人(Bさん)以外のその他大勢の『公共の利益』の立場です。一方、Bさんは、その他大勢に対する『少数者』、音響に対する耐性が顕著に低い『弱者・障碍者』、静かな場所に避難する余裕がない『貧困者』の立場にあるといえます。

このような場面で、Bさんに対して、『伝統文化を尊重しろ』『苦情を言うのはあなただけ』『わずかの間だからよそに行って』など、多数者・強者・健康者・富者の要求を強いることは、人権尊重の原則に反します。

法的に、A寺とBさんの権利調整をはかるのは、立法(国会・地方議会)と司法(裁判所)だけです。A寺もBさんも、法令・判例に根拠のない言動で相手を服従させれば、刑事・民事責任を負うべき違法行為を犯す可能性があります」

●みんなで知恵をしぼって解決する方法も

具体的に、どのような法的手段があるのだろうか。

A寺は、除夜の鐘をつづけるために、騒音規制対象外とする政治活動のほか、Bさんに対する『業務妨害行為の差止請求』や、除夜の鐘をやめる義務がないことの『債務不存在確認』などの法的手段が可能です。

一方、Bさんは、除夜の鐘を規制する政治活動のほか、A寺に対する『除夜の鐘の差止請求』『損害賠償請求』などの法的手段が可能です。

もっとも、現行法令・裁判例の解釈上、A寺が除夜の鐘をやめるべき法的義務はなく、Bさんに対して損害賠償責任を負う可能性もかなり低いと思います」

もう少し穏当に解決する方法はあるのだろうか。

「以上は、あくまで現状の法令・裁判例をもとにした法的考察にすぎません。すべての紛争を立法・司法だけで解決すべきと主張したいわけではありません。

ある寺院は、昼間に『除夕(じょせき)の鐘』をつくことにしたそうです。解決策として間違っていないと思います。それ以外の選択も当然ありうると思います。

そもそも日本には、古来より『和を以て貴しとなす』という精神があります。みんなで知恵を絞って、立法・司法によらない『和』の解決を図る発想があってもいいと思います。最近では、裁判外紛争解決手続(ADR)も充実していますので、そういった手続きの活用もよいでしょう」』(弁護士ドットコム)




最近は、人権と我儘の区別ができない人が増えている。
人権と言っても無制限に認められるものではない。
他の人の人権と対立する場合は、民主的な世の中のルールは多数の意見に従うということだ。
自分の意見をすべて通すのが人権ではない。

お寺も檀家とか自治会とかに相談して対応を考えたほうが良い。

矢張り、大晦日には除夜の鐘を聴きながら、心を澄ます日本でありたい。




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2017年12月30日(土) 記事No.641


井上尚弥が、31連勝中の挑戦者を問題にせず、V7を達成した。
今年は、今までのスーパーフライ級から階級を上げ、バンタム級に転向する予定で、今後は1階級上のバンタム級に転向する意向で、3階級制覇を目指す。

目下の日本のボクサーの中で最も存在感のあるチャンピオンと言って良い。

ただ、世界は広く、隠れた強打者もいるだろうし、階級が上がると、今まで通用し、KOできたパンチが効かなくなることもあるので油断はできないが。

井岡も迷って道草していないで、後を追うべきだ。



「【モンスター】井上尚弥VS31連勝中ヨアン・ボワイヨ」


https://youtu.be/JPtJteLWv3U



『挑戦者ボワイヨ、井上尚弥のパンチは「重かった」
[2017
12302148]

<プロボクシング:WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦>◇30日◇横浜文化体育館

井上尚弥(24=大橋)に3回TKOで敗れた同級6位ヨアン・ボワイヨ(29=フランス)は「想像していたよりも(パンチが)重かった。彼は僕より優れたボクサーだった」と王者をたたえた。

31連勝中という実績を引っ提げ、マネジャーの美人妻バネッサ夫人もセコンドについた一戦だったが、3回には井上尚のボディー連発で3度膝をつくなど合計4度のダウンを喫する完敗だった。それでも最後は「(3回のボディーは)自分としては、それまでもらっていたのと同じだった。審判が止めたので、そういうことかと(受け止めた)。もしまたチャンスがあれば、ぜひやりたい気持ちはある」と強がった。』
(日刊スポーツ)





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2017年12月30日(土) 記事No.642

2017/12/30 (土) 旧暦: 1113日 祝日・節気:  日出 : 650分 日没: 1636分 月出: 1411分 月没: 304分月齢: 11.85 干支: 辛卯 六曜: 大安 九星: 一白水星

今日のあれこれ:
日記果つ

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PHPダイレクトショップ
http://shop.php.co.jp/php/goods/index.html?ggcd=778642
より転載




『日記(にっき)とは、日々の出来事を紙などに記録したものである。単なる記録として扱われるものから、文学として扱われるものまで、その内容は様々である。ある人物の生涯にわたって記されるような長期にわたるものから、ある旅、ある職務、ある事件などの間だけ記された短期のものまで、期間・分量も様々であり、西洋・東洋を問わず、世界的に存在する。
...
日本人と日記
日本は、世界でも最も古い時期から大量に、かつ質の高い日記が作成され、残されてきた国である。[要出典]そのため当然のことながら、日記は日本の歴史を解明するために欠かすことのできない史料の一つとして、同じく古くから数多く残されている古文書などとともに重要視されてきた。しかし、だからといって古来から残されてきたそれら日記の、日本における文化史的な位置付けや、社会史的な機能といったものが明らかにされてきたかというと、そうではないようである。

このような意見については、例えば『土佐日記』や『蜻蛉日記』などを例に挙げて反論される者も多い。確かに古典として認められている、これら平安時代の日記については実に数多くの研究がなされている。しかし、これらの少数の著名な日記は、周知の通り作者が同時性をもって記していったものではなく、後のある時期に一つの作品として仕上げられたものである。また、同時代に作成された日記のごく一部に過ぎないはずで、これらの作品を花開かせた数多くの無名の日記群が、これらの土壌として存在する。

河盛好蔵は「日記について」という文章で、「私たちが日記をつけておいてよかったと思うのは、自分の古い日記を読むとき」であり、そのことによって「自分の人生について多くのことを反省させ」ると述べている。また、ある人の説として日記は三つの会話、つまり「自己自身との会話、友人や肉親との会話、偉大な創造者との会話」から成り立っているとして個々の場合について例を挙げ説明を試みている。

日本人は日記好きとよくいわれる。例えば、日記専門の出版社があり、年末になると多種多様の日記が書店の店頭を飾るのは日本だけということである。この点、多田道太郎・加藤秀俊の対談による「日記の思想・序説」では、その理由として個人的な会話が下手なことや、欧米諸国と異なり、夜寝る前の神に対するお祈りがないことなどが挙げられているが、原因はそのような表面的なものではなくもっと深いところにあると考えられる。この点について最も印象深い指摘は、ドナルド・キーンが『百代の過客ー日記にみる日本人ー』の序の中で触れられている第二次大戦中の日本兵の日記(米軍ではつけることが禁じられていた)の話である。ここでキーンが戦場に遺棄された日本兵の日記を翻訳する職務の経験から達せられた結論の一つは、「日記を付けるという行為が、日本の伝統の中にあまりにも確固たる地位を占めている」という。
...』(Wikipedia



日記果つの俳句:



・加護を謝すこと多かりし日記果つ  園多佳女



・こそばゆき事も記して日記果つ  遠藤とく



・何もない一日が宝日記果つ  中上馥子



数え日ももう指2本あれば足りる。
日記も後2ページ残っているのみ。

拝借した写真は、PHPの「3年連用日記 wish」。
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年目ならもう左右見開きの最下段が残るのみ。
押し迫った最終章だ。

日記に何を書くかは、決められていない。
人それぞれ、こそばゆいことや、秘密なことを書く人もいれば、敬虔な人は神様・仏様、家族や友人や世の中に感謝の言葉を書き連ねる。

連用日記の場合、3年ものなら3年間を縦に眺められる。
最初の年なら、次の2年は何があるか。2年目なら去年はどうだったか。3年目なら今年と過去三年を振り返ることができる。

問題は、空白だ。
空白のページは、何もなかったことを意味してはいない。
山盛りの事に忙殺されて、日記を書く時間などなかったのが事実かもしれない。

空白ばかりなら、日記帳を買う必要もないが、記憶だけではあやふやになる。
記憶は自分の都合で変わってしまう。
日記は本当のことを書いていれば、それが事実。10年前の自分が別人で、理解できないことも事実として受け入れることができる。

日記をつけるなら、毎日書く時間を決めることが欠かせない。
書けない時はメモに残し次の日に書くことも許さなけれな続かない。


残すところ2ページと言っても、新しい日記を買えば、前途は洋々で未来は開けている。
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年分の空白のページを見て、すべて埋めてやると言う気迫があれば生き抜くことができる。




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2017年12月29日(金) 記事No.643


世界情勢では混沌と混乱が続き暗い事件が多かったが、その中で日本を明るく照らしてくれたのが藤井四段だった。

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歳の少年が、プロになりデビューから29連勝。
現実には起こり得ないことを次々と目の前で見せてくれた少年は、手品ではなく本当に実際にやって見せてくれた。

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連勝の衝撃があまりにも凄まじかったので、その後藤井四段が負けると、また負けた、A級には通用しないとか言われた。
017年藤井四段の最終戦が行われ、勝利し今年の戦績は5510敗となった。
10敗はしたが、4月以降の勝率の8割1分8厘は、全棋士中の1位。
今年、一番強かったのが藤井四段であることを証明する数字だ。

藤井四段の活躍のお陰で、将棋連盟は勿論、ひふみんも将棋道具メーカーも街の将棋教室も明るい年末を迎えることができた。

運の強い人、力のある人に近づき、自分もそれに近づけたいと思うのは人情。
藤井四段のグッズを買った人は、良い気分に成れたに違いない。

将棋関係者にとどまらず、日本の多くの人を明るく、楽しい気持ちにさせてくれた藤井四段に感謝し、藤井神社でも在ったら参拝し賽銭を投げ、祈願したい人は全国津々浦々にいるはずだ。
神経をすり減らす真剣勝負が新年も続く、健康には注意して新年も活躍するようお願いしたい。



『将棋の藤井四段、年内最後の対局で勝利 勝率は8割超
12/28(
) 21:59配信 朝日新聞デジタル


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年内最後の対局に勝利した将棋の藤井聡太四段。手前は豊川孝弘七段=大阪市の関西将棋会館、佐藤圭司撮影

将棋の中学生棋士、藤井聡太(そうた)四段(15)が28日、大阪市福島区の関西将棋会館で年内最後の対局に臨み、豊川孝弘七段(50)に勝ち、公式戦29連勝と大活躍した2017年を白星で締めくくった。日本将棋連盟によると、藤井四段の通算成績は55勝10敗となった。

【写真】年内最後の対局に勝利し、笑顔を見せた将棋の藤井聡太四段=大阪市の関西将棋会館、佐藤圭司撮影

将棋界に八つあるタイトル戦の一つ、王座戦(日本経済新聞社主催)の1次予選の一局。午前10時に始まった対局は、午後9時34分、先手番の藤井四段が109手で勝った。

終局後、藤井四段は「今年は、29連勝で多くの人に注目していただくなど、いろいろな経験をすることが出来て、とても大きな一年だった。来年も、今年の経験を糧として一歩一歩成長していきたい」と話した。来年1月14日、第11回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)本戦は名古屋市での対局となる。「地元・名古屋での公開対局で、大勢の方に見ていただける。全力を尽くして、いい将棋を指したい」と抱負を語った。

敗れた豊川七段は、11月に「豊川孝弘の将棋オヤジギャグ大全集」(主婦の友社)を出版した、ユーモアあふれる棋士。敗戦直後だったが、報道陣に感想を求められ、「夕食休憩前の端(の歩)を突いた手が甘かった。おしるこみたい」と答えた。

藤井四段の来年最初の対局は1月6日、大阪・関西将棋会館で。王位戦で大橋貴洸(たかひろ)四段(25)と対戦する。

将棋界は年度ごとに記録を管理している。今年度のここまで(4~12月)の藤井四段の記録は、対局数55、勝数45と、いずれも2位以下を大きく引き離し、全棋士の中で単独1位だ。勝率8割1分8厘は、1戦1勝(勝率10割)の新人棋士2人を除くと、1位。驚異的な勝ちっぷりが止まらない。(佐藤圭司)』
(朝日新聞社)



『藤井四段フィーバー、“飛”躍の1年…とに“角”すごかった
12/29(
) 10:03配信 スポーツ報知


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将棋ブームをリードした藤井聡太四段

今年6月、史上最年少棋士・藤井聡太四段が14歳11か月の若さで、公式戦歴代新記録の29連勝を樹立した。「藤井フィーバー」は新語・流行語大賞にもノミネートされ、まだあどけない中学3年のニューヒーローは日本列島に空前の将棋ブームをもたらした。また、史上初の永世7冠となった“元祖天才”羽生善治竜王(47)に対し、政府は囲碁の井山裕太7冠(28)とともに国民栄誉賞の授与を検討中。昨年、スマートフォン不正使用疑惑騒動で揺れた将棋界に、明るい光が差した1年だった。

昨年10月、三浦弘行九段(43)にスマホ不正使用疑惑が浮上。後に“無実”と判断されたが、将棋界に漂う不穏な空気を一変させたのが、史上最年少棋士・藤井四段だった。

昨年12月24日、「ひふみん」こと加藤一二三・九段(当時76)との対局でデビュー。“年の差62歳対決”を14歳が制した。ひふみんは「私が5戦目の相手だったら、そんなに注目されなかった。一番いい時に対局して、負けた」と振り返ったが、話題性十分のプロ初戦を飾ると、注目度は対局を重ねるごとに増した。

白星街道をばく進し、6月に史上最多の29連勝を達成。わずか14歳11か月での快挙は1996年、25歳で史上初めてタイトル全7冠を独占した“羽生ブーム”をもしのぐ熱狂をもたらした。例年はタイトル戦でも10社に満たない報道陣が、藤井四段の連勝時は、ワイドショー、一般週刊誌も含め、30社以上であふれ返った。

新・天才の活躍は、確実に将棋界を活性化させた。「将棋を覚えたいという子供たちがグンと増えた。3000円ぐらいの将棋盤、駒が全国的に売り切れているんです」と、ひふみんも藤井効果を説明する。また、中継をネットで観戦する「観(み)る将」なる将棋ファンも増加。藤井四段グッズもバカ売れ。対局の休憩時に食す“勝負メシ”もワイドショーで報道された。

将棋連盟関係者は「さすがにブームも落ち着いてきたが、せっかく吹いた追い風。どう定着させるかが我々の課題」と頭をひねるが、ひふみんは「羽生さんの国民栄誉賞が決定すれば、さらに盛り上がります。藤井四段も順調に行けば(順位戦C級2組を勝ち抜いて)来年3月、五段に昇段するはず」と予言。勢いをキープできるか―。(筒井 政也)


◆将棋界この1年
▼1月18日 三浦弘行九段のスマホ不正使用疑惑騒動の責任を取り、谷川浩司日本将棋連盟会長が辞任を発表。
▼2月2日 2016年の獲得賞金・対局料ランキングが発表され、羽生善治3冠が9150万円(推定)で3年連続22度目のトップ。
▼2月6日 佐藤康光九段が日本将棋連盟新会長に。
▼2月20日 ポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカ女流3級女流棋士が女流2級に昇級。男女通じて初の外国人棋士に。
▼4月4日 藤井聡太四段がデビューから11連勝を達成し、新人記録を更新。
▼5月20日 人間VSコンピューターの「電王戦」ラスト対局で、佐藤天彦名人がソフト・PONANZAに敗れる。「叡王戦」がタイトル戦に昇格すると発表された。
▼5月24日 スマホ不正使用疑惑の三浦弘行九段に不正はなかったと認められたことで、日本将棋連盟が慰謝料を支払うことで合意、和解したと発表。
▼6月20日 加藤一二三・九段が竜王戦6組の昇級者決定戦で敗れたため、この日付で現役を引退。63年の棋士生活に幕。77歳5か月は棋士史上最高齢。
▼6月26日 藤井聡太四段が14歳11か月の若さで、公式戦29連勝の新記録を樹立。1986―87年度の神谷広志五段(現八段)の28連勝を30年ぶりに更新。7月2日に初黒星を喫し、記録はストップ。
▼8月30日 菅井竜也七段が羽生善治3冠を破り、初タイトルの王位を獲得。
▼10月11日 中村太地六段が羽生善治2冠を破り、初タイトルの王座を獲得。
▼11月9日 「2017ユーキャン新語・流行語大賞」で「藤井フィーバー」「ひふみん」が候補入り。
▼12月5日 羽生善治棋聖が通算7期目の竜王を獲得。「永世竜王」の資格を得て、史上初の「永世7冠」を達成。
▼12月13日 政府が、羽生善治永世7冠と囲碁の井山裕太7冠に国民栄誉賞を授与する方針を示す。』
(スポーツ報知)




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2017年12月29日(金) 記事No.644

2017/12/29 (金) 旧暦: 1112日 祝日・節気:  日出 : 649分 日没: 1636分 月出: 1328分 月没: 157分月齢: 10.85 干支: 庚寅 六曜: 仏滅 九星: 九紫火星

今日のあれこれ: 焚火

「【癒し系】自然音 焚き火」


https://youtu.be/KtXG2xzKmEg



『焚火: 朝焚火、夕焚火、柴焚、落葉焚、焚火趾、夜焚火
三冬
暖を取るために枯木や廃材を燃やすこと。境内で落葉を焚いたり建築現場で木屑を燃やしたりする冬の光景である。』
(季語と歳時記)



焚火の俳句:



・磯焚火不知火めくに初日待つ  岩崎きゑ子



・あかときの月うすれゆく浜焚火  大見川久代



・ひしめきて鵜の寄る礁磯焚火  吉岡久江



焚火の句を読んでいて、海辺での焚火の句が多かった。
陸上では危険なので、法律で取り締まられているので焚火は出来ない。
海辺は規制がゆるいのだろうか。

岩崎の句は、初日が季語でお正月の句だが、敢えて焚火で取り上げた。
スケールが大きく、燃える焚火とともに燃え上がる心が不知火となりそうな気分が爽快だ。


動物は火を恐れるが、人は火を恐れず、使いこなしている。
しかし、森林火災や野焼きの事故の怖さは知っている。
人の心の中にもう少し深く入ると燃え上がる火に何かを感じるところがある。

昔、学校で宗教の中に拝火教と言うものがある事を教えられた。
日本でも密教や修験道では護摩焚きが行われる。
燃える火、揺らめく炎には人の心を動かす力があると考えて良い。

掲載動画は、15分のもので一般的には長いが、癒し系焚火の動画には1時間を超えるものが多くあり、8時間というものもある。
火が禁止されている現代の生活には火への欲求がある。


正月の準備が終わり、神社へ参拝する時も近い。
神社の境内ではお焚きあげが行われる。
古い御札やお飾りを焼べる場なのだが、寒さから逃れ暖に近づく場でもある。
勢い良く燃え上がる炎を見つめて動かない人も多い。

焚火の季節がやって来た。



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2017年12月28日(木) 記事No.645

2017/12/28 (木) 旧暦: 1111日 祝日・節気:  日出 : 649分 日没: 1635分 月出: 1250分 月没: 052分月齢: 9.85 干支: 己丑 六曜: 先負 九星: 八白土星

今日のあれこれ: 御用納め・仕事納め

RBC THE NEWS「官公庁は28日仕事納め」2017/12/28


https://youtu.be/2qXz7ld4cao



『仕事納め(しごとおさめ)とは、年末となる12月の下旬の、最後の仕事のこと。

解説
日本の官公庁では、行政機関の休日に関する法律(昭和631213日法律第91号)により、1229日から13日までを休日とし、原則として執務を行わないものとしており、1228日を御用納めとして、その年の最後の業務日となっている[1]1228日が土曜日、日曜日に当たるときは、それぞれ1227日、1226日が御用納めとなる。また、裁判所については、裁判所の休日に関する法律(昭和631213日法律第93号)により、国会に置かれる機関(裁判官弾劾裁判所、裁判官訴追委員会、国立国会図書館並びに各議院に置かれる事務局及び法制局その他法令に基づき各議院に置かれる機関で両議院の議長が協議して定めるもの)については、国会に置かれる機関の休日に関する法律(昭和631227日法律第105号)により、同様に定められている。

また、地方公共団体は、地方自治法第4条の2によりその休日を条例で定めるものとされており、同条第2項第3号で「年末又は年始における日で条例で定めるもの」と決められている。そのため、条例により年末年始の休日が定められ、その前日が御用納めとなるが、条例で1229日から13日まで以外の日程で定められていれば必ずしも1228日が御用納めになるわけではなく、条例で定められた年末年始の休日の前日が当然に御用納めになり、その日が土曜日、日曜日に当たる場合はその前の平日が御用納めとなる。

一般企業でもこれに準じていることが多いが、年末が多忙な業種などでは1229日を仕事納めとする企業もある。また、銀行などの金融機関では、1230日まで窓口業務を行っている[2]1230日が土曜日に当たるときは1229日で、日曜日に当たるときは1228日で、窓口業務を終了する。』
Wikipedia



御用納めの俳句:



・古筆も洗ひて御用納かな 山県瓜青



今日は御用納め・仕事納め。
年の瀬も押し詰まった実感のある日だ。

表の仕事は今日で一区切り着いても、個人のことはこれからが始まりだ。
多くの家族は故郷へ帰ることだろうし、故郷では婆ちゃん・爺ちゃんや両親が帰りを待っているだろう。
今日・明日は新幹線は満席、高速道路は渋滞だ。

世の中もそうだが、個人も同様に忙しかった。
外の用事を済ませれば、今度は中の片付けをしなければならない。
明日もまた同じように忙しいだろう。

俳人たちも忙しくて作句どころではないのか、例句は少ない。
それもまた已むを得ない。



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2017年12月27日(水) 記事No.646

2017/12/27 (水) 旧暦:1110日 祝日・節気:  日出 :649分 日没:1634分 月出:1215分 月没: ----- 月齢:8.85 干支: 戊子 六曜: 友引 九星: 七赤金星

今日のあれこれ: 鯛焼き

「たい焼き御三家 麻布十番 浪花家総本店 たい焼き TAIYAKI



https://youtu.be/Cfmal-HM1us



『たい焼き(鯛焼き、たいやき、タイヤキ)は、鯛を形とった金属製焼き型で焼いて作られた食べ物であり、餡(あん)入りで小麦粉主体の和菓子である。明治時代から食べられている日本の菓子[1]

主に日本国内で製造、販売、消費されている。

概要・製法
小麦粉・砂糖・重曹などから作った生地を、鯛をかたどった焼き型に流し入れて小豆餡を載せ、もう片側は生地だけを入れ、合わせて焼く。

前身の今川焼き(大判焼き)の様に、餡に替わってクリーム、チョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどの洋菓子素材を使用したものや、サンドウィッチ式に肉類や生野菜、各種ソースやリゾットなどを挟む「おかずたい焼き」も供されるようになった[2]

たい焼きの「焼き型」には、1匹ずつ丁寧に焼き上げる型(一丁焼き[3][4][5]もしくは「一丁焼きに準ずる二丁焼き、三丁焼き[6]」)と、鉄板などで複数匹を一度に焼き上げる型の2種類があり、たい焼きの味にこだわる人々の中には前者で焼いた鯛焼きを「天然物」・「一本焼き」・「一丁焼き」、後者を「養殖物」・「連式」などと呼び、違いを明確にする場合がある[7][8][9]。手間がかかり2キログラムを超える鋳物の焼き型を一つずつ返す為に体力も必要な一丁焼き型の使用は減少を続けているが、伝統的な焼き方と味(高温で焼くために皮がカリッっとしている)にこだわりを持つたい焼き職人もいる。特に東京において一匹焼きを守る店が多い[10][出典無効] 。一丁焼きの良いところ(鋳物、高温でカリッと焼く)を踏襲しつつ、重たい焼き型のひっくり返し方を工夫した「二丁焼き」「三丁焼き」というものも存在している。天然物と養殖物は焼き方の違いにより、皮の焼き上がりが異なり、火の通り方によって味も違う[1]が、古式か新しい製法かの違いである[11]。一丁焼きは、焼き型をひっくり返したり位置を入れ替えたりするために「ガチャガチャ」と鋳物同士がぶつかる音がするもので、これに風情を感じる客もいる[12]

歴史
たい焼きは、今川焼き(大判焼き)から派生した食べ物である、とされている。 たい焼きとしての発祥については、明治時代に鋳物の型を使って作られたとされる説があり[1]、明治時代末期の文学作品(後述)や著述、新聞記事[13]などには、既に「鯛焼」との記述が散見されている。発祥店に関しては、麻布十番にある「浪花家」の考案説[14][15]や、三重県津市大門にあった「日の出屋食堂」が発祥店をという説が存在するが、日の出屋食堂がたい焼きの販売を始めたのは第二次世界大戦後であることが判明している[16]

日本国外でのたい焼き
2016
1110日にNHKテレビの『所さん!大変ですよ』で放送された日本国外でのたい焼き情報によると、調理道具店に5年ほど前からアメリカ合衆国を中心にコロンビア、メキシコなどからたい焼き機の問い合わせが増え注文を受けるようになったという。その理由を番組スタッフが調べたところテレビアニメ『Kanon』にあるらしく、ヒロインの月宮あゆがいつもたい焼きを食べていたことが、SNSなどを通じてアニメファン以外にも知られるようになったと番組内で報じた。また日本国外では具材にあんこは入れられず、代わりにベーコン、りんご、チーズ、チョコレート等を入れるなど独自の変化をしており、番組では一番人気がベーコン入りたい焼きだとしていた[17][18]

たい焼きのしっぽの餡
しっぽ(鯛の尾部)の餡はほとんどの場合小豆餡である。しっぽまで餡が入っているかどうか、また、入っているべきか否かについて、かつて文学者を巻き込んだ「たい焼き論争」とでも言うべき論争があった。これは小説家の安藤鶴夫が「たい焼きはしっぽまで餡が入っているのがおいしい」という趣旨の話を読売新聞に書いたところ様々な賛否があったもので[19]、以下に示すものが代表的な意見とされる。

 
・元々しっぽは指でつまんで食べるための持ち手であり、最後に捨ててしまうものだったので、餡は無いのが正式である。
 
・甘い餡を食べた最後の口直しとするために、餡を入れるべきではない。
 
・しっぽの先まで餡が入っていないと、損をしたような気がするので、入れるべきである。
 
・しっぽまで餡が入っていることで、値打ち感のアップなどの差別化が図れる。

 
また、上記に関連して、頭から食べるのが正統かしっぽから食べるのが正統かという議論も繰り広げられた。
...』
Wikipedia



鯛焼の俳句:



・行列のつづく鯛焼神詣  新実貞子



・あつあつの鯛焼を子も妻も待つ   丁野弘



・性癖や鯛焼尾びれより食ぶも   浜麻衣子



・先手打つべし鯛焼は頭から   平野みち代



・鯛焼やいつか極道身を離る  五所平之助




今日は雪が降った。
岐阜では積もったそうだ。
こんな寒い日は、熱々の鯛焼きが恋しい。
美殿町の鯛焼き屋さんは、お客の行列ができただろう。

丁野のようにおみやげに鯛焼きを持って帰れば、歓迎されること請け合いだ。

鯛焼きは、心を和ませる力がある。

趣味でも仕事でも恋でも冒険でも、一つにのめりこんで極限を目指すことを極道と呼ぶならば、鯛焼きはその反対にある。
五所平之助は、どのような極道だったのか知らないが、平穏な生活、自分以外の人との和やかな生活の中の自分に目覚めた。
その瞬間をもたらしたものは鯛焼きだった。





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2017年12月26日(火) 記事No.647

2017/12/26 (火) 旧暦:119日 祝日・節気: 上弦 日出 :648分 日没:1634分 月出:1142分 月没:2351分 月齢:7.85 干支: 丁亥 六曜: 先勝 九星: 六白金星

今日のあれこれ: 年忘れ

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(沖縄・那覇の「花咲か爺さんの家」の赤提灯)



『年忘(としわすれ)

【子季語】
忘年会、別歳、除夜の宴
【解説】
年末に一年の労苦をねぎらうために開く酒宴。忘年会。その年の労苦を忘れ、また息災に年末を迎えたことを祝う気持ちがある。年末に連歌の興行をしたことに始まるという。 』
(季語と歳時記)



年忘れの俳句:



・橋詰の赤き提灯年忘れ  鷹羽狩行



・歌舞伎座の絨毯踏みつ年忘 渡邊水巴



・寒いねとまづ言ひ合ひて年忘れ  鎌倉喜久恵



・句会果てみな意気の合ふ年忘れ  佐藤健伍



・佳きことの指折りありぬ年忘れ  池崎るり子





今日は、1226日。
クリスマスも終わり、今年ももう残すところ1週間を切ってしまった。

忙しい忙しいと言いながら、各地の赤ちょうちんは人で溢れている。
かしこまった忘年会はともかく、楽しい忘年会は気心の知れた仲間と飲みたい。
仲間なら前提もいらず誤解もない。どこへボールを打っても返ってくる。

沖縄は本土とは違った文化・風習が多くあるが、居酒屋の赤提灯は同じだ。
街灯の少ない暗い空間に下げられた赤ちょうちんは、人を呼び入れる力を持っている。
那覇の「花咲か爺さんの家」は、今日も満席で賑やかに宴は始まっているはずだ。




満たされぬ日を指折っても仕方がない。
上手く行ったあの日、佳い日だったこの日を数えて、今年を締めくくりたい。





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2017年12月25日(月) 記事No.648

2017/12/25 (月) 旧暦:118日 祝日・節気: クリスマス 日出 :648分 日没:1633分 月出:1109分 月没:2251分 月齢:6.85 干支: 丙戌 六曜: 赤口 九星: 五黄土星

今日のあれこれ: クリスマス

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(名古屋 ノリタケの森 クリスマスガーデン
観るなび
http://www.nihon-kankou.or.jp/illumination/searchDetail.jsp?ken__=aichi&shi__=23100&id__=IV2332
より転載



『日本のクリスマスの歴史・行事

明治維新以前
1552
年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)において、カトリック教会(イエズス会)の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが、日本で初めてのクリスマスである。しかし、その後江戸幕府の禁教令によってキリスト教は禁止されたことで、明治の初めまでの200年以上の間、隠れキリシタン以外には全く受け入れられることはなかった。

一部の例外として、長崎出島のオランダ商館に出入りするオランダ人たちは、キリスト教を禁止する幕府に配慮しつつ、自分たちがクリスマスを祝うため、オランダの冬至の祭りという方便でオランダ正月を開催していた。これには幕府の役人や、通訳や蘭学者などオランダ人と付き合いのある日本人も招かれた。また、長崎に住むオランダ通の日本人たちの間でも、これを真似て祝うことがあった。オランダ商館の者たちは、江戸に出仕する事もあったが、彼らを迎え入れる江戸の役人たちは、オランダ正月を参考に、オランダの料理や文物などを用意してオランダ人たちをもてなしたとされる。

明治時代
日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900[26](明治33年)に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。

大正時代
大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の12月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入された。1925年(大正14年)に日本で初めてクリスマスシール(結核撲滅の寄付切手)が発行される。

昭和(戦前)
明治以来、皇位継承に伴って日が変更される休日には天長節(天皇誕生日)と先帝祭(先帝崩御日)の2つがあった。1926年(大正15年)1225日の大正天皇崩御に伴い、1927年(昭和2年)34日に当時の休日法「休日ニ関スル件」が改正され、昭和時代の先帝祭にあたる大正天皇祭(1225日)が設定された。日本でクリスマスの習慣が広く普及したのは1225日が休日となっていたこの時代とされている。

1928
年(昭和3年)の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していた[27]

昭和初期の頃、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店においてはクリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。この様子を1931年(昭和6年)1212日の都新聞は、「七千四百余のカフェと二千五百余の喫茶店に華やかにクリスマスが訪れサンタ爺さん大多忙を来たす」と報じた。

第二次世界大戦の最中、1944年に撮影された『加藤隼戦闘隊』では、前線部隊の食堂でクリスマスツリーが飾られてるシーンが映っているなど、戦争中でもクリスマスを祝う者はいたようである。

昭和(戦後)・平成
1948
年(昭和23年)720日に「国民の祝日に関する法律」が施行され、大正天皇祭は休日から外されてしまったが、以降もクリスマスは年中行事として定着し、行事も盛大に行われるようになった。商業施設では早いところは11月上旬からクリスマスツリーが飾られ、クリスマスセール等が行われる。店内にはクリスマスソングが流れ、洋菓子店ではクリスマスケーキが販売される。街中では街路樹に豆電球(2010年代以降は省エネに配慮してLED照明)が飾り付けられる(イルミネーション)。庭のある家庭では、庭木などに電飾を施すこともある。商業施設などの場合、1224日のクリスマス・イヴにイベントなどを開くことがある。

イギリスおよび英連邦諸国では、1226日に使用人や配達人などにプレゼントを渡すボクシング・デーがあり、16日までをクリスマス期間ともしている[2]のに対して、日本では1226日になると、クリスマスの飾りが一転して門松などの正月飾り(日本の神道式)に付け替えられたり、小売店などでも正月準備用や大掃除用商品の陳列・販売が中心となる、BGMも『お正月』が流れる、という点が特異である。近年では、11日の「カウントダウンイベント」が盛んになる1231日深夜まで、イルミネーションがそのままにされているところも出てきている。

日本でもクリスマスは大きなイベントとして定着したが、やはり本場のキリスト教圏と比べるとその規模は小さいという指摘もある。旅行サイトのスカイスキャナーが発表している「クリスマスを避けるために行く国トップ10」のランキングでは、イスラム国家のサウジアラビア、アルジェリア、イランや、仏教国のタイ、国家に従わない宗教を弾圧している中国や北朝鮮などを押さえ、日本が1位となっている[28]

なお、先帝祭は休日から外されてしまったものの、宮中祭祀では変わることなく行われている。1989年(昭和64年)17日の昭和天皇崩御に伴い、平成時代の先帝祭にあたる昭和天皇祭が、ユリウス暦を採用する正教会のクリスマスと同日の17日となり、2代続けてクリスマスにまつわる日となっている。
...』(Wikipedia



クリスマスの俳句:




・惑星におのことおみなクリスマス 朝日彩湖




・クリスマスカード選ぶ銀座に灯の点り  島田和子




・街に出るただそれだけのクリスマス  千田百里




・クリスマスキャロルの那覇に着陸す  坂中紀子




・ガジュマルも椰子も電飾クリスマス  坂中紀子




・シーサーに星降る島のクリスマス  坂中紀子





朝日のクリスマスは大きい。
島田と千田のクリスマスは小さく、慎ましい。
日本のクリスマスは、宗教色はない。
だから却って楽しいクリスマス。

坂中のクリスマスは、那覇の旅人としてのクリスマス。
那覇には雪のクリスマスはないが、ガジュマルも椰子もシーサーもある。
今年は、那覇でのクリスマス。


名古屋のノリタケの森の「クリスマスガーデン2017」は今年も開催されてきた。
『ノリタケの森の冬の風物詩であるサンタと高さ14mの巨大クリスマスツリーが今年も登場!日没からは約4万球のイルミネーションが灯り園内を彩ります。

■実施期間:1111()1225()
■点灯時間: 日没~19
 
1221()25()21時まで
■休園日: 毎週月曜日 ※1225()は開園
■その他: 入園無料(クラフトセンター・ミュージアムのみ有料)』

今日でお終いだ。
一度行ってみよう。




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2017年12月24日(日) 記事No.649

2017/12/24 (日) 旧暦:117日 祝日・節気: クリスマス・イヴ 日出 :647分 日没:1633分 月出:1036分 月没:2153分 月齢:5.85 干支: 乙酉 六曜: 大安 九星: 四緑木星

今日のあれこれ: 鷹

「神奈川県の野鳥:旋回するオオタカ(20140113 122901)


https://youtu.be/nSjPuZ6TAYA



『鷹:    のすり、八角鷹、熊鷹、鶚、青鷹、蒼鷹、もろがへり、大鷹
三冬
ワシ、タカ科の中形の鳥類の総称で、色彩は主に暗褐色。嘴は強く鋭く曲がり、脚には強い大きな鉤爪があり小動物を襲って食べる。
鷹狩に使われているのは主に大鷹である。蒼鷹(もろがえり)は、生後三年を経たたかのこと。』
(季語と歳時記)



鷹の俳句:



・一湾の鷹大いなる空のあり  吉野のぶ子



・汽車蛇行峻嶺の空鷹舞へる  高橋カズ子



・加へつついよよ高きへ鷹柱  鷹羽狩行



・雲遠く鷹なほ遠く渡るかな  今井千鶴子



・火の島や鷹日輪に燃えて舞ふ  尾辻のり子




大空高く飛んでいる鷹。
広い世界を見渡しながら飛んでいる鷹の目は鋭くよく見える。
獲物を探す鳥の目は、恐ろしいほど澄んでいる。

その姿の雄大さが俳人たちの心を捉える。
鷹のように大空を自由に飛んでみたい。
心も視野も広く下界を見渡してみたい。

行動的な人は、ハンググライダーに乗って、大空に飛び出したりする。
それ程行動力のない人も今ではドローンがある。

空に眼だけ飛ばすことができる。





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