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  • 2017年02月 の記事一覧

2017年02月28日(火) 記事No.1092

2017/2/28 (火) 旧暦:23日 祝日・節気:  日出 :612分 日没:1735分 月出:710分 月没:1917分 月齢:1.5 干支: 丙戌 六曜: 仏滅 九星: 二黒土星

今日のあれこれ: 今日は、利休忌、織部の日。

2
28日はお茶に縁のある日だ。

千利休は、天正191591)年228日、豊臣秀吉の勘気に触れ切腹した。

切腹の前日、遺偈を書いたとされる。

「人生七十 力圍希 咄
吾這宝剣 祖仏共殺
提ル我得具足の一太刀
今此時そ天に抛


禅僧柴山全慶は、この遺偈に関した書の中で、中国12世紀の禅僧韓利休の詩を紹介しているそうだ。

「人生七十力囲希
肉痩骨枯気未微
這裡咄提王宝剣
露呈仏祖共殺機


詩の内容は兎も角、名前利休の一致と詩の一致は、どう考えたら良いのだろう。

利休の遺偈は、真筆なのだろうか?
歴史の話は、わからないことが多い。

織部の日は、岐阜県土岐市が制定した日だそうだ。
1599(慶長4)年のこの日、千利休亡き後の豊臣秀吉の茶頭・古田織部が、自分で焼いた茶器を用いて茶会を開いた。この器が後に織部焼と呼ばれるようになった。」
というのが理由だそうだ。
織部焼というのは緑色の釉薬で、和風の焼き物の代表的なものだ。

利休は、秀吉により切腹を命じられたが、古田織部は利休亡き後秀吉に寵愛された。
秀吉亡き後、織部は関が原の戦いでは徳川につき、存続したが、慶長20年(1615年)大坂夏の陣では豊臣方に内通したと咎められ、切腹した。

茶人は、安楽な人だというイメージは今のもので、権力者の側にいて活躍した利休も織部も切腹しているのは因果を感じさせる。


利休の遺偈は、禅語臭くて解りにくい。
死にあたって、簡素なわび茶の立場に立つ利休が本当に書いたのかと思う。

現在の家元制度の基盤を築き上げ千家茶道中興の祖といわれる表千家7代の如心斎の辞世の方が解りやすい。

「生也天然 死也天然
畢竟如何 天然々々




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2017年02月27日(月) 記事No.1093

2017/2/27 (月) 旧暦:22日 祝日・節気:  日出 :613分 日没:1734分 月出:632分 月没:1813分 月齢:0.5 干支: 乙酉 六曜: 先負 九星: 一白水星


今日のあれこれ: 季語 春近し・春隣

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(まゆふぉん@ゲームで冒険が大好き♪
https://twitter.com/mayutantann
より転載)



『春隣: 春近し、明日の春、春信、春まぢか、春とおからじ
晩冬
晩冬には寒さが緩む日が多く、春の訪れを感じることが多くなる。
春の隣は春が近いということ。春がもうすぐそこまで来ていること。春の気配。春を待ちわびる気持ちに立った季語。』
(季語と歳時記)



春近し・春隣の俳句:



・伊勢湾に白き帆のあり春隣  大橋淳一



・絵馬の山天満宮に春近し  夏目満子



・オムレツの丘がきらきら春近し  山元志津香



・あやとりの子供となりぬ春隣  天 野きく江



・縁側のおひるごはんや春近し  林裕美子




今日は、関東は寒かったようだが、東海地方は春の陽射しが明るく射した。
それでも、午後になると、風が出始め、陽射しも盛りを越え冬らしさが戻った。

天気予報でも、3月は平年より温かく、春らしだが感じられると話していた。

春隣は晩冬の季語だから、今日使うのは遅いが、今年の冬は晴れても冷たい北風が吹き続け、春らしさは感じられなかった。
感覚としては、昨日今日が春隣、春近しだ。

俳人たちも、春隣・春近しの季語を使って、心を弾ませている。
心が自然に弾む季語は良いものだ。





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2017年02月26日(日) 記事No.1094


今年の東京マラソンはコースが変更され、タイムが出やすい高速コースになった。

そのためか、タイムを狙う世界の一級選手がエントリーした。
世界記録を狙うと言っていたウイルソン・クプサングは、言葉通り、最初から飛ばし、途中までは世界新のペースで走った。
最後は独走し、3分台の国内最高記録を出し、圧勝した。

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日本選手も若手が台頭し、将来の芽が感じられたのは良かった。

8分代前半の井上も良かったが、11位に入った設楽が面白かった。
最初先頭集団着いて行き、無謀な走りで、35kmから先潰れるだろうと思ったが、最後まで走りきったのは立派だった。
初マラソンで積極果敢な走りで9分台は評価されるべきだ。


キプサングの優勝インタビューの時、身体の違いがわかった。こめかみに血管1本が浮いて見える、脂肪は全くない。
筋肉は足は勿論、腕や肩にも確りついている。

軽くするために細いだけでは駄目だ。
スタミナとスピードの両立には筋肉が必要なことを証明している。
上半身の筋トレを相当しているのではないかと思う。

日本のマラソンは、キプサングから学ぶことが必要だ。



『キプサング、国内初の2時間3分台で優勝!井上が日本勢トップ8位
スポニチアネックス2/26() 11:15配信

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東京マラソンで2時間3分58秒のタイムで初優勝を飾ったキプサング

東京マラソンは26日、都庁前~東京駅前の新コースで行われ、男子は前世界記録保持者のウィルソン・キプサング(34=ケニア)が初優勝。世界新記録には届かなかったが、日本国内のレースで初の2時間3分台となる2時間3分58秒の快記録をマークした。今夏の世界選手権(ロンドン)選考会を兼ねる日本勢では、井上大仁(24=MHPS)が日本勢最高の8位に入った。

【写真】東京マラソンには著名人も多数出場。沿道の歓声にこたえる林家たい平

今大会からより平たんなコースに変わったことから、デニス・キメット(33=ケニア)が14年ベルリンで記録した2時間2分57秒の世界記録を超える「2時間2分50秒」を狙うと宣言していたキプサング。その言葉通りに序盤から引っ張り、世界記録を上回るハイペースでレースを展開。東洋大時代に箱根駅伝で活躍したマラソン初挑戦の設楽悠太(25=ホンダ)が日本人トップを快走し、こちらは日本記録を大きく上回るペースで折り返し地点を通過した。

終始先頭集団を快走するキプサングは、ペースメーカーが外れた30キロ過ぎには14年の大会覇者ディクソン・チュンバ(30=ケニア)とトップを並走。35キロ付近でチュンバを引き離すと、その後はややペースは落としたものの、そのまま独走で東京駅のゴールテープを切った。優勝タイムの2時間3分58秒は、09年の福岡国際でツェガエ・ケベデ(30=エチオピア)がマークした2時間5分18秒を超える日本国内での最高記録となった。

設楽は30キロ過ぎからペースを落とし、徐々に追い上げた井上が38キロで逆転。井上はアフリカ勢には及ばなかったものの、2時間8分22秒で日本勢トップの8位に入った。山本浩之(30=コニカミノルタ)が2時間9分12秒で10位、設楽は2時間9分27秒で全体11位、日本勢3位と健闘した。』(スポニチアネックス
)



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2017年02月26日(日) 記事No.1095

2017/2/26 (日) 旧暦:21日 祝日・節気: 朔 日出 :615分 日没:1733分 月出:553分 月没:1709分 月齢:29.12 干支: 甲申 六曜: 友引 九星: 九紫火星

今日のあれこれ: 2・26事件

昭和11年(1936226皇道派の陸軍青年将校が1,483名の下士官兵を率いてクーデターを実行した。
今日の東海地方は晴れたが、81年前の東京は雪だった。

事件の詳細は以下Wikipedia参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E9.99.B8.E8.BB.8D.E7.9C.81

事件を引き起こした青年将校の立場から見ると、心情的には理解できる点もあるが、クーデターとか政治的な側面から見ると、事件後の政治体制の周到な準備もなく行き当たりばったりの事件と考えざるを得ない。

青年将校の誤算は、天皇陛下の怒りだった。

君側の奸を討って天皇親政の国家改造論を実現することを夢想した青年将校に対し天皇陛下は、明確な意志を持ったリアリストだった。

早朝、本庄侍従武官長が参内すると、天皇陛下は大元帥の軍装に着替えておられ、早く事件を終息させよと言われた。

事件が鎮圧された29日までの間、軍部の対応は迷いが在ったが、天皇陛下は一貫して暴徒を鎮圧せよと言われている。

青年将校たちの意を受けた川島陸軍大臣が参内すると
“今回のことは、精神の如何を問わず、不本意である。速やかに事件を鎮定するように”と言われた。

ところが、陸軍は陸軍大臣告示を出し、青年将校におもねるような態度を取った。
「決起の趣旨については天聴に達せられあり、諸子の行動は国体顕現の至情に基づくものと認む…」
これを聴いた青年将校は、事成れりと喜んだ。

天皇陛下は、暫定内閣も認めず、現行体制での速やかな鎮圧を指示された。
統帥部は、甲府他の部隊を東京に呼んだ。

この間、天皇陛下は
“朕、自らが近衛師団を率いて、その鎮圧に当たらん”とまで言われたそうだ。

天皇陛下の意志は、迷っていた軍の考えも討伐に変えた。
賊軍になれば大義は失われることは明らかだ。

青年将校たちが天皇の意志を忖度できなかったことが、彼らの悲劇だったと考えられる。




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2017年02月25日(土) 記事No.1096


受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法の改正案が検討されており、居酒屋や焼き鳥屋等の小規模飲食店も禁煙にする方針だそうだ。

飲食店や一部の議員から反対意見が出ているらしいが、是非実現して欲しい。

酒の香りや料理の匂いがわからなくなる煙草の煙は、百害あって一益なし。

酒をこれから楽しもう、美味しい料理をいただこうとする時、隣でタバコを吸われると、がっかりすると同時に怒りがこみ上げる。
自分は、酒も料理も楽しんだから、一服かもしれぬが、こちらはこれからだ。
自分さえ良ければ、他人の迷惑など考えなくても良い人間がタバコを吸うのだ。
法律で取り締まらなければ、客も店もタバコを止めやしない。

後退させること無く、是非実現してもらいたい。


『小規模居酒屋、例外とせず=「飲食店禁煙」法案で検討―厚労省
時事通信2/25() 10:08配信

「飲食店は原則禁煙」などの受動喫煙対策を盛り込んだ健康増進法改正案をめぐり、厚生労働省が小規模な居酒屋や焼き鳥屋も例外としない方向で検討していることが25日、関係者への取材で分かった。


厚労省は飲食業界などの反発を受け、未成年が原則立ち入らない床面積が約30平方メートル以下の小規模なバーやスナックは例外とする修正案を検討している。

ただ、居酒屋や焼き鳥屋は酒類を提供する一方、家族連れや外国人観光客も多く訪れるため、レストランやラーメン店などと同様、喫煙室の設置も可能な屋内全面禁煙が必要と判断した。例外の範囲を広げ過ぎると、規制の実効性が失われることも考慮した。

厚労省は今国会への法案提出を目指しているが、自民党内で「小規模な飲食店はやっていけない」などの反対意見が根強く、調整が難航する可能性もある。 』
(時事通信)





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2017年02月25日(土) 記事No.1097

2017/2/25 (土) 旧暦:129日 祝日・節気:  日出 :616分 日没:1732分 月出:512分 月没:1607分 月齢:28.12 干支: 癸未 六曜: 大安 九星: 八白土星

今日のあれこれ: ジョルジュ・ドン(Jorge Donn)の生まれた日

ジョルジュ・ドン(Jorge Itovich Donn)は、1947225日、アルゼンチン・ブエノスアイレスに生まれている。

5
歳にバレエを始め、15歳の時にモーリス・ベジャール主宰の20世紀バレエ団の公演を見て、後を追いフランスに渡り入団し、才能を開花させた。

彼が有名になったのは、ラヴェルの「ボレロ」の踊りだ。

まずは見てみよう。
14
50秒と長いが、通してみることをお薦めする。
15
分を費やす価値のある踊りだ。


Jorge Donn, Bolero-1982.

https://youtu.be/m5CFJlzlGKM


音楽「ボレロ」と一体になった人間の身体の動きに魅せられる。
ボデービルの人工的な筋肉美とは違う踊りが生んだ肉体の弾む美しさだ。

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歳の死と共に、肉体は滅んでしまったが。ドンのボレロはレガシーとして生きつづけるだろう。


【データ】

公式サイト
http://jp.jorgedonn.com/index.html


ジョルジュ・ドン
Wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B3



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2017年02月24日(金) 記事No.1098


Otra Noche Contigo
ZIN66に収録されている。
ZUMBA Fitness
のオリジナル曲である。

最近、ZUMBA Fitnessのオリジナル曲の動画はyoutubeで見ることができなくなった。

登録されても、削除されてしまうからだ。

Otra Noche Contigo
と言う名前の曲は、ZUMBA以外の曲もいくつかあるので、それらばかりは出てくる。
今日探したら、一つ見つかった。


"Otra Noche Contigo" ZIN vol. 66

https://youtu.be/ZcpIFyYbw-E


歌詞も探したが、勿論見つからない。
Otra Noche Contigo
と言う題名は、「またの夜をあなたと一緒に」と言う意味だ。


この動画も、また削除されるかもしれない。

こんな状態が続くと、ZUMBAは、世界のZUMBAファンの支持を失う日が来るかもしれない。



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2017年02月24日(金) 記事No.1099

2017/2/24 (金) 旧暦:128日 祝日・節気:  日出 :617分 日没:1731分 月出:429分 月没:1508分 月齢:27.12 干支: 壬午 六曜: 仏滅 九星: 七赤金星

今日のあれこれ: 今日の言葉 民主主義

オスカー・ワイルドの言葉

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CNN.co.jp
http://www.cnn.co.jp/photo/l/419875.html
より転載)


「民主主義とは、人民の人民による人民のための脅しにすぎない。」

原文は
Democracy means simply the bludgeoning of the people by the people for the people.

となっている。

Bludgeon
と言う言葉の意味は、
1
a 〈…を〉こん棒で打つ.

b 〈人を〉(棒などで)殴って〔…の状態に〕する 〔to.
bludgeon a person to death 人を打ち殺す.

c+目的語+補語〕〈人を〉(棒などで)殴って〈…の状態に〉する.
bludgeon a person senseless 人を殴って人事不省にする.

2
〈人を〉強制して〔ある行動を〕させる 〔into.
bludgeon a person into agreeing 人に無理やり同意させる.」(英和辞典・和英辞典- Weblio辞書 英和辞典・和英辞典)

なので、the bludgeoningは「脅し」より強制とか無理強いの方が適当ではないかと思う。
書き換えれば
「民主主義は、人民の人民による人民のための無理強いを意味するにすぎない。」となる。


最近の日本で、気になる現象は、SNSの存在により炎上が起きることだ。
これは、仲間内ではLINEによる個性の圧殺、いじめ、集団の掟の強制につながる。
社会では、警察官や先生や社員の言動に対し、多数意見であるかどうかわからない大きな騒がしい声が個人・企業を攻撃する炎上に繋がる。

民主主義というのは、みんな同じ顔をして同じことを喋るのっぺらぼうの集まる社会ではなくて、それぞれの個性が尊重される社会を意味するものだとすれば、オスカー・ワイルドの言う通りだ。

民主主義を生きるには、我が道を行く意思と人からの圧力に耐える勇気が必要だ。




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2017年02月23日(木) 記事No.1100


Parate
Megamix56に収録されている。

この曲について、調べたがわからない。
今まで調べた中で最も彷徨った曲の一つだ。

Parate
から辿っても、迷路でそれらしい道はない。
Tony J
なる人を追っても、政治家や学者や音楽とは関係ない人ばかりが登場する。アーティストも出てきたが、soulJazzで同じ人とは思われない。

Official Video
など見つかりそうもない。

兎に角、スタジオの動画でも良いから、曲を聞いてみよう。

Mega Mix 56 "Parate" Latin Urban Choreography by Aksana

https://youtu.be/IcjKWl1QTeY



Parate
の歌詞を探したが、勿論見つからない。
Parate」は、スペイン語で「止まれ」、「立ち上がれ」と言う意味のようだが、歌詞がわからないので歌の内容もわからない。


彷徨った挙句、諦めかけた時youtubeでは、出てこなかった、次の動画を見つけた。

PARATE- ZUMBA FITNESS 2017, TONY JR- L&M TONY JR MARLONT RHENALS

https://youtu.be/N0spRtGVYMk


この動画の最後に、情報があった。
TONY JR DE LAS SALAS」という文字が見えた。

これをキーワードに検索すると、次の動画が見つかった。

TONY JR - SIN TU AMOR

https://youtu.be/DxUGXQBdRT8

チャンネル登録名を見ると、Tony Jと書かれている。
このチャンネルが糸口になり、道がひらけた。

Tony J
の公式サイトに行き、経歴を見ると、
Tony J
はアメリカのフロリダ州在住のラテン・アーバンのスター。
彼はコロンビア出身で、父親はコロンビアの有名なミュージシャン、Antonio Manuel De Las Salasだった。
音楽に囲まれて育ち、ラテン系ジャンルの様々なジャンルの音楽(ダディ・ヤンキー、ピットブル、アルカンジェル、Jバルバンなど)を聴き、音楽の才能を開花させた。

早くも12歳で、サルサ、メレンゲ、クンビア、ヴァレナートなどの様々なラテン系ジャンルの曲をライブで演奏した。

16
歳で4曲のオリジナルソングを録音している。
年齢は若いが、音楽の経歴は長く、これからの活躍が期待されるアーティストと思われる。


【データ】

Tony J
に関心のある方は、下記サイトで情報を得る事ができ、他の曲も聴くことができる。

公式サイト:
http://www.tonyjmusic.com/#home-1-section


twitter

https://twitter.com/MusicTonyJ


Instagram

https://www.instagram.com/tonyjofficial/


Sportify

https://open.spotify.com/artist/7ipuqpDiN80vqVa42Tk40j


youtube

https://www.youtube.com/channel/UCOaLQY-UpKGwhX3e0eAYbOg


google+

https://plus.google.com/+TonyJr




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2017年02月23日(木) 記事No.1101

2017/2/23 (木) 旧暦:127日 祝日・節気:  日出 :618分 日没:1730分 月出:343分 月没:1411分 月齢:26.12 干支: 辛巳 六曜: 先負 九星: 六白金星

今日は、皇太子殿下のご誕生の日。
1960
(昭和35)年223日、今上天皇皇后両陛下のご長男として誕生され、229日に命名の儀において昭和天皇が浩宮徳仁(ひろのみや なるひと)と命名された。

両陛下は、旧来の皇室の慣例にこだわられず皇太子を養育された。
専任の養育係をおかず、両陛下自ら手元に置き養育をされた。
ご養育の様子は国民に報道され、新しい皇室像の形成に繋がり、皇室と国民の関係を親しく・近いものにされた。

57
歳の誕生日にあたり、皇太子は記者会見をされている。
今上陛下のご退位の問題があり、政府が検討を進めているが、次の天皇である皇太子のお言葉にも充分耳を傾ける必要がある。


(全録)皇太子さま、誕生日に先立ち記者会見」

https://youtu.be/yYtI-IF30Eo


大切なお言葉なので、長文だが全文を転載する。

『【全文】皇太子さま 57歳の誕生日記者会見
ホウドウキョク2/23() 13:17配信

(天皇陛下は昨年8月に公表された象徴の務めに対するおことばで、即位後に象徴天皇としてご自身が歩まれてきた道や、高齢となった天皇の在り方についてお考えを表明されました。表明に至るまで、殿下は天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きになり、表明されたおことばをどのように受け止められましたか。
今後、天皇、皇后両陛下にどのようにお過ごしになっていただきたいかという点もお聞かせください)

「昨年88日の天皇陛下のおことばを、私は、愛知県での公務を終えた後の名古屋駅で厳粛な思いで伺いました。
天皇陛下のお考えをいつ、どのような形でお聞きしたか、というお尋ねについては、何か特別な場でそういったお話があったというわけではありませんし、私自身は折に触れて陛下のお考えを直接お聞かせいただいたり、あるいは、そのお姿やお話しぶりから推し量ることもございましたので、明確にいつどの機会にどういった形でということを申し上げるのは難しいと思います。天皇陛下には、御即位以来、長年にわたり象徴天皇としてのお務めを果たされる中で、そのあるべき姿について真摯に模索してこられました。今回のお考えは、そうした模索と熟慮の結果を踏まえ、また、内閣を始め主な関係者とも御相談なさった上で、おまとめになられたものであろうと思います。
思い返しますと、私が初めて両陛下の御公務に御一緒させていただいたのは、恐らく、私が4歳で、陛下が皇太子でいらっしゃった昭和39年の東京オリンピックではなかったかと思います。それ以来、ボーイスカウト、ジャンボリー、高校総合体育大会、冬季スケート国体など、そういった行事にお連れいただきましたが、その度に、両陛下が一つ一つの行事を大切に思われ、真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりました。
ですので、今回、陛下がおことばの中で「全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」と御案じになられていることに、とても心を揺さぶられましたが、同時に陛下のお気持ちがそこに至った背景につきましては十分お察し申し上げていると思います。
私といたしましては、陛下のお考えを真摯に重く受け止めますとともに、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめつつ務めに取り組んでまいりたいと思います。
また、両陛下の御健康を御案じ申し上げつつ、両陛下には、お身体をお大切になさり、末永くお元気でいらっしゃることを心から願っております。それとともに、これからは、御自身のためにお使いになる時間をもう少しお取りになれるとよろしいのではないかと思っています。」



(政府が設置した有識者会議で象徴天皇の在り方について議論が重ねられており、国民の関心も高まっています。次期皇位継承者である殿下ご自身は象徴天皇とはどのような存在で、その活動はどうあるべきとお考えでしょうか。殿下が即位されれば皇后となられる雅子さまの将来の務めについて、お二人でどのようなお話をされておられますか)

「象徴天皇については、陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこれまで何度かお話ししたように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。陛下は、おことばの中で「天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。
私も、阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には、雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ、被災された方々から直接、大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが、少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。
また、ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが、そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております。

このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。
昨年の8月、私は、愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に、戦国時代の16世紀中頃のことですが、洪水など天候不順による飢饉や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が、苦しむ人々のために、諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。
私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います。
私が、この後奈良天皇の宸翰を拝見したのは、88日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。
時代は異なりますが、図らずも、2日続けて、天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。

私がここ10年ほど関わっている「水」問題については、水は人々の生活にとって不可欠なものであると同時に洪水などの災害をもたらすものです。このように、「水」を切り口として、国民生活の安定、発展、豊かさや防災などに考えを巡らせていくこともできると思います。私としては、今後とも、国民の幸せや、世界各地の人々の生活向上を願っていく上での、一つの軸として、「水」問題への取組を大切にしていければと思っております。
また、私のこうした思いについては、日頃から雅子とも話をしてきており、将来の務めについても話し合っていきたいと考えております。」



(ご家族について伺います。雅子さまは式典への出席が増えるなど着実に活動の幅を広げられました。殿下が感じられた雅子さまの変化や現在のご体調についてお聞かせください。愛子さまはこの1年、両殿下とのお出ましが増える一方、体調を崩され学校を長期欠席されることもありました。春には高校進学を控える愛子さまのご様子、進学や皇族としての活動など今後に寄せられる思いについてもお聞かせください)

「雅子は、治療を続ける中で、体調に気を付けながら、努力と工夫を重ね、公私にわたってできる限りの務めを果たそうとしております。その結果、昨年は、式典への出席回数も増え、また、4月の神武天皇二千六百年式年祭の儀や、6月の岩手県での復興状況視察、8月の「山の日」記念全国大会など、公的な活動を、少しずつではありますが、一つ一つ着実に積み重ねてきており、それがまた本人の自信にもつながり、活動の幅が広がってきていることを、私としてもうれしく思っております。
また、東宮御所内での仕事などでも、私をよく支えてくれておりますし、愛子が体調を崩した折を始め、母親として愛子の成長を見守り、導いてくれていることに、心から感謝しております。このように、雅子は着実に快復してきておりますが、一方で、依然として体調には波もありますので、引き続き焦ることなく、慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。国民の皆様には、これまで雅子に温かく心を寄せていただいておりますことに、改めて心より感謝の気持ちを表すとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。

愛子については、先生方や多くの友達に囲まれ、中学校生活の最後をとても有意義に、そして楽しく過ごしているようです。一時期体調を崩したこともあり、皆様に御心配をお掛けいたしましたが、雅子の支えもあり、今はふだんどおり学校生活に戻っております。
また、昨年は、夏休みの機会に、神武天皇山陵の参拝や、「水を考えるつどい」、「山の日」記念全国大会など、様々な行事や場所に3人で出掛けることができました。こうした機会を通じて、皇族としての務めについての理解を深め、また、自覚と役割を学びつつあるように思います。4月からは高校生になり、新たな環境に身を置くことになりますが、今後とも、機会を捉えていろいろな経験を積んで、人として、また、皇族の一員として、健やかに成長していくことを願っております。天皇皇后両陛下には、日頃、私ども家族を温かくお見守りいただいておりますことに、心から感謝申し上げます。」



(皇族方の減少や高齢化が進む中、皇室の現状や将来の在り方についてどのようにお考えでしょうか。両陛下の負担軽減や皇族方による公務の引継ぎ、分担についての殿下のお考えもお聞かせください)

「皇室の現状についての御質問ですが、男性皇族の割合が減り、高齢化が進んでいること、また、女性皇族は結婚により皇籍を離れなければならないということを前提とした場合に、皇族が現在行っている公務をどのように引き継ぎ、どう分担していくべきかという点は、将来の皇室の在り方とも関係し、大切な問題であると思います。そして、皇室の将来の在り方に関しては、私は、以前にも申しましたけれども、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います。
過去から様々なことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと考えております。公務の引継ぎや分担につきましては、お仕事の一つ一つを心から大切にしてこられた陛下のお気持ちを十分に踏まえながら、私を始め、皇族が適切に役割を担っていくことが重要であると思います。
一昨年から、こどもの日と敬老の日にちなんでの施設訪問を両陛下から秋篠宮と共に受け継がせていただきましたし、昨年は、小中学校長の拝謁及び国際緊急援助隊・国際平和協力隊の接見を私が引き継がせていただくことになりました。
また、昨日まで、陛下の名代として第8回アジア冬季競技大会の開会式に出席するため、北海道を訪れておりました。
私としては、今後とも、引き継がせていただいた公務を大切に務めながら、少しでもお役に立つことがあれば、喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思っています。なお、皇室の制度面の事柄については、私が言及することは控えたいと思います。」

(この1年を振り返り、印象に残った公務や社会、皇室の出来事についてお聞かせください)

「この1年を振り返ると、昨年と同じように、国内外で多くの自然災害が発生し、各地で人々に大きな被害をもたらすとともに、多数の方々の命を奪ったことを、とても残念に思います。日本では、4月に発生した熊本地震により、被災者は今なお不安を抱えながら生活を続けておられると聞いております。8月末に東北地方と北海道を襲った台風10号による大雨は、北海道や、震災からの復興という険しい道のりを歩む岩手県に大きな傷跡を残しました。世界に目を向けても、エクアドルやイタリアなどで地震が発生し、それぞれ数百名が亡くなられるなど、人々の生活に大きな影響を与えています。こうした災害により、不幸にも犠牲になられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
東日本大震災の発生から今年の3月で6年となりますが、昨年6月、復興状況視察のため岩手県を訪れました折には、着実に復興が進んでいることを実感すると同時に、引き続き仮設住宅にお住まいの方々が御苦労を重ねながら日々暮らしていらっしゃることを伺い、心が痛みました。被災された方々が1日も早く安心して暮らせるよう、被災者お一人お一人の御健康と幸せを祈りながら、今後とも、雅子と共に、被災者に寄り添い、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

そのほか、国内の出来事としては、7月下旬、神奈川県の障害者施設が襲われ19人もの尊い命が失われた事件に、大きな衝撃を受けました。また、高齢者による交通事故のニュースや子供を含む格差の問題もよく目にするようになったと感じており、気に懸かっております。
日本国外でも、依然として世界各地でテロ事件が頻発しており、難民の問題もいまだ解決の糸口が見えておりません。そのような中で、リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピック大会では、難民選手団が結成され、人々の拍手に応えて明るい表情で入場行進をしている姿には、安堵と喜びを覚えました。
現在の世の中で、特に子供やお年寄り、障害者といった社会的に弱い立場にいる人々が犠牲になっていることは、とても残念に思います。全ての人が広い心を持って、お互いを尊重し合い、こうした弱い立場にある人々を含め、皆が安心して暮らせる社会を構築するために、地域社会、さらには国際社会全体が一つになって知恵を出し合い、協力していくことが、より一層求められる時代になっていると感じます。

明るいニュースとしましては、夏のリオデジャネイロでのオリンピック・パラリンピックにおける日本選手団の活躍や、長年にわたるオートファジーの研究を評価された大隅良典博士のノーベル生理学・医学賞受賞などがありました。
世界の中で日本人がそれぞれの分野で高く評価され、あるいは、世界の第一線で活躍していることの証であり、とてもうれしく思います。

皇室の出来事としては、やはり昨年10月に三笠宮崇仁親王殿下がこう薨去されたことが思い出されます。三笠宮殿下には、私が学生だった時代、歴史研究のお話を伺い、研究者としての心構え、姿勢を学ばせていただいたことを感慨深く思い出します。また、私のみならず、雅子も愛子も、本当によくしていただきましたので、改めて、これまで私たちに寄せていただいた御厚意に感謝申し上げるとともに、心から御冥福をお祈り申し上げます。

また、我が国皇室と関係の深かったタイのプミポン国王が崩御されたことも、悲しい出来事でした。タイ王室の方々とタイ国民の皆様に対して、心から哀悼の意を表したいと思います。印象に残った公務についての質問ですけれども、地方や都内での式典や視察、東宮御所内での行事など、いずれもそれぞれに特徴があり、
印象深いものでしたので、特にこの公務と挙げることは難しいと思います。この週末に訪れた北海道を含め、地方訪問では、暑さや寒さの厳しい時もありましたが、長い時間沿道に立ち並び、いつも、私や、雅子も一緒の時には私たち2人を、温かく笑顔で迎えてくださった方々のお気持ちを、とてもうれしく思いました。また、視察先や東宮御所での行事などで、若い世代の方々とお話をする機会がありますが、皆さんが、目を輝かせながら自分たちの進みたい道を力強く語られるのを見て、とても心強く思いました。
なお、この1年間、私たち家族としては、活動の幅を広げることができた1年ではなかったかと思います。先ほどもお話ししましたように、雅子は、治療を続けながら、努力と工夫を重ね、岩手県での復興状況視察、長野県での「山の日」記念全国大会、岐阜県での農業担い手サミットのほか、賢所での神武天皇二千六百年式年祭の儀や、都内での式典にも数多く出席するなど、公的な活動を少しずつですが着実に積み重ねることができました。
また、愛子も、8月の「水を考えるつどい」の機会に初めての式典参加を経験するなど、様々な行事に3人で出掛けることができました。
国民の皆様が私たちを温かく見守り、また、支えてくださったことに、改めて心から感謝いたします。」

(ホウドウキョク Fuji Television Network




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