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  • 2011年01月 の記事一覧

2011年01月31日(月) 記事No.5135

2011/1/31 (月) 旧暦: 12月28日    6時42分  17時06分  4時29分  14時24分  26.75  丙戌 (へいじゅつ,ひのえいぬ)  先負  五黄土星 


今日の季語: かまくら


 



(今日の出来事ロジー より転載)


『かまくらとは秋田県、新潟県など日本の降雪地に伝わる小正月の伝統行事。 雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。


一般には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。また、 新潟県の魚沼地方では、同様の雪洞や行事のことを「ほんやら洞」という。


かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある。


小正月の行事の中でも700年の伝統を持つ、美郷町六郷で行われる「六郷のカマクラ行事」は、小正月行事本来の姿が保たれているとして重要無形民俗文化財に指定されている。』(Wikipedia)



かまくらの俳句:


・かまくらといふ一塊の子等の城 涌羅由美


・かまくらに九九を数ふる声揃ひ 井口光雄


・かまくらに上弦の月母を呼ぶ 森屋慶基


・かまくらに村つ子犬つ子入り混じり 大塚美孝


・かまくらに美しき火を頒けてゆく 長田等



今日で1月も終わり。
相変わらず日本海側では大雪が続いている。
こちらも今日は雪、交通が乱れて大変だった。
雪も過ぎれば害だが、楽しむこともできる。
むしろ楽しむべきだ。


冬の夜の暗さの中に明るく照らされたかまくら。
その中で時間を過ごすことは、非日常的で夢のようで楽しい。
子供時代にかまくらで遊ぶことが出来た人は幸せだ。


おとなになってのかまくらも楽しい。
新穂高平湯のかまくらは大きく暖かかった。
中でいただいた焼き餅もぜんざいも美味しく思い出に残っている。



 

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2011年01月30日(日) 記事No.5136

2011/1/30 (日) 旧暦: 12月27日    6時43分  17時05分  3時37分  13時25分  25.75  乙酉 (いつゆう,きのととり)  友引  四緑木星 


今日の季語:煮凝(にこごり)




 



(蒸し雲胆と蟹の煮凝り)


蒸し雲胆と蟹の煮凝り [鮨なが井]


2月も残り3日。
早いものですね。


鮨なが井の
店主おまかせコースは
毎月献立内容が変わるので、
2月(如月)の献立も
残り3日。


前菜の
"蒸し雲胆と蟹の煮凝り"。


美味しいバフン雲丹に
軽く塩をして、
蒸し器で蒸し上げます。
流し箱に、蒸しウニを
ふんだんに並べて、
出汁を流し込み固めます。
上の段には、
ズワイ蟹をたくさん並べて
また出汁を流し込み
固めます。


切り分けると
ウニとズワイ蟹の
黄色と赤の色あいが
とても綺麗で、
煮凝りの部分は、
透き通っていて
見た目にとても綺麗です。
』(でかじりペンギン寿司屋女将修行★ より転載)


 


煮凝の俳句: 


・煮凝にまづート箸を下しけり 久保田万太郎


・煮凝のつかみどころをさがしをり 西村純吉


・煮凝の忽ち溶ける飯の上 大畑利一


・煮凝やおそろしきまで星の数 岩月通子


・煮凝やにぎやかに星移りゐる 原裕 青垣



煮凝は子供の頃から好きだ。
と言っても子供だから写真のような上等な料理ではなく、魚や鳥の煮物が冷めて固まった煮凝だが。
 温度が高くなってくると箸ではつかみにくくなる。ご飯に乗せては只の汁になってしまう。


煮凝と星を詠む感性が捉えられない。
宇宙のひとつの星に過ぎない地球も温度が絶対温度の0度になれば全て固まってしまう。其処には時間は存在しなくなる。と言った科学的な想像力は働く。


煮凝の中に閉じこめられたものが、何か星のように見えただけのことなのだろうか。



 

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2011年01月30日(日) 記事No.5137

 


 
(時事通信)


午前0時から開始された決勝戦は、再び延長戦になる接戦となった。
 日本も時々好機はあるが、オーストラリアがロングボールを上げ、体当りしてくるパワープレーに押され気味の時間が長く続いた。
 何時、オーストラリアが点を取るかという場面が、何度も繰り返される。守備を突破され、川島は一人で守る場面が4度。何時点を取られるか、ハラハラが90分続き、延長の前半15分も過ぎ、後半も同じような場面が予想されたが、4分過ぎ長友が粘り、走りこんだ李に合わせてクロス。李がGKの動きをよく見ながら、右に蹴らずに、難しい左にボレーシュートを放って、決めた。
 一瞬の攻撃をしっかりと掴んだのは日本だった。


残り、11分もオーストラリアに攻め込まれたが、凌ぎ続けた。終了間際、相手のハンドは採らなかったレフリーが岡崎のハンドを採ってフリーキックを与えたときは、悪夢の再来かと思われたが、相手の焦りに助けられ、逃げ切った。


経過はとにかく、従来分の悪かった韓国にもオーストラリアにも競り勝ったザックジャパンは賞賛に価する。


応援するのは大変だが、ドラマよりドラマなザックジャパン・ドラマが拍手喝采のうちに終了した。
 目出度い幕引きだったが、これから寂しくなる。



 



『日本最多4度目V 李が決勝弾/アジア杯
2011年1月30日(日)10:08


<アジア杯:日本1-0オーストラリア>◇29日◇決勝◇カタール


 李の決勝弾でザックジャパンがアジアの頂点に立った。日本(FIFAランク29位)はカリファ競技場で行われた決勝でオーストラリア(同26位)と対戦。0-0のまま突入した延長戦の末、勝利した。延長後半4分に途中出場のFW李忠成(25=広島)がDF長友佑都(24)の左からのクロスを左足ボレーでたたき込み、値千金の決勝ゴールを奪った。準々決勝、準決勝に続く控え組の大活躍で、日本が2大会ぶり、史上最多となる4度目のアジア制覇を成し遂げた。


 ザックジャパンの3人目のラッキーボーイが、アジア制覇をたぐり寄せた。試合を決めたのは、延長前半9分から途中出場した李だった。同後半4分、長友の左からのクロスを受け、豪快な左足ボレーで値千金の決勝点を奪取。故障離脱した昨季まで広島で同僚だったDF槙野の得意とする弓を射るゴールパフォーマンスを披露すると、歓喜の疾走、そしてザッケローニ監督に抱きついた。


 準々決勝カタール戦で出場停止のDF内田の代役DF伊野波が決勝点、準決勝韓国戦でも途中出場のMF細貝がゴールを奪った。そしてこの日、またもや生まれたラッキーボーイ。12月中旬に左ひざ半月板を手術したFW森本(カターニア)の「代役」で代表初招集の男が、「得点を奪うことでチームに貢献したい」との言葉通りの一撃をオーストラリアにお見舞いした。


 日の丸を背負うことに人一倍の責任感と誇りを持つ。韓国国籍で日本に生まれ、04年にはU-19韓国代表候補として、韓国での強化合宿にも招集された。


 その後も、元韓国代表の洪明甫氏から韓国の五輪代表入りを熱望されたが、悩み抜いた末に出した結論は「日本のために、日本人になる」。06年9月に日本国籍取得の申請を出し、07年2月に「日本人・李忠成」が誕生した。


 国籍変更をしてまで、たどりついた日本代表。U-23代表として出場した北京五輪では振るわなかったからこそ、今回初招集された日本代表には決意を持って合流した。だから、カタール入り後も「日本を背負う誇りを胸に戦いたい。せっかくのチャンスだから、これをいかして代表に残りたい」と覚悟を固めていた。


 MF本田圭を中心に攻めながら好機をいかせず、逆に大型なオーストラリアの体格をいかした攻めで大苦戦を強いられるチームメートをベンチから我慢して見つめていた。監督から出場を告げられると、ベンチ前で仲間とタッチ。今大会は初戦のヨルダン戦のみの出場だったが、「今は耐えなければいけない時。ここで切れたらおしまい」とひたすら我慢。昨季途中までは広島で控え暮らしながら、終盤にエースFW佐藤の故障離脱でチャンスをつかみ、12戦11発で代表もつかんだ我慢の男が、ザッケローニ監督の期待に応えた。


 ザックジャパンのライバルは多い。前田、森本、岡崎…。だが、「裏への飛び出しには自信がある」と言い切る。「代表に生き残りたい」。日本人を選び、日本を人一倍誇りに思う男の一撃が、ザックジャパンを4度目のアジアの頂点に導いた。【菅家大輔】
』(日刊スポーツ)



高くて屈強なオーストラリアに何度も決定的なピンチを招いた。
 中澤が卒業し、闘莉王がいない守備は大会前は不安があった。だがザックジャパンは、泥臭く体を張って守った。
 DFもよく頑張ったし、川島の韓国戦と今日の決勝戦の活躍は素晴らしかった。


 



(トムソンロイター)


 気迫を持ちながら相手の動きを見届け、ぎりぎりのところで右手のひらだけ右足甲だけ体を横に投げ出し防ぎきった。
 PK戦で韓国のキッカーに両手を左右に大きく広げて、威嚇した気迫は素晴らしかった。あの迫力に韓国選手は失敗を誘発された。


ザッケローニ監督の采配も冴え渡った。
途中出場させた選手が次々と点を決めた。
韓国戦の細貝、今日の李。
 打つ手がことごとく有効だったのは、監督が選手をうまく鼓舞したからだ。


オーストラリアは強かった。だが、最後の詰めが単調で強引だった。川島が再三ファイン・セーブできたのは、その単調さを予測したからだろう。
 メッシのように余裕を持って、冷静にフェイントを使われたりすれば、一度は防ぎきれなかっただろう。


オーストラリア側の感想がある。


オーストラリア主将のルーカス・ニール
李の決勝ゴールについて「ほんのわずかの間、疲労のせいで集中が途切れた。このレベルでは自分たちがチャンスをつかまなければ、相手にチャンスを譲ることになる」。


ホルガー・オジェック監督
「チャンスはあったがものにできず、それが後に失点となってはね返った。もっと冷静に戦うべきだった」。


幸運の女神は何度も微笑んでくれない。
ワンチャンスをものにする何かが必要だ。今日のザックジャパンにはそれがあった。
 オーストラリアにはそれがなかった。



香川、松井、森本、闘莉王が復帰すれば、もっと強いザックジャパンが生まれる。
 今後の活躍にまた期待したい。



 

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2011年01月29日(土) 記事No.5138

2011/1/29 (土) 旧暦: 12月26日    6時43分  17時04分  2時40分  12時30分  24.75  甲申 (こうしん,きのえさる)  先勝  三碧木星  小犯土終、十方暮入


今日の季語: 雪催(ゆきもよい)
      今にも雪の降りそうな空模様。雪模様。
      《季 冬》「湯帰りや灯ともしころの―/荷風」
                 (デジタル大辞泉)


 



(山歩きメモ関西在住です より転載)



雪催の俳句:


・からすみの琥珀色透く雪催 築城百々平


・五百羅漢声あげてをり雪催 蓬田紀枝子


・人中や風船ゆきて雪催 秋元不死男


・刃物屋の暗さが匂ひ雪催ひ 行方克己 無言劇


・雪催ひことこと妻の土鍋煮ゆ 岸本砂郷



ただでさえ暗い冬の空を黒い雪雲が覆うと、街は薄暗く夕闇のようになる。
 その暗さにもかかわらずというかだからこそというか、俳人はその中にカラフルな風船を見たり五百羅漢の声を聞いたり土鍋の煮える音を聞いたりする。
 明日からはまた大雪の襲来だそうだ。


昨晩、沖縄から帰ったが、沖縄が暖かかったせいか、その反動で今日は一日、寒かった。
 暖かかった沖縄のことを思い出して、心を温かく保つより方法がない。


それにしても雪の前は寒い。


 

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2011年01月28日(金) 記事No.5139


旅行最終日は本格的な雨になった。
こんな日はあまり動きまわるには適さない。


毎回お参りしている魂魄の塔内の島根の塔には行かなければならない。


読谷村から出て南下し、沖縄南ICから高速道路である沖縄自動車道に乗る。都合の良いことに、今は社会実験のためにこの道路は無料化が行われている。
 空港から先の豊見城まですべて無料化の対象区間だ。


高速道路に入ると、以前の沖縄自動車道とは様子が違っていた。以前は車が少なく高速道路らしかったが、今は58号線のように車で一杯だ。走行車線も追越車線もベルトコンベアー状態だ。
 58号線も渋滞するほどだから、高速道の無料化は沖縄にとっては必要なことだろう。
 豊見城ICから降りると、一般道は車がなく穏やかな沖縄の風景に戻った。


毎回訪れている思い出の場所である平和祈念公園までは足を伸ばさず、島根の塔のみにする。
 本島南部の糸満市に所在する米須霊域は、平和祈念公園と並ぶ霊域で、島根の塔も東京の碑と共にこの霊域にある。
 場所は、那覇方面から来ればひめゆりの塔を通りすぎてすぐのところを右折し海岸近くまで行ったところだ。


 


 近くのビーチはサーフィンの適地らしくサーファーをよく見かける。


 
島根の塔も、今日は雨の中だ。
毎回訪れているが完全な雨は初めてだ。
写真では明るく写っているが、実際は薄暗い。


 


碑面の田部長右衛門知事の言葉を読みながら、戦後日本の礎・根となってくれている霊に感謝の念を捧げて手を合わせる。


 美しく花開くためにはそ
 のかくれた根のたえまない
 営みがあるように 私達の
 平和で心静かな日々には
 この地に散ったあなた達
 の深い悲しみと苦しみが
 そのいしずえになっている
 ことを思い ここに深い祈
 りを捧げます



 昭和四十四年三月
 島根県知事 田部長右衛門



お参りを済ませて、旧交を温めるべく那覇に向かう。



 

(13)散歩・お出かけ |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2011年01月28日(金) 記事No.5140


那覇に着いたのが1時近くなったので、お気に入りの「ゆうなんぎい」に昼食に行く。


タワーパーキングに駐車し、傘をさして歩く。


 
待た無くてもよいか心配したが、勤め人の昼食が終わったのだろう、席は空いていた。



 




定食を進められるが、あまりお腹が空いていないので、多くは注文できない。
 フーチャンプルーとてびち煮付けを注文する。


 



カウンターは、いつもの通り変わっていない。


 
壁に有名人の色紙が貼ってある。
見ると山田洋次監督の色紙がある。
字だけの簡単な色紙だが解りやすい。
その後、寅さんを連れてきたのだろうか
確かめるのを忘れた。


 



昼間は、ご飯・味噌汁・漬物がつけてもらいことができる。


 
ゆうなんぎいのフーチャンプルーは、麸が大きくふんわりとした柔らかい口当たりがおおらかな印象だ。花織のものは、麸が小さく香ばしい。どちらも美味しい。


 
てびちも癖が無く、身離れがよく、骨までしゃぶりつくすことができる。


今回は、ゆうなんぎいに昼しか来れなかったが、叉の機会に夜来ることにしよう。



 

(12)飲むこと・食べること |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2011年01月28日(金) 記事No.5141


ゆうなんぎいを出て、旧交を温めるべく、以前お世話になったウチナンチュに会いに行く。
 用意してきたおみやげを手渡すと、向こうもおみやげを用意してくれた、おみやげを入れるケースのスペースはもう無いのだが、嬉しいことだ。
 久しぶりにあって、変わりがないことを確認する。変わったのは年齢だけだと、お互いに自己満足して。


帰りの飛行機は夕方の便なので、時間はたっぷりある。
今度は、持って帰るおみやげの買い物だ。


お世話になっている人へのお菓子を買い、わしたショップを見ていると、やちむんの里では見かけなかった海老紋の盃が置いてあった。


 
白い釉薬をかけ海老の文様が彫られている。



 
少し大ぶりの高台のある形で、これなら日本酒にも使えるので買うことにした。


レンタカーを返す間でにまだ時間があるので、沖縄アウトレットモールあしびなーで時間を潰すことにする。
 雨の日なのだがあしびなーは人が多かった。
みな同じことを考えるのだろう、観光客風の人たちが同じように店舗巡りを行っている。


時間になり、レンタカーを返却し、バスで空港まで送ってもらい、搭乗手続きを終え、飛行機に乗り、天気は良くなかったが多少の揺れはあったが大きく揺れることもなく、無事中部国際空港に到着したのは流れるように予定通りであった。


実は、空港から家までの間に少事件が起きたのだが、これに付いては語るまい。
 終わりよければすべてよしだから。



終わってしまえば、一瞬のようだが、今回の沖縄訪問は内容が濃いものがあった。
・世界遺産の訪問完成
・泡盛蔵の見学
・今帰仁、読谷の歴史
・新しい呑みどころ・食べどころの開拓
今回の成果の先に、また次の沖縄訪問への道が開けている。


沖縄に何度も行くのはどうしてだろうと考える。
其処は思い出に満ちた場所であるからだともいえるが、センチメンタルジャーニーは前々回で終わった。沖縄には今も未来もある。
思い出だけの場所ではない。


理由はよく解らないが、沖縄に行くと元気になる。
それが一番の理由かもしれない。
飲んで・食べて・楽しく過ごして、それで元気になることも確かだが。
 お刺身を差し入れてくれた田舎者の大将・黒砂糖を袋に入れてくれた道のそばのおばちゃん、駐車場で車を寄せてくれたウチナンチュの青年、GOえん代行の運転手さんたちの温かさを感じながら...。



 

(13)散歩・お出かけ |  トラックバック(0) |  コメント(0) |  記事を編集 | 

2011年01月28日(金) 記事No.5142

2011/1/28 (金) 旧暦: 12月25日    6時44分  17時03分  1時37分  11時40分  23.75  癸未 (きび,みずのとひつじ)  赤口  二黒土星 


今日の季語: 寒牡丹


 



(My photo memory(バード) より転載)


『ボタン(牡丹、学名:Paeonia suffruticosa)は、ボタン科ボタン属の落葉小低木。


または、ボタン属(Paeonia)の総称。 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」など多数。


以前はキンポウゲ科に分類されていたが、おしべ・花床の形状の違いから現在はシャクヤクとともにビワモドキ目に編入され、独立のボタン科とされている。(※)
...
園芸
樹高は原種で3m、接木で作られる園芸品種で1~1.5m。


従来は種からの栽培しかできなくて正に「高嶺の花」であったが、戦後に芍薬を使用した接ぎ木が考案され、急速に普及した。


鉢植えや台木苗で市場に出回る。


 園芸品種
春牡丹
春牡丹は4~5月に開花する一般的な品種。


寒牡丹
春と秋に花をつける二季咲きの変種。通常は、春にできる蕾は摘み取り、秋にできる蕾のみを残し10月下旬~1月に開花させる。


冬牡丹
春牡丹と同じ品種を1~2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもの。寒牡丹と混同されることが多いが、これは放置すると春咲きに戻ってしまう。』(Wikipedia)



寒牡丹の俳句:


・開く音ありやと待てり寒牡丹 能村登四郎


・寒牡丹淡く色よしこもを着て 保田一豊


・寒牡丹白きほむらの激しさに 長山あや


・恋心あり白抄の寒牡丹 菊池育子


・寒牡丹巫女が匂ひて通りけり 石鍋みさ代


・寒牡丹僧が手塩のくれなゐに 中川濱子



厳しい冬の凍てる中に花を開く寒牡丹。
春は遠いが、ボタンの回りは明るく華やかだ。
見つめていると恋心も蘇る。
それは神に傅く巫女も、仏に仕えて修行する僧侶でも変わりはない。
 春は桜だが、寒中は牡丹を見て心を蘇らせよう。


季語としては、寒牡丹も冬牡丹も区別はなさそうだが、園芸品種としては区別されるもののようだ。



 

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2011年01月27日(木) 記事No.5143


昨日は、北部を回り、時間を刻んで動いたので忙しかった。
3日目の今日は、蔵見学を午前中に済ませてから、沖縄の世界遺産で登録後まだ見ていない中城城跡を見て、後は読谷の見所を幾つか自由に見てまわる予定だ。
 夜は、ツアーのホテルの夕食が付いているのでホテルだが、収まらなければ、残す読谷物語に出かけるかもしれない。


ホテルの朝食はビュッフェ。
 
スクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコンは元々は好きなのだが、沖縄旅行では今ひとつしっくり来ない。
 沖縄の料理、和の漬物がいい感じだ。


 
右上がソーキの煮込み。
昨日は塩味だったが今日は砂糖醤油だ。砂糖醤油のほうが美味しいと思った。
 このホテルのソーキは、軟骨の骨が小さいので、軟骨までボリボリ食べられるのが良い。肌とか関節とか張りとか潤いとかを保つには格好の食べ物だ。煮込んで脂を落としてあるのでそんなにギトギトではない。


 



カーテンを開け、ベランダに出ると、風が強い。
岬のホテルだから冬場はやむを得ない。
此処の風車は絶えず回っている、効率よく発電しているだろう。


 
見回すと、鉛色の空なので、海も青くはない。


 
岬の灯台も見える。


 
晴れてはいないが、雨は降ってはいない。
旅行前の天気予報では毎日雨だったが、今日も大きく崩れる事はなさそうだ。


ホテルから車で出て、蔵見学の前の時間を利用して、岬の灯台に行ってみる。


 
灯台の手前に銅像が立っていた。


泰期(たいき)像と書いてある。
沖縄では有名な人なのだろうが、初めて聞く名前である。
 泰期像は約180cm、像が指しているのは中国福建省の方向だそうだ。


 


台座によれば、この像は、2008年に読谷村商工会によって建てられたとある。


また「おもろそうし」の歌と歌われている泰期のことが書かれた碑がある。


 
 おざのたちよもいや
 たうあきない
 はゑらちへ
 あんじに おもわれ  
又 いぢへきたちよもいや


  



解説によれば、
『読谷山(現読谷村)宇座の泰期は、1372年、察度王の御名代として、中国への初の進貢使となった人です。
よって泰期は、中国の歴史に初めて名を留めた琉球の人物となり、「明史」に3回、「明実録」に5回も登場します。
中国へ進貢すると、莫大なみかえり品が贈られますので、
「おもろさうし」では唐商い(とう商い、中国との交易)としたのです。
泰期こそは、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者だったのです。』


1372年といえは、本土では室町時代、三代将軍足利義満の時代である。
 泰期は、かなり古い時代の人だ。


調べてみると、中国の『明史 琉球伝』には以下のような記載があるとのことだ。
「(洪武)五年正月(1372年2 月)行人楊載に命じて、即位建元の詔を以て、其の国(琉球)に告げしむ。其の中山王察度、弟泰期等を遣わして、載に随いて入朝し、方物を貢する」。


「おもろそうし」は、
『「おもろさうし」(おもろそうし)とは、尚清王代の嘉靖10年(1531年)から尚豊王代の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌集。沖縄の古い歌謡であるおもろを集録したものである。漢字表記すれば「おもろ草紙」となり、大和の「草紙」に倣って命名されたものと考えられる。なお「おもろ」の語源は「うむい(=思い)」であり、そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられている。全22巻。』(Wikipedia)


「おもろそうし」の歌に付いての研究がある。
『五 たう(唐)


琉球は中国皇帝の冊封を受けることによって、中国との交易を開始継続してきたのである。そればかりか、冊封
国同志の交易もできた。小さな海洋国琉球はその地位を十二分に利用して、舟揖をもって万国を橋梁として物貨を
交易して栄えたのだった。なかでも圧倒的に中国との交易が多かった。『おもろさうし』にもそのことが反映して
いる。巻一五の六六、読谷山関係のおもろに、


おざのたちよもいや(宇座の泰期さまは)
たうあきないはゑらちへ(唐商いを流行させて)
あんじにおもはれれ(按司に愛されよ)
又いぢへきたちよもいや(出来物泰期さまは)


とある。一三七一一年明の太祖が楊載を使者として遣わし、中山王察度を招論する。実質的な冊封である。これに対
して察度は王弟と称して泰期を派遣する。進貢貿易の開始である。巻一四の一に、


ぢやなもいや(謝名さまは)
たがなちやるくわが(誰が生んだ子か)
こがきよらさ(こんなにも美しく)
こがみぽしや(こんなにも見たくなる)
あよるな(あるよまあ)
又ももぢやらの(大勢の按司の)
あぐでおちやるこちやぐち(待ち望んでいた倉庫の扉を)
ぢやなもいしゆあけたれ(謝名さまこそ開けた)
又ぢやなもいがぢやなうへばるのぽて(謝名さまが謝名上原に上って)
けやげたるつよは(蹴りあげた露は)
つよからどかばしやある(露さえも香ばしい)


とある。確かな根拠は示されているとは言えないが、ここの「ぢやなもい」は察度のことと言われる。王朝を開き
中国との関係を始めた偉丈夫として、尋常ならざる生誕、按司たちが羨望した異国の至宝が充満した宝庫、まさに
その扉を開いた英雄として、おもろでも讃えられている。』
(『おもろさうし』にあらわれた異国と異域 池宮正治著
  琉球大学 日本東洋文化論集(9): 15-36 より転載)



読谷には「いちへき泰期のあちねー魂」と言うスローガンがあるそうだ。
 「いちへき」というのは勇気のあるということ。「あちねー」というのは、商売のことだそうだ。
「あちねー」は商(あきない)の訛りと想像がつくが、「いちへき」はなんだろう。


調べてみると、「いちへき」は漢字では、「意地気」と書くそうだ。


この表記で想像されるのは、「意気地」だ。「いくじ」は「いきじ」の音変化である。
「いきじ」は、事をやりとげようとする気力。


逆に「意気地がない」は、
1 やりとげようとがんばる気力がない。
2 だらしがない。しまりがない。
と考えてくれば、
「いちへき」とは「いきじ」と考えて間違いないだろう。


何時の時代もどこでも意気地は必要だ。



琉歌「特牛節」の碑もある。
 
「大北の牡牛や なじち葉ど好ちゅる わした若者や 花ど好ちゅる」


 
「大西村(読谷の古称)の強い牡牛は、なじちゃの草が大好きであるが、われわれ若者たちは美しい花(美童)が大好きである。」


本土にも和歌・俳句の石碑が各地にあるように、沖縄には琉歌の石碑がたくさんある。この碑もその一つだ。
琉歌とは、
「本土の和歌に対して、沖縄の歌を琉歌という。和歌は、5・7・5・7・7の5句ク31音(みそひともじ)だが、琉歌は、8・8・8・6の4句ク30音ン(サンパチロク)である。琉歌は、今から400年ほど前に、三線の伝来普及とともに発展し、氏族から庶民まで幅広い階層で親しまれ、田畑で歌う労働歌、慶事で歌う祝い歌、毛遊びなどでの掛歌・恋歌など普段の生活に密着した歌が数多く残されている。又、現在の生活とも密接なむすびつきがあるのも特徴である。」(琉歌鑑賞より転載)


沖縄には琉球の文化が広く深く横たわっている。
沖縄を愛するということは琉球の文化を愛するということだ。



 
『残波岬灯台(ざんぱみさきとうだい)は、沖縄県の沖縄本島中ほどにある読谷村の残波岬突端に立つ、白亜の大型灯台。周辺は、沖縄海岸国定公園に指定され、30mもの断崖絶壁が約2kmも続く、雄大な景観が広がっている 。


 歴史
1974年(昭和49)3月30日に設置、初点灯された。
2001年(平成13)8月、地元の要望で、参観灯台となり一般公開される。
 一般公開
一般公開(有料大人200円(2008年7月現在))されている参観灯台で、上まで登ることができ、灯台上からは、東シナ海の見晴らしが良く、晴れていれば、粟国島、渡名喜島、久米島などを望むことも出来る。』(Wikipedia)


 


 
灯台近くには航空写真の展示がある。


 



残波岬から見る海は灰色の空と鉛色の海。
冬以外は青空とエメラルドグリーンまたは紺碧の海が見えるだろう。


 
風が猛烈に吹いている。
肌をさす冷たさでは無いが体温を奪う寒さがある。


 
雨は降っていないし、浜辺ではないのだが、時折水が降ってくる。
潮が風に乗ってくるのだろう。
もうそろそろ潮時だ、帰ることにしよう。


 
振り返ると、遠くに、ホテルが見える。


駐車場に戻るとビデオカメラを担いだクルーがいた。
冬の残波岬が題材になるのだろうか。


次の目的、新里酒造の蔵見学に行く時間だ。



 

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2011年01月27日(木) 記事No.5144

琉球王朝時代の泡盛は、18~19世紀には王府が管轄するようになり、首里の赤田・崎山・鳥堀の3箇所に限定され醸造がされていた。
 新里酒造のルーツは、その時代にまで遡る、沖縄最古の蔵元である。
 弘化3年(1846年) 首里、赤田にて初代新里蒲が創業した。160年余の歴史を有する沖縄最古の蔵である。



沖縄市に本社がある新里酒造が首里に無いのは意外だったが、進取の精神により業容を拡大している為のようだ。
 首里から大正年間に那覇市若狭、戦争の混乱期を経て、昭和28年那覇市牧志にて事業再開、昭和63年 沖縄市古謝へ工場を移転、業容の拡大により平成18年4月 うるま市州崎に最新設備を備えた新工場を稼働させ、現在に至っている。



現在泡盛の醸造で広く使われている泡なし酵母「泡盛101号」は、現在の代表者である新里修一社長が沖縄国税事務所の鑑定官であった1988年に開発したものだそうだ。
『この研究は、「泡なし酵母」の気泡に付着しない性質に着目し、従来の「泡盛1号酵母」の中から60億分の1の割合で存在する「泡なし酵母」の分離に成功、これを実用化した。これまで日本酒の製法でも使われてきた「泡なし酵母」分離法を泡盛の製造に応用したもので、この生産性を飛躍的に増やす画期的な研究成果は現在県内ほとんどの酒造所で利用されるものとなった。



泡盛の製造過程で、原料の米を蒸したあと仕込みで種酵母を入れる。ところが、従来の酵母を使用すると酵母が活動すればするほど泡がたち、容器からあふれ、作業員がつきっきりで、泡をかき混ぜたり、仕込み量を減らしたりしていた。泡なし酵母を使用することによって、泡の管理の繁雑がなくなり、仕込みの量が増え、14日間発酵させていたモロミも12日間で蒸留でき、さらにアルコールの生成が速いため、雑菌汚染の割合が低く、アルコールの取得量も増えるという成果がでた。この新しい酵母は「泡盛101号酵母」と命名されている。』(新里酒造HP)
 
泡盛「琉球」を初めて飲んだのは何時だか記憶にないが、意識したのは比較的最近だ。
 昨年1月の沖縄旅行で首里の「ゆくい処 石だたみ」で飲み比べした時である。
 この時の印象は、以下の記事に書いた。
2010/01/29 花見&宴 in 沖縄(2日目)-その5「ゆくい処 石だたみ」
http://blog.goo.ne.jp/nabanatei/s/%A4%E6%A4%AF%A4%A4



そのご機会のあるたびに飲んでいるが、綺麗で爽やかな飲み口は上品さがあり、特に後口の癖の無さが快い。
 今回、蔵見学ができることになったのは楽しみである。




車のナビに任せて走っていくと、沖縄市から離れうるま市へ向かって走っていく。
 うるま市に入ると、車は海の方へ走っていく。運河に掛かった橋を渡り、埋め立てられて開拓された臨海工業団地のような雰囲気に入っていく。
 本当に此処で良いのか不安になって、新里酒造に電話を入れると間違っていない。
 左折すべきところを直進して迷ったりしながら、約束の10時にはなんとか間に合った。



新しく造られた新社屋、工場が立ち並ぶ臨海都市のようなところに新里酒造の蔵はあった。
 6階建てぐらいの高さの大きな建物である。



 




(泡盛百科 より転載)



敷地内に入るとすぐ来客用駐車スペースがあり、便利だ。



 
入り口には、「和醸良酒」の幕が掲げられている。
この言葉は、親しみを感じる。
愛知の日本酒の銘酒「蓬莱泉」でも使用しているからだ。



ドアを入ると事務室で、女性の方が立ち上がって出てこられる。蔵見学で参上しましたと告げると、すぐに担当の方が出てこられた。



蔵見学は最終工程から始まったが、製造工程に従って順序を変更して記載する。



事務所横の入り口から工場内に入る。
工場内には、靴を脱いで専用の履物に履き替える。
白い布の棒を手渡れたので何かと思ったところ、見学用の帽子だった。日本酒の蔵でもここまで衛生管理している蔵は少ない。



出荷場に入ると、出会った従業員が、すべて
"こんにちは"
"いらっしゃいませ"
と挨拶される。
石川の常きげんの蔵鹿野酒造の快い蔵見学を思い出した。



<工場>
このうるま市の新工場は、4年前に作られ、首里から数えると5場所目になる。
 沖縄市の本社工場が生産面で手狭になってきたので、こちらに新工場を建てた。本社工場の方は、もろみ酢の生産、高級泡盛の熟成(甕・樽貯蔵)を行っている。
 新工場では、自社ブランドの醸造の他、PBの生産も積極的に行っている。サントリーが販売する「琉球泡盛 美ら島」もそうである。出荷場には大手居酒屋チェーン向けのオリジナル商品の箱も積まれていた。




<酒米>
 
酒米はタイ米である。
説明では、新里酒造ではすべて丸米を購入する。砕米は一時問題になった事故米の様に品質面に問題がある場合があるので使用しない。丸のままのタイ米を購入し、自社用に砕いて使用している。米の輸入は、一企業では出来ないので政府を経由してになるとのことだった。
 
<洗米>
 



投入された酒米は、パイプを経由して洗米機に送られ、自動的に洗米される。



 
洗米された酒米は、浸漬タンクに運ばれ所定の時間水に浸漬される。
 すべて自動化されているので、洗米から浸漬まで到着するのに1時間程度の時間しかかからないとのことだった。



<蒸し>
 
浸漬された酒米は、パイプで連続蒸米機に送られる。



 
連続蒸米機。
見学者を想定して、機械には説明書きが表示されている。



 
コンベアに載せられた酒米が蒸気で自動的に蒸し上げられる。



<冷却>
 
蒸し上げられた酒米は、連続冷却機に送られる。



 
連続冷却機では、麹を造るために適当な温度まで冷却が自動的に行われる。



 
能力は毎時3tで連続蒸米機とおなじである。



<製麹>
米麹の造りは造る泡盛の酒質に合わせてドラム式と円盤式の二通りの製麹機で行われる。
ドラム式は、ボデーのある味の厚みのある泡盛用の麹が造られる。ドラム式製麹機は1.5tのものが2機ある。
円盤式は直径6mの円盤の床で麹を造る方式。この円盤式で造られる米麹は、白くスッキリとした味わいの泡盛を造るために使用される。(この円盤式は日本酒の蔵でも使われているのもである。)



  



 
ドラム式製麹機。



 
ドラム式製麹機の内部。2機の内こちらは麹の生産中ではなかった。



 
もう一台は運転中。



 
NFT自動製麹装置。
円盤直径6m、製麹能力は1回あたり5t。



 
造られた米麹はパイプを使って仕込みタンクへ自動的に移送される。



<仕込み>

 
仕込みタンクはステンレス製。
内部は二重構造で、外側を冷却用の水が回り、温度制御されている。



 



仕込みタンクの上にあがり、蓋を開けて、中の醪を見せていただく。



 
仕込み直後、1日目の醪。
黒麹を使用しているため、やや緑色がかった黒色の醪。



 
8日目の醪。
泡盛の醪の色は、黒から次第に薄い茶色に変わっていくそうだ。



 
醪の表面。泡なし酵母のため泡は吹きあげていない。



一般的な、泡盛の醪期間は2週間であるが、新里酒造は低温発酵をしているので15日から20日の醪期間で造っているとのことだった。
 日本酒の吟醸酒も純米に比べて低温発酵させるため醪期間は長くなる。新里酒造の泡盛の後口の良さは、この辺りに秘密があるのかもしれない。




 
梅酒が仕込まれているタンクも見せていただいた。

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