2009年03月17日 - 菜花亭日乗
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菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。 散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

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2009-03-17 (Tue)

2009/03/17 日記 3月は別れの月 勿忘草の月

2009/03/17 日記 3月は別れの月 勿忘草の月

2009/3/17(火) 旧暦:2月21日彼岸 日出:5時49分 日没:17時50分 月出:---- 月没:8時57分 月齢:20.06辛酉(しんゆう,かのととり) 六曜:仏滅 九星:四緑木星 選日:一粒万倍日今日の花: 勿忘草(わすれなぐさ) (街角花物語blog より転載) (野の花:Stepping Out より転載)『ワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)は、広義には、ムラサキ科ワスレナグサ属の種の総称。狭義には、ワスレナグサ属の一種、シン...

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2009/3/17(火) 旧暦:2月21日彼岸 日出:5時49分 日没:17時50分 月出:---- 月没:8時57分 月齢:20.06辛酉(しんゆう,かのととり) 六曜:仏滅 九星:四緑木星 選日:一粒万倍日



今日の花: 勿忘草(わすれなぐさ)


 



(街角花物語blog より転載)



 



(野の花:Stepping Out より転載)


『ワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)は、広義には、ムラサキ科ワスレナグサ属の種の総称。狭義には、ワスレナグサ属の一種、シンワスレナグサ(学名:Myosotis scorpioides)の和名。ただし、園芸業界でワスレナグサとして流通しているのは、ノハラワスレナグサ(学名:Myosotis alpestris)、エゾムラサキ(学名:Myosotis sylvatica)、あるいはそれらの種間交配種である。一般には、広義の意味で称される。季語は春である。
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花期は3月~5月(冷涼地では4月~7月)。春から夏にかけて薄青(紫)色・鮮青(紫)色(園芸種はさらに白色・ピンク色など)をした 6~9ミリ径の小さい5弁の花を咲かせ、花冠の喉に黄色・白色の目(小斑点)をもつ。花は多数でさそり型花序をなし、開花とともにサソリの尾のような巻きは解けて真っ直ぐになる。
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この属の種は全般に、ヨーロッパにおいて、肺などの呼吸器疾患(喘息や慢性気管支炎など)に効果があるとされ、民間療法で薬(シロップ薬)として用いられることがある。


欧米諸国では、古来より友愛や誠実の象徴として広く親しまれ、アメリカ合衆国ではアラスカ州の州花にもなっている。(Forget-me-not としてで、種小名は特定されていない。)
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 名前の由来(伝説)
中世ドイツの悲恋伝説に登場する主人公の言葉に因む。


昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「Vergiss-mein-nicht!((僕を)忘れないで)」という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。
このような伝説から、この花の名前は当地ドイツで「フェアギスマインニッヒト(Vergiss-mein-nicht)」と呼ばれ、英名もその直訳の「フォーゲットミーノット(Forget-me-not)」である。日本では、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によって初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳された。それ以外の国々でも、同様の意味の名前が付けられている。


花言葉の「真実の愛」「私を忘れないで下さい」も、この伝説に由来する。


 ワスレナグサにまつわる文学作品
先述した悲恋伝説を詠んだ、ドイツ擬古典主義の詩人・プラーテン(August Graf von Platen-Hallermnde, 1796 - 1835年)の詩
ドイツの詩人ウィルヘルム・アレント(Wilhelm Arent, 1864年 - 没年不明)の詩、「わすれなぐさ(Vergiss-mein-nicht)」
上田敏(1874年-1916年)が翻訳したものが名訳として知られている。(上田敏訳詩集『海潮音』に所収)
北原白秋(1885年 - 1942年)の詠んだ短歌(『桐の花(1913年)』に所収)
フランスの作家マルセル・プルースト(1871 - 1922年)の小説『失われた時を求めて』
ワスレナグサは、メインテーマではないが、重要なメッセージを持つ小道具として計11回登場する。


 ワスレナグサの含まれる歌詞または題名の歌
忘れな草をもう一度 (中島みゆき;1982年)
コバルトブルー (THE BACK HORN)
Forget-me-not (尾崎豊)
勿忘草 (w-inds.)
ワスレナグサ(タテタカコ)』(Wikipedia)


 


勿忘草の俳句:


 ・勿忘草わかものの墓標ばかりなり 石田波郷



 ・花よりも勿忘草といふ名摘む 粟津松彩子



 ・がれきの束わすれな草が咲きました 松本恭子



 ・小さう咲いて勿忘草や妹が許 村上鬼城



 ・勿忘草わすれることが幸せに 加藤元子



3月は別れの月、旅立ちの月。
 別れても、異国であろうと生きていれば逢うことも出来よう。
ルドルフのように死んでしまったら、此の世で逢うことは出来ない。
 大切な人には、名残を惜しんでおこう。


旅立つ人、残る人、それぞれにそれぞれの春が来る。



 

2009-03-17 (Tue)

2009/03/17 驢鞍橋 上巻-36

2009/03/17 驢鞍橋 上巻-36

【原文】師一日語て曰、此前、曹洞宗の僧、江湖頭(ごうこがしら)の立願に、越後国、五地の如来に籠り居ける折節、奥方の坐頭、官の為に上洛するとて、此堂に一宿す。時に彼僧、彼が官銭を盗み忽ち盲目と成、一生愁ひ悔て死す。坐頭は忽ち目明けり。其坐頭の琵琶、如来堂に干今(いまに)有り。我若き時、其僧を見たると、三州にて去僧、慥に語られたり。実に然るべき事也。世の人さへ不能事(あたわざること)を祈るは非儀也。況...

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【原文】
師一日語て曰、此前、曹洞宗の僧、江湖頭(ごうこがしら)の立願に、越後国、五地の如来に籠り居ける折節、奥方の坐頭、官の為に上洛するとて、此堂に一宿す。時に彼僧、彼が官銭を盗み忽ち盲目と成、一生愁ひ悔て死す。坐頭は忽ち目明けり。其坐頭の琵琶、如来堂に干今(いまに)有り。我若き時、其僧を見たると、三州にて去僧、慥に語られたり。実に然るべき事也。世の人さへ不能事(あたわざること)を祈るは非儀也。況や出家杯の名聞利養を祈る程の大罪有んや。各々も、泣き長老に成んより、独庵坊主に成、心安く過らるべしと也。


 


【要約】
 老師がある日言われた。「以前、曹洞宗の僧が江湖会の願かけのため、越後の五地如来堂に籠もっていた時、奥地の座頭が公用の為この堂に一泊した際、この僧が座頭の持参していたお金を盗み、たちまち盲目になってしまい、一生涯悲しみ、後悔して死んだ。座頭はたちまち目が見えるようになった。其の座頭の琵琶が、其の如来堂に今だに現存している。自分が若い時、三河にて、ある僧がその僧を見たと言うのを確かに聞いたことがある。本当に当然のことである。世間の人でさえ為し得ないことを願うのは無理であるのに、出家たるものが名声・利得を願う程の罪深いことがあるだろうか。皆々も長老と言われて泣いて暮らすより、一人草庵に住んで、心安らかに過ごしなさい。」と。


 


【註】
五地: 
 師門物語に「越後国五地如来本地」と言うことが書かれているらしいので、五地如来堂のようなものがあったと思われる。
五智如来:
密教の五智をそれぞれそなえた如来。大日(法界体性智(ほつかいたいしようち))・阿(あしゆく)(大円鏡智)・宝生(ほうしよう)(平等性智)・阿弥陀(妙観察智)・不空成就(成所作智(じようしよさち))の五如来。五智五仏。


江湖: 中国の江西省と湖南省が禅僧の修行の場として中心的位置を占めた。その意味が転じて、天下にある禅僧が集まって、安居し修行することを江湖会と呼ぶようになった。現在では法戦式を含めた、結制修行の意味である。(つらつら日暮らしWiki)


座頭(ざとう): 江戸期における盲人の階級の一。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。(Wikipedia)


名聞利養(みょうもんりよう): 仏語。名声と利得。名誉欲と財欲に駆り立てるもの。
 



【寸言・贅言】
人間がつくりなす組織では、トップ争いが行われる。官公庁、会社、学校はもとより、宗教組織においても同じである。臨済宗、曹洞宗などの大教団になれば、総本山のトップを目指して出世競争が始まる。
 出世欲は迷い・煩悩である。長老と言われて志を失って過ごすより、一人で草庵に住み仏道修行の道を歩む方が良いと正三は説く。
 独庵坊主と言う言葉で思い浮かぶ存在は矢張り良寛だろう。国上寺近くに五合庵を結び、子供達と鞠つきをしながら時を過ごした良寛の姿が想われる。"