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2015年01月01日(木) 記事No.2376


一年の計は元旦にありと言われる。
今年は、自分自身の身の処し方に注意を欠かせない年になっている。

元旦に考えたことは、「桃李不言 下自成蹊」。
読み下せば、「桃李もの言わざれど、下自ら蹊を成す」。

司馬遷の史記の李将軍伝賛に出てくる言葉だ。
『余睹李將軍悛悛如鄙人、口不能道辭。及死之日、天下知與不知、皆爲盡哀。彼其忠實心誠信於士大夫也。諺曰、桃李不言、下自成蹊。』

意味は、桃や李は言葉を使って話すことはないが、美しい花を咲かせ、美味しい実をつける。
花を見に、実を獲りに人々が木の本に通うようになるので、桃李の下には自然に道ができる。


この諺が、今年にピッタリだと思う。
常に振り返ることにしたい。

隠棲の許される年でないのなら、社会に出る意味を考えなければならない。

言葉は必要ではない。
行為が重要だ。
だが自分だけが満足すれは良いものではない。
それは、必要条件であって充分ではない。

行為の結果が、他の人の喜ぶものでなければならない。
此処のところは相当に難しい。
良かれと思っても、言葉か足らなければ理解されない、結果が不十分であれば喜んでは貰えない。
言い換えれば、評価に見合った努力が必要になる。

この辺りの機微を常に念頭に置いて、自らを律する必要がある。
という言い方は受け身だ。

諺の説くところに 自らを律したい。




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2014年10月11日(土) 記事No.2569


ノーベル賞天野浩教授は、人柄によりマスコミに引っ張りだこだ。

3人の受賞者は、それぞれ個性が違う。
赤崎教授は85歳の年齢を感じさせないジェントルマンで品格を感じさせる人、中村教授は怒りの人、天野教授は最も若いが気さくで嫌がらない人。

そのためか、マスコミは天野教授を追っている。
本人ばかりではなく、母親も奥さんも京大生の娘までも取材している。
その報道を見ていると、天野教授の人柄が次第に解ってくる。

外国の空港や朝ホテルから出てきた時の突然のインタビューにも嫌な顔をひとつせずにこやかに答えている。
プライバシーに関わるような質問にも、飾らなくフランクに答えている。

あるインタビューで座右の銘を聞かれ、色紙に書いて準備していた。
見て成る程と感じさせられた。

「憂きことの尚この上に積まれかし
            限りある身の力試さん」


と書かれていた。

聞いた記憶はあるが、誰の言葉か判らなかったので、調べてみた。

山中鹿之介説もあるが、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った故事に寄せて語られるもので、違うようだ。
熊沢蕃山説は、この歌が蕃山全集に収録されているそうなので、蕃山の言葉と考えるのが順当だろう。


熊沢蕃山は、江戸初期の陽明学者である。
京都に生まれ中江藤樹の門に入り陽明学を学ぶ。
長じて岡山藩池田光政に仕え、藩政改革を行い藩政の確立に取り組んだ。
しかし、守旧派の家老と対立し、官学であった朱子学の林羅山からは批判を受け、岡山藩を致仕することになった。

京都に戻り、私塾を開き、次第に名声が高まった。
名声を得るに従い幕府から監視されるところになり、京都所司代から追放されることになった。
その後も幕府の迫害は51歳から73歳まで終生終わること無く続き、藩に幽閉・蟄居させ活動を封じ込めた。
蕃山は、岡山藩致仕後、幕政に対する批判を続けていたためである。

陽明学は、知行合一の原理があり、学問としての知識にとどまることなく、実践を伴う実学であることが要求される。
時の為政者にとっては、変革者の思想である陽明学は邪魔なものに違いない。
蕃山は、幕末期の藤田東湖、吉田松陰、勝海舟に影響を与え、幕府瓦解に繋がったのは歴史の当然の帰結かもしれない。


困難にめげること無く最後までやりぬく意志を呼びかけるこの歌は、天野教授が失敗の状況下に却って、青色LEDの方法を見つけ出した支えとなった。
陽明学は現代でも有効な学問といえる。

この歌を読んでいて、西洋にも同じような考えがあることを想い起こした。

カミュの「シジフォスの神話」とニーチェの「超人」だ。
シジフォスは無意味という不条理に反抗する態度を語っている。
「神々がシシューポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。」

ニーチェは、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思(「かくのごときが人生か、さらばもう一度」)でもって行動する「超人」を説いた。


下世話な話で言えば、普通の人間は3回でめげる。
3回受験に失敗した、3回告白したが実らなかった、3回就活にしくじった、3日連続でパチンコに負けた、ダイエットに3回挑んだが元の木阿弥になった...

甘やかされてなんでも与えられて育った意気地のない人間は、この歌を朝から晩まで呪文のように唱えるか、紙に書いて額に貼るかした方が良い。

現状打破するには、それが一番だ。




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2013年09月10日(火) 記事No.3351


TV
で紅海月(べにくらげ)を取り上げていた。
紅海月は不老不死なのだそうだ。

「ベニクラゲ@新江ノ島水族館」

http://youtu.be/lyHjG9DckQc


普通、クラゲは老いてくると水に溶けて消えてしまう。
このベニクラゲは違う。
老化が進むと、底に沈み、やがて卵に戻り、また成長するそうだ。
つまり、浮かんでは沈みしている内に、時は流れ老いて行く、その果てに玉子に還る。

ニイチェは、永劫回帰の世界にあって、「かくのごときが人生であるか、さらばもう一度」という運命愛の思想を唱えた。
だが、ニイチェが考えるのは個体の生命ではない、生き方・考え方のことだ。
個体の生命が、繰り返し生き続けることが超人ならベニクラゲこそ超人になってしまう。

中国の古代皇帝は不老不死の薬を求めたそうだが、人間にとって不老不死が望ましいことだろうか。

人間が、老いの果てに、赤ん坊に戻るとしたら、意識や記憶はどうなるのだろうか。
意識や記憶が引き継がれないのであれば、それは別の命と考えたほうが自然だ。不老不死とは違った世界だ。

ベニクラゲが二度目の生をどう考えているのかは、本人に聞いてみないとわからないが、多分何も考えはないのだろう。ただ漂って終わってまた繰り返すだけなのだ。
それが生命の本質だといえば言えるが。

人間くらい知能が発達すると、生命の本質から逸脱してしまう変な生命体になる。

日本だけでも年間の自殺者数は3万人を超えている。
原因や背景や理由は様々だろうが、要するにもう生きていたくないと考えて自死を実行するのだ。
実行しないがそう考えている人は何倍もいるだろう。

ニイチェの運命愛は哲学として理解はできるが、不老不死は経済学の世界では、薦められない。
有限の地球で、人間が今の60億から60兆人の人口になったらどうするのだろう。

太陽系以外に移住できる時代が来ればともかく、美しい地球に不老不死は厄災をもたらすだけだろう。

長く生きた老婆が、もうそろそろお迎えに来て欲しいと独り言をいうことがあるが、それは老いの果ての知恵なのだ。


【データ】
ベニクラゲに関心のある人は、以下のサイトが詳しい。

「ベニクラゲ研究室」

http://www2u.biglobe.ne.jp/~moozoo41/index.html




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2013年02月15日(金) 記事No.3741


教えを受けた女性が急逝された。享年85歳。
本当に突然の死だった。
入浴中に心筋梗塞を発症し、静かな死だったそうだ。

生前、ある人の死に際して、あの人は信心深い人だから、周りの人に迷惑をかけることもなく、サッと亡くなった。
自分もそうしたいと語ったことがあるそうだが、その通りの最期だった。

初めてお会いしたのは、今は昔。
ご主人は、温容溢れる笑顔で、青二才の私に温かい言葉をかけてくださった。
お隣に座っていたその人は、若い頃から曖昧と韜晦の中にいた世間知らずの若者の私を導かれようと思われたのだろう。
“人を愛するとか幸せにするとかは、相手の欠点も含めてのことよ”とおっしゃった。

それから幾星霜。
世間知らずの私も、それなりに人生の道筋を歩んできた。
だが、あの言葉の境地には遠く及んではない。
言葉の重さが、次第に重くなるばかりだ。

告別式の会場には、故人を偲ぶため幾枚かの写真が展示されていた。
ご主人と台湾旅行の写真。あの日のように二人並んで静かに座っている。ご主人の大らかな優しい笑顔は記憶のままだ。
友達との中国の石窟仏や香港での写真。最愛のご主人を亡くされた後は、悲しみを癒すために海外によく出かけられたようだ。
昨年、12月の家族一同での食事会の写真。孫やひ孫に囲まれて、中心に静かに座っている。

一番下に女学生時代の写真があった。
戦前の女学校に入学した際の写真だろうか。
制服の下に白いブラウスを着て、斜め左に視線を上げている写真だ。
写真館で撮影したものだそうで、素晴らしいポートレートだ。
まだ幼さの残る可愛らしい顔の輪郭と頬、視線は斜め上遠くを見上げている。
焦点の定まった黒い瞳と引き締まった眉には、可愛らしい顔立ちではあるが、未来への強い意志が感じられる。
この写真の少女は、まだ生きている。今にも写真から抜けだして、羽ばたきそうな力を放射している。

お気に入りのスーツとスカーフを身につけたその人は、柩の開かれている覗き窓の下で安らかな顔をしていた。
長患いせずに忽然と世を去ったためなのか、思う通りの死のためなのか、実に静かな顔をして眠っている。
死化粧をしたその顔は、美しくさえある。髪は上品なシルバーグレイに変わっているが、小さく引き締まった可愛い顔は女学生時代のままだ。
黒い瞳は閉じられているが、まあるい顎の辺りには柔らかい意志が漂っている。
女学生時代のその人が目を閉じて眠っているようだ。

その夜は、春の雨にしては、バシャバシャと落ちる強い雨だった。
急を聞いて駆けつける車のワイパーは、跳ね除けるようの雨を振り払っていた。
拾骨の日は、春らしく柔らかな雨が、降っては止み、止んでは降っていた。
時間を待つ火葬場の窓から見える裏山には、山茶花が葉よりも多く紅い花を咲かせていた。

その夜、浅い眠りから覚め、眠ることができなくなった私は、昔のことばを思い出していた。
こころを整理するために、知らず追悼の句を考えていた。



・逝く人の少女時代よ春隣



・若者に贈ることのは春隣



・迷う夜に明くる朝来る春隣



・まじまじと雪降る夜の死化粧



・吹雪の夜去りて朝に春隣



・白骨となる日も雨降り春隣



・白骨と魂拾う春の雨



・焼き場裏山茶花紅く雨の中




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2012年06月20日(水) 記事No.4188


橋下市長が、御堂筋を人が集い歩く街に変える企画を明らかにした。

道路のビルは、入居企業の窓が立ち並ぶ光景は親しみがわかないし、特に足を運び歩いてみたいと思いもしない。
そんな街並みがどの都市にも溢れている。

お洒落な商店が、入り口を開放し、明るいカフェには人が集まりにこやかに話し合っている。
通りの街路樹には風が吹き抜けている。
そんな光景の街並みであれば、二人なら勿論一人でも足を運んで歩いて見るだろう。
何か素敵なことに出会えそうな気がして。

都市を活性化するには良い方法だ、世界の成功体験を迷うこと無く取り入れ実行することは良いことだ。
まず、変わることが必要なのだから。

この企画には、もう応援歌が用意されている。
前にも紹介した「御堂筋を歩こう」だ。


http://youtu.be/8ZWCvfo00iA


この詩を口ずさみなから、みんなが御堂筋をそぞろ歩けば、もうシャンゼリゼになる時は、すぐそこだ。

御堂筋を歩こう!!

『橋下市長、御堂筋「シャンゼリゼ」化作戦を検討
2012
620日(水)16:17

大阪市の橋下徹市長が、メーンストリート・御堂筋のにぎわい作りのため、沿道のオフィスビル1階にカフェやブランドショップなど商業テナントが入居した場合、ビルの固定資産税を軽減する優遇策を検討していることがわかった。

集客施設を積極的に誘致し、パリ・シャンゼリゼ通りのような「歩いて楽しいストリート」にしたい考えだ。

梅田と難波を結ぶ御堂筋(約4キロ)の沿道には、大手銀行や生保会社などのビルが並ぶ。ただ、1階部分は銀行窓口や会社事務所が多く、夜間や休日には人通りが少なくなるなど、「にぎわいに欠ける」と指摘されていた。

市によると、市街地活性化の固定資産税優遇策は、浜松市や埼玉県志木市などで1階部分に店舗を置く建物の新築、増築の場合に5年間、軽減しているケースがあるという。』
(YOMIURIONLINE)




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