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2018年08月15日(水) 記事No.277


行方不明になっていた2歳の男の子が発見された。

発見したのは大分からボランティアで捜索に参加していた尾畠春夫氏。

この人のインタビューのニュースを見て感じたこと。
話の内容もさることながら、画面に書かれている(78歳)の文字と画面の人物との乖離だった。

話しっぷりや表情や外見は78歳と不釣り合いで、60歳前後に見える。

話の内容も、どうして発見できたのか理解ができる。
子供は下には行かず上に行くという過去の経験から、不明になった地点から上を捜索した。
大声で名前を呼びかけながら探すこと、僅か20分で発見したそうだ。

話の途中、発見したときの嬉しさを思い出して、涙を拭っている。
感情豊かな人だ。

後で、ネットで記事を探してみると、立派な過去を持つ人であることがわかり、成る程と得心できた。


『「罰を受けても直に家族にお渡ししたかった」行方不明2歳児を発見した尾畠春夫さんが会見
座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答えた。

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山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子を発見した捜索ボランティアの男性が15日午後、報道陣の取材に応じた。

発見したのは、大分県の尾畠春夫さん(78)。「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきたという。

今回も広島県でのボランティアを終え、一時帰宅していたが、報道を見て昨日午後に現地入りし、捜索に当たっていた。「大分の佐伯で2歳の女の子を探した経験から、下るということはないと思っていた。不思議なもんで、子どもっていうのは、上に上がるのが好きみたい」と話し、今朝は家族から行方不明になった場所を聞いて、「絶対この上にいるなと確信した」という。

そして尾畠さんが理稀ちゃんの名前を叫びながら、曽祖父の家の北側にある山を700メートルほど登っていたとき、「おいちゃん、ここ!」という返事が聞こえ、沢の苔むした岩の上に座っている理稀ちゃんを見つけたという。

「一瞬、心臓が止まりそうな感じがした。近づいて、"頑張ったね"と言って、飴の袋を取り出したら、袋ごと取って手を突っ込んで開けようとした。自分では破れなかったから、開けて渡してあげたら口に入れて、途端にガリガリと噛んだ。この声の出し方、飴玉を袋ごと取って口に入れる様子を見て、これは大丈夫だなと思った」。

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家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していたという尾畠さん。「口約束も契約。警察が"渡してください"と来たけど、"イヤです"と言った。言うたことは守る。なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない。理稀ちゃんの顔を見せたときは、お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」と振り返り、「人の命って重いから、何かお手伝いさせてもらえいたいなと思って参加した。尊い命が助かってよかった。"おいちゃん、ここ"と言った時は嬉しかった」と涙を浮かべていた。

記者に座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答え、理稀ちゃんには「人の痛み、悲しみのわかる人間になってくれたら」と話していた。』
HUFFPOST
https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/yamaguchi-20180815_a_23502456/?utm_hp_ref=yahoo
より転載)



『捜索ボランティアの尾畠春夫さんは「師匠」と呼ばれていた。行方不明だった2歳男児を発見
8/15(
) 13:58配信
ハフポスト日本版

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周防大島

山口県周防大島町で812日から行方不明になっていた2歳の男児が15日、無事に保護された。山中で男児を発見したのは、ボランティアで捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった。

報道各社のインタビューに応じた尾畠さんは、「小さな命が助かったと思った。本当にうれしかった。助かってよかった、助かってよかった。ただそれだけ」と語った。そして、2016年末に大分県で行方不明になった女児の捜索ボランティアにも参加しその時の経験が今回の捜索で生かされたことも明らかにした。

ボランティアで由布岳の登山道の整備
大分県別府市で鮮魚店を営んでいた尾畠さん。40歳で登山を始め、58歳で北アルプス55山を単独縦走した。

尾畠さんはその頃から、ボランティアで由布岳の登山道の整備を始めている。月に78回、3040キロの材料を担いで登り、崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置したりしたという。

徒歩で日本列島を縦断
66
歳で尾畠さんは鮮魚店を引退し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出た。

2006
年の41日に出発、71日に全行程3250キロを歩き、尾畠さんは無事ゴールを遂げている。毎日、朝夕に孫の声を電話で聞くことを励みにしていたという。

このチャレンジについて、尾畠さんは朝日新聞の取材に「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、体力がどのくらい持つのか、動機は単純じゃ」と語っている。

ゴール後、同級生たちに祝福された尾畠さんは「目標を持ってやれば、出来るものだ」と笑顔だった。(朝日新聞20060709日)

東日本大震災・南三陸町でボランティアの「師匠」と呼ばれる
2011
年の東日本大震災では、3月から宮城県南三陸町でボランティアとして活動していた。町から依頼され、被災地で、人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。

軽自動車で3日かけて被災地へ。日本列島縦断の旅で、テントを干していた南三陸町で親切にされた人を訪ねたことがきっかけとなったという。

2004
年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動に参加していた尾畠さん、若いボランティアからは「師匠」と呼ばれていたという。その後も大分と車で往復しながら計500日間支援に当たったという。(朝日新聞20110427日)

熊本地震でもボランティアに参加
熊本地震では、熊本県益城町でボランティア活動をしていた。既にこの時には「ボランティア歴25年」になっていた。

町が設置したボランティアセンターに「スコップやヘルメットがもっと必要」などと用具などについて助言。職員が「私たちにも初めての経験。言われて気付いたことがたくさんあって助かります」と話していたことが報じられている。(朝日新聞20160425日)

夢は100歳での祖母山登頂
尾畠さんは、夢は「100歳での祖母山登頂」だと答えている。ボランティアは「体力の続く限り続けたい」という。(朝日新聞20101224日)
ハフポスト編集部』
(ハフポスト編集部
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00010003-huffpost-soci
より転載)


日本にも、この様に日々、陰徳を積んで真っ直ぐ生きている人がいることがわかり、気分が晴れ晴れとした。

レスリング部の陰湿な監督、アメリカンフットボール部の非常識な権力亡者とその大学の理事長、ボクシング連盟の暴力団会長、裏口入学を認めない文部官僚TOPなどなど

日本の組織のリーダーの呆れるほどの低レベル。
非常識とか我儘とか権力欲とか亡者とかを超えて、壁の向側の人たちだ。

戦後日本の民主主義の悪い面が相当に日本を蝕んでいることへの危惧と不安ばかりだった。

そのような閉塞感の中、尾畠春夫氏が登場してくれた。
ありがたいことだ。
生き仏様のようだ。

報道も悪い人だけ報道するのではなく、世の中のために私利私欲を超えて奮闘している人を、世の中に知らしめて欲しい。






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2018年04月08日(日) 記事No.486


TV
番組で世界の思いがけない処にいる日本人を尋ねる番組がある。
色々なところに色々な理由・事情で生きている日本人が紹介されて面白い。
細かく考えれば、その事情は人それぞれで一般化できないが、ザックリ言えば息苦しい日本から抜け出して自由に生きたいという思いからのようだ。
まだ存命の両親も顧みず、過去も振り捨てて、異国の地に夢を追っている人が多い。
あまり共感しない人が多いが、感心した人がいる。

和歌山で紀州備長炭の職人だった人が、ミャンマーの辺境の山地、山と木しか無く、人々は貧しい生活をしている場所にいる。
彼は、もう会社員なら定年の年齢で、自分の仕事は息子に譲り、ミャンマーの山の中の村で、炭焼の技術を村人に教えている。
そこは、産業も資源もない貧しい土地なのだが、炭の原料になるウバメガシは自生し豊富だ。
これを備長炭に加工することができれば、村が豊かになることができると考え、村人たちに炭焼きの技術を手取り足取り教えている。
技術が根付き製品化され販路が開拓できるまでには、まだ10年はかかる。彼は、自分の後半生をそれに費やすつもりで、日本に残した奥さんから仕送りを受けて頑張っている。
感心な人だ。


大山修一京都大学准教授は、この人に近い人だが、もっとスケールの大きな夢の持ち主だ。
夢見ることは誰もでき、論文を書き、語って評論を行うことも大きな苦労はないが、大山修一京都大学准教授は狭い研究室から飛び出し、アフリカの現実と格闘している学者・研究者だ。


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(京都大学アフリカ地域研究資料センター
https://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/member/oyama.html
より転載



大山氏は、ニジェール共和国で都市ゴミを集め、それを集め砂漠化した土地に運び、土地に撒き緑化する事業に取り組んでいる。
都市で捨てられ、困り物の生活ゴミを、砂漠に緑化に再利用できれば、一石二鳥の効果がある。

ニジェール共和国は、西アフリカのサハラ砂漠南に位置する内陸国で、アルジェリア、マリ、ナイジェリア、リビアなどと隣接する。
東部ではあの悪辣なボコ・ハラムが活動し、都市部ではテロも増加している治安に不安のある環境だ。
過去にはJAICAも活発に活動していたニジェールだが、治安悪化により今では活動を縮小し、協力隊員を撤退させている。


大山氏は、日本情緒あふれる京都の研究室から飛び出して、危険なアフリカに行き、ゴミを集めて、砂漠にばらまいている。

なぜ彼は、そんなことをしているのか?

JAICA
のニジェール支所が発行している支所だよりに大山氏がレポートを書いている。

これを読むと、氏の希望も夢も苦労も努力もアフリカの現実も開発援助の実態とアフリカでの中国の影もよく理解することができる。
研究誌に掲載される学術論文より遥かに面白く、雑誌に書かれる小説より人間世界の実景が描かれ、人間が生きている地球の有り様に目が開かれる。


暇な方は、これらを読むことができる時間を持っている幸せ者のだ。


2016
7月号  どうしてニアメでゴミ回収?
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201607.pdf


2016
8月号 どうしてニアメでゴミ回収? その2
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201608.pdf


2016
11月号 役所との付き合い方を考える
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201611_12.pdf


2017
1月号 突然やってくる災難と人生の選択肢
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201701.pdf


2017
3月号 役人のストライキに直面する
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201703.pdf


2017
4月号 逆境のなかの結束力
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201704.pdf


2017
6月号 トレンディーか、破壊なのか ニアメ市の再開発
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201706.pdf


2017
9月号 ニジェールで「晴耕雨読」を考える
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201709.pdf


2017
10月号 都市ゴミから生育する植物 その1
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201710.pdf


2017
11月号 都市ゴミから生育する植物たち その2
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201711.pdf


2017
12月号 都市ゴミから生育する植物たち その3
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201712.pdf


2018
4月号 政治化するニアメ市のゴミ問題
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/ku57pq000020tcwd-att/201804.pdf




2017
10月号のゴミを撒いた土地から、雨季の後植物自生し緑化が始まり、毎年植物が変わり、5年も経つと樹木が形成される写真。
これが、このプロジェクトの論より証拠。

しかし、緑化ができても放置しておくと牧畜民が根こそぎ牧畜に食べさせてしまい、元の砂漠に戻ってしまう。
土地の砂漠・荒廃化の犯人は結局人間だということが判る。

日本人は、将来のために根を残すことを知っている。
魚でも禁漁期を設けることを知っている。
緑化にはニジェールの国民の教育問題も解決しなければならない


ノーベル賞受賞者も誇りだが、最貧国の最前線で奮闘している日本人も日本人の誇りだ。

課題は多いが、大山修一京都大学准教授の今後の取り組みが成功するように祈りたい。




【データ】

大山修一准教授 プロフィル
https://jambo.africa.kyoto-u.ac.jp/member/oyama.html



まだ未完のこの大事業のレポート続編は、以下のサイトで読むことができる筈だ。
JICA
ニジェール支所だより
https://www.jica.go.jp/niger/office/others/newsletter/index.html


大山氏の活動はJAICAの事業ではなく、大山氏が三井物産環境基金から活動資金の助成を受けているものだそうだ。
今後も潤沢な資金提供が行われるよう希望したい。


レポート20174月号で大山氏が哀悼しておられる谷垣雄三医師については以下のサイトで紹介されている。

アフリカの大地に人生を捧げた日本人医師の物語
信州大学医学部卒業生 故 谷垣雄三医師の軌跡

http://www.shinshu-u.ac.jp/zukan/person/tanigaki2017.html




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2016年12月25日(日) 記事No.1190


今年9月に、最年少プロ棋士の記録を72年振りに書き換えた天才少年については下記の記事で取り上げた。

2016/09/05 最年少プロ棋士誕生! 藤井聡太くんの快挙。」
http://blog.goo.ne.jp/nabanatei/e/eb971fd8775d878418fbbd73681ac76d


その藤井くんがプロのデビュー戦を白星で飾った。
運命のいたずらというのは、このようなことを言うのだろう。対戦相手は、それまでの最年少記録を70年以上破られなかった加藤一二三九段だ。

この対戦はクジで決まったそうだから、作為は働いていない。
神様か運命のなせる技だ。

まだ、因縁がある。
藤井くんはプロ棋士最年少の14歳、加藤九段は最年長の76歳。

対戦内容は、素人の筆者には判らないが、熱戦だったそうで、加藤九段の猛攻をしのいで、藤井四段が逆転勝ちしたとのことだ。

加藤九段は、記録を破られた雪辱を果たし、プロの洗礼を与える予定だったのだろうが、返り討ちにあってしまった。

しかし、加藤九段は立派だ。
最年少の棋士、自分から見れば孫のレベルだが、大局観のある素晴らしい才能の持ち主だと高く評価した。

後味の爽やかな対局だった。

60
年後、齢74歳の藤井プロが、自分の最年少記録を破った少年棋士に黒星を付けられるというような事が絶対起きないという保証はない。

因果はめぐる。
時代は変わる。

Bob Dylan
の歌に「The Times They Are A-Changin’」が在ったのを思い出した。

Bob Dylan The Times They Are A Changin' 1964

https://youtu.be/e7qQ6_RV4VQ


<歌詞>

The Times They Are A-Changin' Lyrics
Come gather 'round people
Wherever you roam
And admit that the waters
Around you have grown
And accept it that soon
You'll be drenched to the bone.
If your time to you
Is worth savin'
Then you better start swimmin'
Or you'll sink like a stone
For the times they are a-changin'.

Come writers and critics
Who prophesize with your pen
And keep your eyes wide
The chance won't come again
And don't speak too soon
For the wheel's still in spin
And there's no tellin' who
That it's namin'.
For the loser now
Will be later to win
For the times they are a-changin'.

Come senators, congressmen
Please heed the call
Don't stand in the doorway
Don't block up the hall
For he that gets hurt
Will be he who has stalled
There's a battle outside
And it is ragin'.
It'll soon shake your windows
And rattle your walls
For the times they are a-changin'.

Come mothers and fathers
Throughout the land
And don't criticize
What you can't understand
Your sons and your daughters
Are beyond your command
Your old road is
Rapidly agin'.
Please get out of the new one
If you can't lend your hand
For the times they are a-changin'.

The line it is drawn
The curse it is cast
The slow one now
Will later be fast
As the present now
Will later be past
The order is
Rapidly fadin'.
And the first one now
Will later be last
For the times they are a-changin'.


和訳は、下記サイトで見ることができる。
TAP the POP
http://www.tapthepop.net/news/35377



『<将棋>14歳5カ月が白星デビュー 76歳・加藤九段降す
毎日新聞12/24() 20:55配信

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加藤一二三九段(右)に勝って、感想戦で対局を振り返る藤井聡太四段=東京都渋谷区の東京将棋会館で2016年12月24日午後9時6分、宮間俊樹撮影

14歳2カ月で将棋界の史上最年少棋士となった藤井聡太(そうた)四段(14)は24日、東京都渋谷区の将棋会館で指された加藤一二三(ひふみ)九段(76)との第30期竜王戦6組ランキング戦で公式戦初対局を迎え、110手で初勝利を飾った。14歳5カ月での初勝利は将棋界最年少記録となった。

【写真特集】加藤一二三九段vs藤井聡太四段

藤井四段に破られるまで史上最年少棋士と最年少初勝利の記録を持ち、現役では最年長の加藤九段との対局は年齢差が62歳6カ月で、史上最大年齢差。記録ずくめの対局となった。

対局は午前10時に開始され、先手番になった加藤九段は長年愛用する矢倉戦に誘導し、藤井四段も受けて立った。中盤で加藤九段が猛攻を開始し、藤井四段が受ける展開になったが、夕食休憩の前から藤井四段が巧みに反撃し、勝利した。

両者とも盤上に頭を出して体を揺すりながら向き合う対局姿勢で、年齢差を感じさせない勝負だった。

◇加藤九段「素晴らしい才能の持ち主」

対局後、藤井四段は「デビュー戦で加藤先生に教えていただけるのは光栄。竜王や名人をいずれは取りたいが、実力が足りないのでもっともっと強くなりたい」と報道陣に語った。加藤九段は「中盤、藤井四段が受けに回った手が私には指せない手で、大局観が素晴らしい。寄せも速かった。うまく負かされました。素晴らしい才能の持ち主だと思う」とたたえた。途中、加藤九段が「ここで読み切ってたの?」と藤井四段に問いかけると、藤井四段が慌てて首を振る光景も見られた。【山村英樹】』




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2016年09月05日(月) 記事No.1367


凄い少年が現れた。

昭和29年に加藤一二三九段が作った従来の最年少記録14歳7カ月を5ヶ月更新する新記録を樹立した。
将棋
界の今を代表する羽生善治三冠ですら出来なかったことだ。

幼児からの英才教育の重要性を証明しているが、偏った才能教育ではなく、エリートの集まる附属中学在籍からするとバランスの良い教育を受けているのだろう。

記事ではインタビューで緊張していたとなっているが、ニュースで語るシーンを見た限りでは考えを纏め落ち着いて話していた。
とても中学2年の物腰ではない。小さい頃から大人の世界に入り、大人の世界の経験もしてきたからだろう。

新しい時代のプロ棋士として、大成を期待したい。
今までにない新手を創造し、人工知能にも負けない棋士になってもらいたい。



『最年少プロ棋士誕生!14歳2カ月・藤井聡太 加藤一二三を5カ月更新
スポニチアネックス 94()71分配信

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王将の大駒を手にポーズを決める藤井聡太三段

将棋界に史上最年少プロが誕生した。中学2年の藤井聡太三段(14)が3日、東京都の将棋会館で行われた第59回奨励会三段リーグ戦最終局に勝ち、通算成績13勝5敗の1位で四段昇格が決定。昇段する10月1日付、14歳2カ月でプロとなり、加藤一二三・九段(76)が1954年(昭29)に樹立した14歳7カ月を更新する新記録となった。

偉業を達成した14歳は、局後の記者会見では緊張していた。「素直にうれしいです」と蚊の鳴くような第一声は、カメラのシャッター音にかき消された。最終局で勝った瞬間は「あんまりよく…」と言いよどんで20秒ほど長考。司会者から促されてようやく「だんだん実感が湧いてきました」と言葉を続けた。

昨年10月、13歳2カ月で、これも史上最年少で三段に昇格。全国から天才少年少女がプロを目指して激烈な戦いを繰り広げる三段リーグ戦にありながら、そのあどけない表情とは対照的なまでの力を見せつけた。初日の4月23日は1勝1敗のスタートだったが、並み居る年上のライバルを相手に、その後は順調に白星を重ね、終わってみれば13勝5敗。3日は第1局に敗れ、一度は瀬戸際に立たされたが、最終局を危なげなく制したあたりに勝負師の片りんがにじんだ。

これで加藤をはじめ谷川浩司九段(54)、羽生善治三冠(45)、渡辺明竜王(32)に続く史上5人目の中学生プロという肩書が付いた。そうそうたる大先輩の記録をあっという間に過去のものにした藤井は「皆さん偉大な人ばかり。自分もそこに並べるようにしたい」と、小声ながらもきっぱり言い切った。生まれたのが2002年のサッカーW杯日韓大会後という「21世紀少年」。将棋の世界に新たな風が吹いた。

◆藤井 聡太(ふじい・そうた)2002年(平14)7月19日、愛知県瀬戸市生まれ。5歳で祖母から将棋を教わる。主に詰め将棋で実力を磨き、15、16年は詰将棋解答選手権で2年連続優勝。奨励会には12年9月に入会し、三段リーグは今期が初挑戦。同リーグを1期で抜けたのは史上8人目。趣味については「今は将棋だけ。以前はパズルも好きでした」と話す。得意戦法は角換わり。師匠は杉本昌隆七段。名古屋大教育学部付属中2年。

▼加藤一二三・九段 将棋界全体にとって明るいニュース。評判は耳にしていた。最年長の私が、最年少の藤井さんと対局できると考えるとワクワクする。

▼羽生善治三冠 三段リーグからの四段昇段は、史上最年少記録の価値をより高める快挙だと思います。これから棋士として注目を集めることになると思いますが、それを乗り越えて歴史に名を残すような棋士になることを期待しています。

▼渡辺明竜王 以前から詰め将棋の早さなどで話題になっていましたが、リーグを1期で抜けたのには驚きました。

▼日本将棋連盟会長・谷川浩司九段 厳しい三段リーグを1期で、最年少記録を作ったのは素晴らしい。棋士個人としては名人の最年少記録(自身の21歳)が破られるかも注目している。

◇奨励会 日本将棋連盟のプロ棋士養成機関。男女の区別はなく、6級から三段のクラスに分かれる。三段に昇段すると年2回のリーグ戦を争い、原則として上位2人がプロになる。1987年に現行の三段リーグに。それ以前は13勝4敗など規定の成績を収めればプロとなった時期もあった。年齢制限があり、満26歳までにプロにならなければ基本的に退会となる。』
(
スポニチアネックス
)



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2015年01月30日(金) 記事No.2320


忌まわしい現実の存在は、気持ちを暗くさせる。
だが、現実は沢山の顔を持っている。
忌まわしい顔ばかりではなく笑顔もある。
忌まわしい現実ばかりではない、明るい現実もある。

先日、TVで尼僧 戸澤宗充を取り上げていた。
知る人ぞ知る有名な人だそうだが、筆者はこれまで知らなかった。

戸澤尼は、伊豆で女性のための駆け込み寺「サンガ天城」を運営されている。
「サンガ天城」とはどんなところかというと、
HPには次のように書かれている。



サンガとは「善き友」の集う場所

道を求める人の集う場所

「サンガ天城」は温泉の湧く憩いの場所

自然と一体となって疲れた心身に

元気薬をもらう場所


サンガ天城は、主に家庭内暴力で居場所を失った女性たちを受け入れ、心と身体の癒やしを行っている。
それ以外にも様々な悩みを抱えた人、鬱や薬物中毒や性同一性障害などの人が入所しているそうだ。

戸澤尼が、今のように人々を救済することを第一に生きるようになったのには、つらい過去の思いがある。
終戦時満州で命からがら引き上げた体験、二人目の子どもを産んだ翌日夫が交通事故で帰らぬ人となった、女手ひとつで子どもを育てていかなければならなかった...

歩んできた道と仏教への帰依・サンガ天城設立について、本人が講演した内容が、縁のある角田山妙光寺HPに掲載されている。
「戸沢法尼」
http://www.myoukouji.or.jp/tae/bn_p/p_column0703_01.html


自分のために修業をする人が大多数の信徒だが、人のために私財をなげうち時間も労力も惜しむこと無く注ぎ込む戸澤尼は仏様の位の人だ。

TVカメラの中で、戸澤尼が語っていた。
“許すことよ”

許すのは、他人だけではなく、自分も許す、過去も許す...全て許すことが大切とのことだ。
許せないものに、縛られ、囚われているうちは新しい自分を生きていくことは出来ない。

この番組を見終わって、戸澤尼の活動する姿を見て、心が軽くなった。

明るい現実は、確かにある。


【データ】


戸澤宗充

「日蓮宗一華庵庵主、尼僧。昭和12年、東京都生まれ。三十三歳の時、モルモン教徒の夫を交通事故で亡くす。二児を抱え、生きることに失望していた時、仏縁に触れ、四十六歳で出家。説教師として仏の教えを説いてきた。平成15年、DVなどの問題で苦悶する女性たちの役に立ちたいとの思いから私財を投げ打ち、伊豆の天城に「サンガ天城」を開所。悩める女性たちの心を癒す「駆け込み寺」として、新聞、テレビなどでも紹介される。これまでに五百数十人の女性が訪れる。また、茶道の師範として多くの生徒を指導する」
『一人で、悩まないで! 現代の「駆け込み寺」奮闘記』より


サンガ天城
http://sanga.sub.jp/




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