2008/06/28 驢鞍橋 上巻-10 (その1) - 菜花亭日乗

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2008-06-28 (Sat)  22:51

2008/06/28 驢鞍橋 上巻-10 (その1)


正三の仏法がよく解る段である。
長くなるので、便宜上3つに分割するが、重要なのは原文である。
繰り返し熟読玩味するべき段である。



【原文】
一日、去遁世者来て、修行の用心を問、師示曰、万事を打置て、唯死に習わるべし。常に死習って死の隙を明、誠に死する時、驚ぬやうにすべし。人を度し、理を分る時こそ智恵は入れ、我成仏の為には、何も知たるは怨也。只土に成て、念仏を以て死習わるべし。彼者云、盲安杖を常に披見仕る、是等を見る事も悪しや。師曰、見て覚る事は皆怨也。只念仏を以て死を軽くすべし。亦彼者、悪心休、欲心杯なしと云。師曰、少しの処収りぬれば是となし居る物也。何程無欲に成、人好成たりとも、此娑婆を楽む念、亦我身を思ふ念は休べからず。是を離ずんば皆是輪廻の業也。是念を滅するには、身心は是怨家なりと、きっと睨詰て、念仏を以て責滅す計り也。別に道理の入る事にも非ず、智恵の入る事にも非ず、人を頼みて成仏する事にも非ず、人の引て地獄落すにも非ず。地獄ゑも天道ゑも、只今の念が引て往也。瞋恚は地獄、欲心は餓鬼、愚癡は畜生、是を三悪道と云也。此の上に、修羅人間天上の三善道を加へて六道と云也。皆是一心の内に有六道也。此間を離れず、上に登り下にくぐり、廻り休ざるを六道輪廻と云也。是は只今其方の心の輪廻するを以て知べし。善念頓て悪念に成、悪心も亦善心に成也。天道より地獄に往、地獄より天道に往、証拠是也。余の悪道を廻る事も如是、此念を離れて、不生不滅なるを成仏と云也。如是我と念根を修し尽して成仏する事也。何として傍より其方の念を休んや。強く眼を着、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、命を限にひた責に責て、念根を切尽すべし。総而大きなる悪、及ばざる望みは休物也。されども兎角なにか有物也。念根の切尽す事難し。然間此蠕袋を敵にし、念仏を以て申滅すべし。是念根を切修行也。彼者云、然らば此身を離る事と心得て置べきや。師呵して曰、心得て置は悪き也、仏道と云は、心得て置事に非ず、身心を修し尽す事也。



【要約】
ある日、一人の世捨て人が来て、修行の心構えを乞うた。老師は教えて言われた。「すべてのことはそのままにして置いて、ただ死に習うべきである。常に死に習って死に隙を明け(死から自由になって)、自分が本当に死ぬ時に驚かぬようにするべきである。他の人を導き、物事の道理を理解する時は知恵は必要だが、自分が往生し成仏するためには、何かを知っていると言うことは、益のないことである。ただ、土の様になり、念仏をによって死に習うべきである。」。その人が言った。「盲安杖をいつも拝読しております。これらの本を読むことも悪いことでしょうか?」。老師が仰った。「詠んで記憶することはすべて無駄である。ただ、念仏を唱えることで自分の死を軽くすべきである。」。また、その人は「悪い気持ちは起こらなくなり、欲望なども無いと」言った。老師は言われた。「少しばかり収まっているから、それで良いとしているだけである。どれほど無欲になり、人間が良くなったといっても、この娑婆(世間)を楽しむ心、また我が身を思う心は休むことはない。この心を離れなければ、皆これらは輪廻の業(流転する心の迷い)である。この心を滅するには、身体も心も怨家(えんか:禍の基)と、キッと睨み付けて、念仏を以て責め滅ぼすだけである。別に理屈が必要ではないし、知恵が必要でもない、人に頼んで成仏させて貰うことでもない、人が引っ張って自分を地獄に堕とす物でもない。地獄へも天道(極楽)へも、ただ今の心が引っ張って行くものである。瞋恚(しんい)は地獄への道、欲心は餓鬼への道、愚癡(ぐち)は畜生への道である、これらをを三悪道という。この上に、修羅・人間・天上の三善道を加えて六道という。皆これらは自分の心にある六道である。この六道の間で、上に昇ったり下に下がったり、転変して止まないことを六道輪廻というのである。このことは、ただ今自分の心が転変することを考えれば理解できる。良い心は俄に悪い心に変わり、悪い心もまた良い心に変わるものである。天道より地獄に行き、地獄より天道に行く、これが証拠である。他の悪道を回ることも同じである、この心を離れて不生不滅であることを成仏というのである。このように我執の心を修行によって滅ぼして成仏することである。
どうして傍らから貴方の心を止めることが出来るだろうか。強く目を心に付けて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、命がけで悪い心を攻め滅ぼす事である。一般的には、大きな悪、不可能な望みは止むものである。しかし、何か残るものである。攻め滅ぼす事は難しい。であるからこそ、この蛆袋を敵にして、念仏を以て言い滅ぼすべきである。これが念根を切る修行である。」。その人が言った。「それなら、この身から離れて居ればよいと心得ておけば良いのでしょうか?」。 老師は叱って言われた。「心得ておくことは間違いである。仏道というのは心得ておく事ではない。身体と心を修行しつくす事である。」と。



 

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最終更新日 : 2019-03-15

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