NHK BSのライブを見て、岡林信康という歌手に関心が出来、古い本を探して来て読んでみた。
岡林は職業歌手であるが、シンガーソングライターであり、他人の作った歌を唄う専業歌手ではない。
自分の作る歌は自分の自己表現であり、岡林の場合は自分の人生の変遷がそのまま歌のスタイルの変化になっている。
「村日記」は1946年に牧師の子として近江八幡に生まれ、、1982年までの激しい自分探しの人生を書いている岡林の前半生の自伝的な本になっている。
教会に関連した学校に入学、高校時代のキリスト教活動と同志社大神学部に入学してからの教会からのの脱出、政治的関心が湧き起こる中、高石友也に出会ってフォークに夢中になり、いつの間にか「フォークの神様」に成っていた。
1969年労音と対立、反戦フォークのレッテルから脱出。各地で肉体労働をして暮らす。ボブ・ディランに夢中になる。
1970年東京に移り政治から脱出、歌はフォークからロックに変わる。歌と同時に阪場での肉体労働を続ける。暮れにかけて同棲生活の破綻から新宿ゴールデン街で酒浸り。
1971年日比谷野音で「狂い咲きコンサート」を行った後、岐阜の山村に移り、関心のあった自然農法の農業を実践。コンサートは行わなくなる。
1972年京都の山村に移る。不安定な精神状態が続く。
1973年春はじめて田植えを行う。
8月夏の蔵の中で瞑想中、不思議な浮揚感覚を体験し、囚われた自分を自覚し客観的に自分が眺められる様になった。
1974年長女誕生を機に結婚。演歌に夢中になる。
1975年母が死に翌月長男誕生。美空ひばりに演歌を提供。12月久しぶりにコンサート。
1976年山村から京都近郊に転居、農業から歌の道に戻る。
1977年ポップスに夢中になる。小さい全国巡りのツアーを行う。
1978年歌謡ポップス風アルバム「セレナーデ」録音。
1979年音楽活動を積極化し、全国ツアーを行う。
1982年松竹映画「きつね」に主演、音楽を担当する。
この本は1982年11月出版、この後の足取りは書かれていない。
直情径行の岡林は何でものめり込む。それは自分探しの旅である。人間関係、社会との関係から多くの人が探すことを止めて、「自分」に留まるのに対し、何度も脱出を繰り返している。
これはその後も続いているに違いない。
この時点での岡林自信が語る歌のスタイルは3つある。
「うつし絵」 演歌のスタイル。
「ラブソング」 ポップスの世界。
「セレナーデ」 フォークの世界。
彼は「これ三枚一組でひとつのアルバムなのです。」と書いている。
この本は、村での面白い楽しい経験の話が多く書かれている。
談話筆記の様な文体で書かれているので読むのも楽である。
ただ、内容は激しい精神遍歴になっている。
山村の季節と共に姿を変える優しい・美しい・厳しい自然とその中での人間の営みを自分の目で見て、自ら体験することで変わっていった心の軌跡の報告である。
感ずべき文は至る所にあるが、その一つ。
「ずーっと前は、自分が歌でめし食ってるっていうことに、なんともいえん抵抗があった。あったけど、逆に自分でコメ作るっていう生活にはいってみることで、おれにはとてもこれ一生やることはできんというのが分かったし、おれのつくるコメにカネ払わんけど、おれの歌にカネ払う人はいるっていうことで、そういうことがおれの仕事かも分からんという気持ちが芽生えた。」
歌芸人の自覚である。世を渡る意味。布施の心の言葉である。
【データ】
岡林信康「村日記」
株式会社講談社
1982/11/30 発行
絶版で、古書も手に入らない様だ。
図書館で探せばあるかも知れない。
最終更新日 : 2019-03-15