2016/10/22(土)旧暦:9月22日 祝日・節気: 日出:5時53分 日没:16時56分 月出:22時37分 月没:11時55分 月齢:21.12 干支:丁丑 六曜:赤口 九星:二黒土星
今日の季語: 時代祭
「カメラは落馬事故を捉えた! 時代祭のハプニング! Samurai was fell from the horse!?」
https://youtu.be/Xun6s6ojM8c
『時代祭(じだいまつり)は、京都市の平安神宮の祭りである。神宮創建を祝って始められたものであり、京都三大祭りの一つであるものの、葵祭や祇園祭に比べると歴史は浅い。
起源
1895年(明治28年)に平安神宮が創建されたのち、神宮の管理と保存のための市民組織として平安講社が作られ、その記念事業として「祭り」が始められた。祭りを盛大にするため、東京奠都以前の京都の風俗を遡る時代行列が提案され、「時代祭り」と呼ばれるようになった[1]。初回は、創建されたばかりの平安神宮への参拝として同年10月25日に行われ、その次の回からは、「祭神である桓武天皇と孝明天皇の二柱の御霊が、住まいであった御所から街の繁栄を見ながら行列のお供を従えて神宮へ行く」形となった。開催日も桓武天皇が長岡京から都を移し新しい都に入ったとされる日、すなわち京都の誕生日とも言える10月22日となった。祭り自体は10月15日の参役宣状祭(行列の役柄任命)から、23日の後日祭までの期間行われる。
行列の編成
行列は8つの時代、20の列でそれぞれに時代を再現した衣装や道具を身につけた人々で行われ、最初は明治維新、ついで江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と時代を遡って続く。参加人数は約2000人、長さは2kmに及び約3時間の行程となる。先頭の名誉奉行は京都府知事、京都市長らが務める。また時代行列の後には祭り本来の主役である神幸列などが続く。
行列前方、明治維新・維新勤王隊列の鼓笛隊は官軍の山国隊で、1895年(明治28年)の第1回から大正時代までは生存していた旧山国隊の隊士とその子弟が行列に参加していたが、1921年(大正10年)からは、第八社の人々によって新たに維新勤王隊が新設された。
つづく徳川城使上洛列は、大礼や年始などの際に親藩または譜代の諸侯が城使として上洛したものを再現したものである。行列の先頭には、槍持、傘持、挟箱などの奴振りがみられ、いわゆる大名行列の体をとっている。
また、明治以降、南朝を正統とする皇国史観や明治から終戦まで後醍醐天皇に叛き室町幕府を開いた室町幕府の初代将軍 ・足利尊氏を国賊としていた歴史的経緯などから、室町時代は除外されていたが、2007年(平成19年)より桓武天皇1200年記念大祭を機に室町時代列が新たに行列に加わった。
...』(Wikipedia)
時代祭の俳句:
・烏帽子飛ぶ時代祭の馬荒れて 野崎ゆり香
・大将の馬がむづかる時代祭 重見和子
・落馬して時代祭の翁かな 村杉踏青
時代祭の行列では、馬に乗っている時代のほうが、車に乗っている時代のほうが遥かに長い。
時代考証に沿って、馬上豊に行列をすると見栄えも良い。
そのため多くの馬が動員され、行列を飾り立ててくれている。
シナリオ通り、行列が整斉と行進していく筈なのだが、現実には馬が言うことを聞かないこともあるようだ、
俳人たちも目にした光景を詠んでいる。
Youtubeを見ると、矢張りそのようなハプニングがカメラに撮られている。
考えてみれば、シナリオ通り、待たされながら、少しずつ行進していくのは馬にとっては迷惑な話。
しかも、乗っている人間は現実には赤の他人で、毎日世話をしてくれるご主人ではない。
馬の扱いに慣れている人ばかりではないだろう。
馬にとって見れば、訳の分からない人間をいつまでも背中に乗せている辛抱にも限度がある。
馬は暴れる、落馬もある。
それが、今の時代祭と考えた方が良い。
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最終更新日 : 2019-03-15