日本人がマラソンで2時間4分台を記録した。4分台は夢の世界と思っていたが、夢が現実になった。国民みんなが驚いたが、本人もびっくりしたそうだ。もう一つ驚いたのは、1億円が貰えないことになっていた。これは、知らなかった。日本記録が更新されなくても良いのなら、廃止もよいだろう。しかし、記録は破られるためにある。 この様な大記録に対して、賞状とトロフィーだけでは釣り合いが取れない。賞金が無くなったのは予算の問...
日本人がマラソンで2時間4分台を記録した。
4分台は夢の世界と思っていたが、夢が現実になった。
国民みんなが驚いたが、本人もびっくりしたそうだ。
もう一つ驚いたのは、1億円が貰えないことになっていた。
これは、知らなかった。
日本記録が更新されなくても良いのなら、廃止もよいだろう。
しかし、記録は破られるためにある。
この様な大記録に対して、賞状とトロフィーだけでは釣り合いが取れない。
賞金が無くなったのは予算の問題だろうが、それは方法を考えるべきで、スポーツ振興に協賛してくれる企業は多くある。
日本記録更新賞制度を創って、企業から賛助金を募れば実現できると思う。
1億円の金額の是非はおいても、賞金を設けることは今後の発展につながる。
今回の記録についても、後付でも企業・団体・個人から賛助金を募って、鈴木選手の偉業を祝福すべきだと思う。
『びわ湖毎日マラソン 鈴木健吾 優勝 日本新記録 初の2時間4分台
2021年2月28日 16時37分 陸上 マラソン
(NHK WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210228/k10012889831000.html
)
びわ湖を舞台に開催されるのがことしで最後となるびわ湖毎日マラソンが行われ、25歳の鈴木健吾選手が日本選手で初めての2時間4分台となる2時間4分56秒の日本新記録で優勝しました。
びわ湖毎日マラソンは国内で最も歴史の長いマラソン大会で、オリンピックや世界選手権の代表選考も行われてきましたが、大阪マラソンとの統合が決まりびわ湖の湖畔などを走る現在のコースで開催されるのはことしが最後です。
レースは序盤から日本記録の更新を狙える速いペースで進む中、中間地点すぎまで鈴木選手や2018年のアジア大会の金メダリスト、井上大仁選手などが先頭集団で引っ張りました。
そして36キロすぎに鈴木選手がスパートをかけて独走に持ち込み、最後までスピードを維持してフィニッシュし、2時間4分56秒の日本新記録をマークして優勝しました。
これまでの日本記録は、東京オリンピックの代表に内定している大迫傑選手が去年の東京マラソンで記録した2時間5分29秒で鈴木選手は日本選手で史上初めて2時間4分台をマークしました。
2位は土方英和選手で日本歴代5位となる2時間6分26秒。
3位は細谷恭平選手で日本歴代6位の2時間6分35秒でした。
さらに4位の井上選手と5位の小椋裕介選手も2時間6分台をマークし、日本選手5人がいずれも自己記録を更新して日本歴代トップテンに入る好タイムを出すハイレベルなレースとなりました。
「こんなタイム出ると思わず 自分がいちばんびっくり」
日本新記録で優勝した鈴木健吾選手は「こんなタイムが出ると思っていなかったので、正直自分がいちばんびっくりしています。びわ湖を走る最後の大会で日本記録、大会記録を出せたことを誇りに思います」と喜びを話しました。
レースの内容については「最初の10キロぐらい自分のリズムに乗れない感覚がありましたが、20キロ、25キロと走っていくうちにリズムに乗れました。どこかのタイミングで出たいと思っていたところ、給水を取り損ねたのでそのタイミングでいくしかないと思って仕掛けました。今までのマラソンでは後半に失速していたので、それを克服したいと思っていました」と話しました。
そのうえで「去年この大会でいい結果を残せず、この1年は悔しさをもってやってきました。けがをせずにトレーニングできたのがいちばん大きかったと思います。東京オリンピックの代表にはなれませんでしたが、しっかり気持ちを切り替えて次のパリオリンピックを見据え練習しているので、こつこつやっていきたいです」と今後の目標を話していました。
日本選手初の2時間4分台 鈴木健吾選手とは
鈴木健吾選手は愛媛県出身の25歳。
宇和島東高校から神奈川大学に進み、箱根駅伝には1年生から4年連続で出場しました。
各校のエースが集まる「花の2区」を3回走り、3年生の時には区間賞を獲得しています。
その後実業団の強豪、富士通に進みおととし行われた東京オリンピックの代表選考レースMGC=マラソングランドチャンピオンシップでは2時間12分44秒で7位でした。
これまでの自己ベストは2018年に東京マラソンでマークした2時間10分21秒で自己ベストを5分以上更新する驚異的な走りで一気に日本マラソン界のトップにたちました。
記録塗り替えられた大迫選手 ツイッターで祝福コメント
日本記録を塗り替えられた大迫傑選手は自身のツイッターで「鈴木健吾くん、関係スタッフの皆様日本記録おめでとうございます!設楽選手に先に日本記録を更新された時もそうだけど悔しく思うし、もっと僕も頑張らないと!とモチベーションになります!」とコメントし祝福しました。
日本陸連 瀬古プロジェクトリーダー「歴史変えた走り」
日本陸上競技連盟の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、鈴木選手が2時間4分台の日本新記録で優勝したレースについて「日本のマラソンの歴史を変えてくれた走りだった。これからマラソンは2時間4分台、そして3分台を目指しての戦いになる」と興奮をおさえきれない様子で話しました。
またことしでびわ湖のコースでのレースは最後になることについては「びわ湖が男子マラソンの歴史を作ってきた。この大会のおかげでマラソンは強くなった」と感謝のことばを口にしました。
今大会には東京オリンピックの代表内定選手は出場していませんが瀬古リーダーは「代表内定選手は『負けていられない』という気持ちになっただろうしこれで一気に気持ちが上がったと思う」と奮起を促すことも忘れませんでした。
日本歴代5位で2位の土方選手「こんないい順位とは」
日本歴代5位となる2時間6分26秒で2位に入った土方英和選手は「練習が順調にいっていたので、積極的に先頭集団についていって記録を狙おうとしていたが、まさかこんなにいい記録と順位でゴールできると思っていなかったので、すごくうれしい」と喜びを話しました。
そのうえで、日本新記録をマークした鈴木健吾選手が36キロ過ぎでスパートしたことについては「30キロぐらいからずっときつかったので、このままペース上がったらまずいという思いがある中でなんとか粘っていた。鈴木選手のペースが上がったときには対応するよりもこのままのペースを保とうと考えた」と振り返っていました。
例年選手を苦しめた“向かい風” ことしは弱まる
びわ湖毎日マラソンのこれまでの大会記録は2時間6分13秒で日本選手では、20年前に油谷繁選手がマークした2時間7分52秒が最高でした。
選手たちを苦しめてきた要素の1つがびわ湖の西側の山から吹きおろす「比良おろし」と呼ばれる強い風です。
レース終盤の35キロ付近からは向かい風になります。
時には風速が20メートルを超えることもありますが滋賀県の彦根地方気象台によりますと、レースが行われた28日の午前中は最も強いときでも2.3メートルで、木の葉が揺れる程度の風で、選手にとっては恵まれた条件となりました。
“1億円の褒賞金” 制度終了で手にすることはできず
鈴木選手は、2時間4分56秒の驚異的な日本新記録をマークしましたが、過去2人の選手が日本記録更新の際に受け取った1億円の褒賞金については、その制度が去年で終了したため鈴木選手が手にすることはできませんでした。
日本実業団陸上競技連合は、平成27年に東京オリンピックに向けた強化策として日本記録を更新した選手に1億円の褒賞金を贈る制度を設けました。
これまで設楽悠太選手が、2018年の東京マラソンで当時の日本記録を16年ぶりに更新して1億円を手にしたほか、大迫傑選手は、2018年のシカゴマラソンで設楽選手の記録を更新したのに加え、去年の東京マラソンで自身の記録を更新したため、通算で2回、褒賞金を受け取っています。
しかしこの制度は去年3月に東京オリンピックの代表内定選手が出そろった時点で終了していて、鈴木選手は今回、日本選手で初めての2時間4分台という偉業を達成しましたが、1億円を手にすることはできませんでした。
これについて大迫選手は自身のツイッターで「今回は褒賞金が出ず残念だけど、何か力を合わせて日本陸上界のために出来ることを考えていきたい!健吾くんが何を求めるかによるけど、僕らにも出来ることは沢山あると思う」とコメントしています。
パラ陸上 永田は2時間25分23秒 東京パラへ前進
またこのレースでは、パラ陸上、腕に障害のあるクラスの永田務選手(37)が、このクラスの世界ランキングで2位に相当する2時間25分23秒をマークし、東京パラリンピックの代表内定に大きく近づきました。
永田選手は、ことし4月1日まで世界ランキングを維持できれば、東京パラリンピックの代表に内定します。
また、腕に障害のあるクラスのアジア記録を8分以上更新するとともに、中間点を1時間11分16秒で通過し、このクラスのハーフマラソンの世界記録も2分以上、上回りました。
“有終の美” びわ湖毎日マラソンの歴史
国内で最も歴史のある「びわ湖毎日マラソン」では多くの名ランナーたちが大会を彩ってきました。
昭和36年、大阪で開催された第16回大会では、前年のローマオリンピックで裸足で走って金メダルを獲得したエチオピアのアベベ・ビキラさんが出場しました。
沿道は、「裸足のアベベ」を一目見ようという人たちであふれかえりました。
アベベさんは、びわ湖が舞台となった昭和40年の大会でも優勝し、その光景は地元滋賀の人たちの心に今も焼き付いています。
昭和63年の第43回大会では現在、日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦さんが出場。
気温18度を超える暑さとびわ湖特有の風に苦しみながらもけがへの不安を覆し、2位を3分近く引き離して優勝しました。
その後、ソウルオリンピックの代表となったものの2時間12分台の平凡な記録だったこともあり、すっきりしない形での代表選考が批判されました。
平成に入ってからも、びわ湖を舞台にトップランナーたちが力を発揮してきました。
平成15年の第58回大会では日本選手トップの3位に入った当時21歳の藤原正和さんが初マラソンの日本最高記録となる2時間8分12秒をマークし、世界選手権の代表を決めました。
そして平成30年の第73回大会では東京オリンピック男子マラソン代表の中村匠吾選手が出場。
日本人トップになりMGC=マラソングランドチャンピオンシップへ進み、オリンピック代表への道を切り開くきっかけを作りました。
そして、びわ湖を舞台に開催される最後の大会となったことしは、まさに歴史に残る大会となりました。
鈴木健吾選手が日本選手で初めての2時間5分を切る2時間4分56秒の日本新記録で優勝。
さらに上位5人までが日本歴代のトップテンに入る記録を出すなどハイレベルな戦いとなりレースとしても有終の美を飾りました。
』
(NHK WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210228/k10012889831000.html
より転載)