2017/2/28 (火) 旧暦:2月3日 祝日・節気: 日出 :6時12分 日没:17時35分 月出:7時10分 月没:19時17分 月齢:1.5 干支: 丙戌 六曜: 仏滅 九星: 二黒土星 今日のあれこれ: 今日は、利休忌、織部の日。 2月28日はお茶に縁のある日だ。 千利休は、天正19(1591)年2月28日、豊臣秀吉の勘気に触れ切腹した。 切腹の前日、遺偈を書いたとされる。 「...
2017/2/28 (火) 旧暦:2月3日 祝日・節気: 日出 :6時12分 日没:17時35分 月出:7時10分 月没:19時17分 月齢:1.5 干支: 丙戌 六曜: 仏滅 九星: 二黒土星
今日のあれこれ: 今日は、利休忌、織部の日。
2月28日はお茶に縁のある日だ。
千利休は、天正19(1591)年2月28日、豊臣秀吉の勘気に触れ切腹した。
切腹の前日、遺偈を書いたとされる。
「人生七十 力圍希 咄
吾這宝剣 祖仏共殺
提ル我得具足の一太刀
今此時そ天に抛
」
禅僧柴山全慶は、この遺偈に関した書の中で、中国12世紀の禅僧韓利休の詩を紹介しているそうだ。
「人生七十力囲希
肉痩骨枯気未微
這裡咄提王宝剣
露呈仏祖共殺機
」
詩の内容は兎も角、名前利休の一致と詩の一致は、どう考えたら良いのだろう。
利休の遺偈は、真筆なのだろうか?
歴史の話は、わからないことが多い。
織部の日は、岐阜県土岐市が制定した日だそうだ。
「1599(慶長4)年のこの日、千利休亡き後の豊臣秀吉の茶頭・古田織部が、自分で焼いた茶器を用いて茶会を開いた。この器が後に織部焼と呼ばれるようになった。」
というのが理由だそうだ。
織部焼というのは緑色の釉薬で、和風の焼き物の代表的なものだ。
利休は、秀吉により切腹を命じられたが、古田織部は利休亡き後秀吉に寵愛された。
秀吉亡き後、織部は関が原の戦いでは徳川につき、存続したが、慶長20年(1615年)大坂夏の陣では豊臣方に内通したと咎められ、切腹した。
茶人は、安楽な人だというイメージは今のもので、権力者の側にいて活躍した利休も織部も切腹しているのは因果を感じさせる。
利休の遺偈は、禅語臭くて解りにくい。
死にあたって、簡素なわび茶の立場に立つ利休が本当に書いたのかと思う。
現在の家元制度の基盤を築き上げ千家茶道中興の祖といわれる表千家7代の如心斎の辞世の方が解りやすい。
「生也天然 死也天然
畢竟如何 天然々々
」