オリンピック3連覇の偉業を成し遂げた野村忠宏が遂に現役を引退した。 大会前から引退を表明していたが、今大会も野村らしい一本の勝負だった。 1,2回戦は得意の担ぎ技で、一本勝ち、これは最後まで行けると思われた。 しかし、3回戦は23歳の椿龍憧に不用意に近づきすぎたため、首を巻かれて引きつけられて、腰に乗せられて投げ飛ばされてしまった。 負ける...
オリンピック3連覇の偉業を成し遂げた野村忠宏が遂に現役を引退した。
大会前から引退を表明していたが、今大会も野村らしい一本の勝負だった。
1,2回戦は得意の担ぎ技で、一本勝ち、これは最後まで行けると思われた。
しかし、3回戦は23歳の椿龍憧に不用意に近づきすぎたため、首を巻かれて引きつけられて、腰に乗せられて投げ飛ばされてしまった。
負ける時も、豪快に1本負けだった。
野村がアテネオリンピックで3連覇達成したのは2004年、もう10年も前のことだ。
最近の若い人は知らないだろうが、大変な偉業だ。
水泳の北島康介やフェンシングの大田雄貴が、尊敬し大会に応援に駆けつけるほどの、本物の競技者・柔道家と言える。
『五輪3連覇 野村忠宏引退 柔道レジェンド畳去る
日刊スポーツ 8月25日(火)9時56分配信
96年7月、アトランタ五輪柔道男子60キロ級で金メダルを獲得しガッツポーズの野村
五輪柔道3連覇の天才柔道家、野村忠宏(40=ミキハウス)が24日、自身の公式サイトで現役引退を表明した。29日の全日本実業個人選手権(兵庫・尼崎市)を最後に「引退することを決めました。現役最後の勝負、精いっぱい戦います」と記した。96年アトランタ大会から、全競技を通じてアジア人初の3大会連続五輪金メダルを獲得。抜群の技の切れと天性の柔道センスで柔道界に君臨した「レジェンド」が畳を去る。
04年アテネ大会以降はケガとの闘いだった。右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂し、股関節、右肩も手術をした。強化選手を外れ、自費での海外遠征。ストイックに自らを追い込んだのは「もう1度、納得できる柔道をしたい」の思いだったが、再起を目指した昨年8月の全日本実業個人選手権を左膝痛で欠場した。古傷の右膝痛も再発し「ケガだらけの体と向き合いながら、後悔のないように決断したい」とコメント。ケガの影響は大きかったようだ。
31日に会見し、引退理由を説明する。今後についても言及する見込みだ。恩師で84年ロサンゼルス五輪王者の細川伸二氏は「ああいう天才が教えることが、日本柔道にとって大切」と、指導者としての今後に期待した。芸術的といわれた立ち技は、後進に受け継がれることになりそうだ。
◆野村忠宏(のむら・ただひろ)1974年(昭49)12月10日、奈良県生まれ。天理高-天理大-ミキハウス。96、00、04年と柔道男子60キロ級で五輪制覇、全競技を通じてアジア人初の3連覇。叔父の豊和氏は72年ミュンヘン五輪軽中量級金メダリスト。得意技は背負い投げ。164センチ。
<野村の五輪3連覇>
◆96年アトランタ 3回戦で前年世界選手権優勝のオジェギン(ロシア)を、残り10秒で技ありを奪って逆転勝ち。勢いに乗ると決勝のジョビナッツォ(イタリア)戦はポイントリードしながらも攻め続け、残り25秒、背負い投げで勝利。5戦中4試合で一本勝ち。
◆00年シドニー 初戦の賈運兵(中国)戦は相手の投げ技に体が傾くピンチを乗り切り、一本背負いで勝利。前年世界選手権優勝のポウロ(キューバ)との準決勝は一本勝ちを逃したが、未知だった鄭富競(韓国)との決勝は開始14秒、隅落としで秒殺し五輪連覇。
◆04年アテネ 初戦から連続一本勝ちで勝ち上がり、ツァガンバーダル(モンゴル)との準決勝も開始23秒で大外刈りを決める。ヘルギアニ(ジョージア)との決勝は攻めて圧力をかけ、2度の指導によって優勢勝ち。アジア初の五輪3連覇を達成した。』(日刊スポーツ)
大会終了後、引退会見を行っている。
彼の柔道に対する思いが伝わる動画だ。
「柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」 THE PAGE大阪」
https://youtu.be/JX6TVYmdEcs
レッドソックスの上原浩治が、国民栄誉賞を贈るべきだと訴えている。
柔道会では山下泰裕が国民栄誉賞を受賞しているが、連勝記録はともかく、オリンピックの金は1個。
高橋尚子は金1個。
吉田沙保里は、別格で金3個に世界選手権は数え切れないほど金をとっているが、野村の3連覇も充分国民栄誉賞に値する。
ネット上で、国民栄誉賞を贈るべきかどうかアンケートが行われている。
中間だが、77.1%の人が贈るべきだと回答している。
筆者も当然贈られて然るべき柔道家で、今後の日本柔道界のために働いてもらう人だと思う。