2011年01月 - 菜花亭日乗
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菜花亭日乗

菜花亭笑山の暇つぶし的日常のつれづれ。 散歩する道筋は、日本酒、俳句、本、音楽、沖縄、泡盛、カメラに...etc

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2011-01-31 (Mon)

2011/01/31 日記 かまくら

2011/01/31 日記 かまくら

2011/1/31 (月) 旧暦: 12月28日    6時42分  17時06分  4時29分  14時24分  26.75  丙戌 (へいじゅつ,ひのえいぬ)  先負  五黄土星  今日の季語: かまくら (今日の出来事ロジー より転載)『かまくらとは秋田県、新潟県など日本の降雪地に伝わる小正月の伝統行事。 雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。一般には、伝統行事で作られるものに限...

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2011/1/31 (月) 旧暦: 12月28日    6時42分  17時06分  4時29分  14時24分  26.75  丙戌 (へいじゅつ,ひのえいぬ)  先負  五黄土星 


今日の季語: かまくら


 



(今日の出来事ロジー より転載)


『かまくらとは秋田県、新潟県など日本の降雪地に伝わる小正月の伝統行事。 雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。


一般には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。また、 新潟県の魚沼地方では、同様の雪洞や行事のことを「ほんやら洞」という。


かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある。


小正月の行事の中でも700年の伝統を持つ、美郷町六郷で行われる「六郷のカマクラ行事」は、小正月行事本来の姿が保たれているとして重要無形民俗文化財に指定されている。』(Wikipedia)



かまくらの俳句:


・かまくらといふ一塊の子等の城 涌羅由美


・かまくらに九九を数ふる声揃ひ 井口光雄


・かまくらに上弦の月母を呼ぶ 森屋慶基


・かまくらに村つ子犬つ子入り混じり 大塚美孝


・かまくらに美しき火を頒けてゆく 長田等



今日で1月も終わり。
相変わらず日本海側では大雪が続いている。
こちらも今日は雪、交通が乱れて大変だった。
雪も過ぎれば害だが、楽しむこともできる。
むしろ楽しむべきだ。


冬の夜の暗さの中に明るく照らされたかまくら。
その中で時間を過ごすことは、非日常的で夢のようで楽しい。
子供時代にかまくらで遊ぶことが出来た人は幸せだ。


おとなになってのかまくらも楽しい。
新穂高平湯のかまくらは大きく暖かかった。
中でいただいた焼き餅もぜんざいも美味しく思い出に残っている。



 

2011-01-30 (Sun)

2011/01/30 日記 煮凝と星

2011/01/30 日記 煮凝と星

2011/1/30 (日) 旧暦: 12月27日    6時43分  17時05分  3時37分  13時25分  25.75  乙酉 (いつゆう,きのととり)  友引  四緑木星  今日の季語:煮凝(にこごり)『 (蒸し雲胆と蟹の煮凝り)蒸し雲胆と蟹の煮凝り [鮨なが井]2月も残り3日。早いものですね。鮨なが井の店主おまかせコースは毎月献立内容が変わるので、2月(如月)の献立も残り3日。前菜の"蒸し雲...

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2011/1/30 (日) 旧暦: 12月27日    6時43分  17時05分  3時37分  13時25分  25.75  乙酉 (いつゆう,きのととり)  友引  四緑木星 


今日の季語:煮凝(にこごり)




 



(蒸し雲胆と蟹の煮凝り)


蒸し雲胆と蟹の煮凝り [鮨なが井]


2月も残り3日。
早いものですね。


鮨なが井の
店主おまかせコースは
毎月献立内容が変わるので、
2月(如月)の献立も
残り3日。


前菜の
"蒸し雲胆と蟹の煮凝り"。


美味しいバフン雲丹に
軽く塩をして、
蒸し器で蒸し上げます。
流し箱に、蒸しウニを
ふんだんに並べて、
出汁を流し込み固めます。
上の段には、
ズワイ蟹をたくさん並べて
また出汁を流し込み
固めます。


切り分けると
ウニとズワイ蟹の
黄色と赤の色あいが
とても綺麗で、
煮凝りの部分は、
透き通っていて
見た目にとても綺麗です。
』(でかじりペンギン寿司屋女将修行★ より転載)


 


煮凝の俳句: 


・煮凝にまづート箸を下しけり 久保田万太郎


・煮凝のつかみどころをさがしをり 西村純吉


・煮凝の忽ち溶ける飯の上 大畑利一


・煮凝やおそろしきまで星の数 岩月通子


・煮凝やにぎやかに星移りゐる 原裕 青垣



煮凝は子供の頃から好きだ。
と言っても子供だから写真のような上等な料理ではなく、魚や鳥の煮物が冷めて固まった煮凝だが。
 温度が高くなってくると箸ではつかみにくくなる。ご飯に乗せては只の汁になってしまう。


煮凝と星を詠む感性が捉えられない。
宇宙のひとつの星に過ぎない地球も温度が絶対温度の0度になれば全て固まってしまう。其処には時間は存在しなくなる。と言った科学的な想像力は働く。


煮凝の中に閉じこめられたものが、何か星のように見えただけのことなのだろうか。



 

2011-01-30 (Sun)

2011/01/30 最後もドラマ ザックジャパン

2011/01/30 最後もドラマ ザックジャパン

  (時事通信)午前0時から開始された決勝戦は、再び延長戦になる接戦となった。 日本も時々好機はあるが、オーストラリアがロングボールを上げ、体当りしてくるパワープレーに押され気味の時間が長く続いた。 何時、オーストラリアが点を取るかという場面が、何度も繰り返される。守備を突破され、川島は一人で守る場面が4度。何時点を取られるか、ハラハラが90分続き、延長の前半15分も過ぎ、後半も同じような場面が...

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(時事通信)


午前0時から開始された決勝戦は、再び延長戦になる接戦となった。
 日本も時々好機はあるが、オーストラリアがロングボールを上げ、体当りしてくるパワープレーに押され気味の時間が長く続いた。
 何時、オーストラリアが点を取るかという場面が、何度も繰り返される。守備を突破され、川島は一人で守る場面が4度。何時点を取られるか、ハラハラが90分続き、延長の前半15分も過ぎ、後半も同じような場面が予想されたが、4分過ぎ長友が粘り、走りこんだ李に合わせてクロス。李がGKの動きをよく見ながら、右に蹴らずに、難しい左にボレーシュートを放って、決めた。
 一瞬の攻撃をしっかりと掴んだのは日本だった。


残り、11分もオーストラリアに攻め込まれたが、凌ぎ続けた。終了間際、相手のハンドは採らなかったレフリーが岡崎のハンドを採ってフリーキックを与えたときは、悪夢の再来かと思われたが、相手の焦りに助けられ、逃げ切った。


経過はとにかく、従来分の悪かった韓国にもオーストラリアにも競り勝ったザックジャパンは賞賛に価する。


応援するのは大変だが、ドラマよりドラマなザックジャパン・ドラマが拍手喝采のうちに終了した。
 目出度い幕引きだったが、これから寂しくなる。



 



『日本最多4度目V 李が決勝弾/アジア杯
2011年1月30日(日)10:08


<アジア杯:日本1-0オーストラリア>◇29日◇決勝◇カタール


 李の決勝弾でザックジャパンがアジアの頂点に立った。日本(FIFAランク29位)はカリファ競技場で行われた決勝でオーストラリア(同26位)と対戦。0-0のまま突入した延長戦の末、勝利した。延長後半4分に途中出場のFW李忠成(25=広島)がDF長友佑都(24)の左からのクロスを左足ボレーでたたき込み、値千金の決勝ゴールを奪った。準々決勝、準決勝に続く控え組の大活躍で、日本が2大会ぶり、史上最多となる4度目のアジア制覇を成し遂げた。


 ザックジャパンの3人目のラッキーボーイが、アジア制覇をたぐり寄せた。試合を決めたのは、延長前半9分から途中出場した李だった。同後半4分、長友の左からのクロスを受け、豪快な左足ボレーで値千金の決勝点を奪取。故障離脱した昨季まで広島で同僚だったDF槙野の得意とする弓を射るゴールパフォーマンスを披露すると、歓喜の疾走、そしてザッケローニ監督に抱きついた。


 準々決勝カタール戦で出場停止のDF内田の代役DF伊野波が決勝点、準決勝韓国戦でも途中出場のMF細貝がゴールを奪った。そしてこの日、またもや生まれたラッキーボーイ。12月中旬に左ひざ半月板を手術したFW森本(カターニア)の「代役」で代表初招集の男が、「得点を奪うことでチームに貢献したい」との言葉通りの一撃をオーストラリアにお見舞いした。


 日の丸を背負うことに人一倍の責任感と誇りを持つ。韓国国籍で日本に生まれ、04年にはU-19韓国代表候補として、韓国での強化合宿にも招集された。


 その後も、元韓国代表の洪明甫氏から韓国の五輪代表入りを熱望されたが、悩み抜いた末に出した結論は「日本のために、日本人になる」。06年9月に日本国籍取得の申請を出し、07年2月に「日本人・李忠成」が誕生した。


 国籍変更をしてまで、たどりついた日本代表。U-23代表として出場した北京五輪では振るわなかったからこそ、今回初招集された日本代表には決意を持って合流した。だから、カタール入り後も「日本を背負う誇りを胸に戦いたい。せっかくのチャンスだから、これをいかして代表に残りたい」と覚悟を固めていた。


 MF本田圭を中心に攻めながら好機をいかせず、逆に大型なオーストラリアの体格をいかした攻めで大苦戦を強いられるチームメートをベンチから我慢して見つめていた。監督から出場を告げられると、ベンチ前で仲間とタッチ。今大会は初戦のヨルダン戦のみの出場だったが、「今は耐えなければいけない時。ここで切れたらおしまい」とひたすら我慢。昨季途中までは広島で控え暮らしながら、終盤にエースFW佐藤の故障離脱でチャンスをつかみ、12戦11発で代表もつかんだ我慢の男が、ザッケローニ監督の期待に応えた。


 ザックジャパンのライバルは多い。前田、森本、岡崎…。だが、「裏への飛び出しには自信がある」と言い切る。「代表に生き残りたい」。日本人を選び、日本を人一倍誇りに思う男の一撃が、ザックジャパンを4度目のアジアの頂点に導いた。【菅家大輔】
』(日刊スポーツ)



高くて屈強なオーストラリアに何度も決定的なピンチを招いた。
 中澤が卒業し、闘莉王がいない守備は大会前は不安があった。だがザックジャパンは、泥臭く体を張って守った。
 DFもよく頑張ったし、川島の韓国戦と今日の決勝戦の活躍は素晴らしかった。


 



(トムソンロイター)


 気迫を持ちながら相手の動きを見届け、ぎりぎりのところで右手のひらだけ右足甲だけ体を横に投げ出し防ぎきった。
 PK戦で韓国のキッカーに両手を左右に大きく広げて、威嚇した気迫は素晴らしかった。あの迫力に韓国選手は失敗を誘発された。


ザッケローニ監督の采配も冴え渡った。
途中出場させた選手が次々と点を決めた。
韓国戦の細貝、今日の李。
 打つ手がことごとく有効だったのは、監督が選手をうまく鼓舞したからだ。


オーストラリアは強かった。だが、最後の詰めが単調で強引だった。川島が再三ファイン・セーブできたのは、その単調さを予測したからだろう。
 メッシのように余裕を持って、冷静にフェイントを使われたりすれば、一度は防ぎきれなかっただろう。


オーストラリア側の感想がある。


オーストラリア主将のルーカス・ニール
李の決勝ゴールについて「ほんのわずかの間、疲労のせいで集中が途切れた。このレベルでは自分たちがチャンスをつかまなければ、相手にチャンスを譲ることになる」。


ホルガー・オジェック監督
「チャンスはあったがものにできず、それが後に失点となってはね返った。もっと冷静に戦うべきだった」。


幸運の女神は何度も微笑んでくれない。
ワンチャンスをものにする何かが必要だ。今日のザックジャパンにはそれがあった。
 オーストラリアにはそれがなかった。



香川、松井、森本、闘莉王が復帰すれば、もっと強いザックジャパンが生まれる。
 今後の活躍にまた期待したい。



 

2011-01-29 (Sat)

2011/01/29 日記 雪催

2011/01/29 日記 雪催

2011/1/29 (土) 旧暦: 12月26日    6時43分  17時04分  2時40分  12時30分  24.75  甲申 (こうしん,きのえさる)  先勝  三碧木星  小犯土終、十方暮入今日の季語: 雪催(ゆきもよい)      今にも雪の降りそうな空模様。雪模様。      《季 冬》「湯帰りや灯ともしころの―/荷風」                 (デジタル大辞泉) (山歩きメモ...

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2011/1/29 (土) 旧暦: 12月26日    6時43分  17時04分  2時40分  12時30分  24.75  甲申 (こうしん,きのえさる)  先勝  三碧木星  小犯土終、十方暮入


今日の季語: 雪催(ゆきもよい)
      今にも雪の降りそうな空模様。雪模様。
      《季 冬》「湯帰りや灯ともしころの―/荷風」
                 (デジタル大辞泉)


 



(山歩きメモ関西在住です より転載)



雪催の俳句:


・からすみの琥珀色透く雪催 築城百々平


・五百羅漢声あげてをり雪催 蓬田紀枝子


・人中や風船ゆきて雪催 秋元不死男


・刃物屋の暗さが匂ひ雪催ひ 行方克己 無言劇


・雪催ひことこと妻の土鍋煮ゆ 岸本砂郷



ただでさえ暗い冬の空を黒い雪雲が覆うと、街は薄暗く夕闇のようになる。
 その暗さにもかかわらずというかだからこそというか、俳人はその中にカラフルな風船を見たり五百羅漢の声を聞いたり土鍋の煮える音を聞いたりする。
 明日からはまた大雪の襲来だそうだ。


昨晩、沖縄から帰ったが、沖縄が暖かかったせいか、その反動で今日は一日、寒かった。
 暖かかった沖縄のことを思い出して、心を温かく保つより方法がない。


それにしても雪の前は寒い。


 

2011-01-28 (Fri)

2011/01/28 沖縄旅行第4日目-その1 島根の塔

2011/01/28 沖縄旅行第4日目-その1 島根の塔

旅行最終日は本格的な雨になった。こんな日はあまり動きまわるには適さない。毎回お参りしている魂魄の塔内の島根の塔には行かなければならない。読谷村から出て南下し、沖縄南ICから高速道路である沖縄自動車道に乗る。都合の良いことに、今は社会実験のためにこの道路は無料化が行われている。 空港から先の豊見城まですべて無料化の対象区間だ。高速道路に入ると、以前の沖縄自動車道とは様子が違っていた。以前は車が少なく高...

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旅行最終日は本格的な雨になった。
こんな日はあまり動きまわるには適さない。


毎回お参りしている魂魄の塔内の島根の塔には行かなければならない。


読谷村から出て南下し、沖縄南ICから高速道路である沖縄自動車道に乗る。都合の良いことに、今は社会実験のためにこの道路は無料化が行われている。
 空港から先の豊見城まですべて無料化の対象区間だ。


高速道路に入ると、以前の沖縄自動車道とは様子が違っていた。以前は車が少なく高速道路らしかったが、今は58号線のように車で一杯だ。走行車線も追越車線もベルトコンベアー状態だ。
 58号線も渋滞するほどだから、高速道の無料化は沖縄にとっては必要なことだろう。
 豊見城ICから降りると、一般道は車がなく穏やかな沖縄の風景に戻った。


毎回訪れている思い出の場所である平和祈念公園までは足を伸ばさず、島根の塔のみにする。
 本島南部の糸満市に所在する米須霊域は、平和祈念公園と並ぶ霊域で、島根の塔も東京の碑と共にこの霊域にある。
 場所は、那覇方面から来ればひめゆりの塔を通りすぎてすぐのところを右折し海岸近くまで行ったところだ。


 


 近くのビーチはサーフィンの適地らしくサーファーをよく見かける。


 
島根の塔も、今日は雨の中だ。
毎回訪れているが完全な雨は初めてだ。
写真では明るく写っているが、実際は薄暗い。


 


碑面の田部長右衛門知事の言葉を読みながら、戦後日本の礎・根となってくれている霊に感謝の念を捧げて手を合わせる。


 美しく花開くためにはそ
 のかくれた根のたえまない
 営みがあるように 私達の
 平和で心静かな日々には
 この地に散ったあなた達
 の深い悲しみと苦しみが
 そのいしずえになっている
 ことを思い ここに深い祈
 りを捧げます



 昭和四十四年三月
 島根県知事 田部長右衛門



お参りを済ませて、旧交を温めるべく那覇に向かう。



 

2011-01-28 (Fri)

2011/01/28 沖縄旅行第4日目-その2 ゆうなんぎい&那覇

2011/01/28 沖縄旅行第4日目-その2 ゆうなんぎい&那覇

那覇に着いたのが1時近くなったので、お気に入りの「ゆうなんぎい」に昼食に行く。タワーパーキングに駐車し、傘をさして歩く。 待た無くてもよいか心配したが、勤め人の昼食が終わったのだろう、席は空いていた。 定食を進められるが、あまりお腹が空いていないので、多くは注文できない。 フーチャンプルーとてびち煮付けを注文する。 カウンターは、いつもの通り変わっていない。 壁に有名人の色紙が貼っ...

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那覇に着いたのが1時近くなったので、お気に入りの「ゆうなんぎい」に昼食に行く。


タワーパーキングに駐車し、傘をさして歩く。


 
待た無くてもよいか心配したが、勤め人の昼食が終わったのだろう、席は空いていた。



 




定食を進められるが、あまりお腹が空いていないので、多くは注文できない。
 フーチャンプルーとてびち煮付けを注文する。


 



カウンターは、いつもの通り変わっていない。


 
壁に有名人の色紙が貼ってある。
見ると山田洋次監督の色紙がある。
字だけの簡単な色紙だが解りやすい。
その後、寅さんを連れてきたのだろうか
確かめるのを忘れた。


 



昼間は、ご飯・味噌汁・漬物がつけてもらいことができる。


 
ゆうなんぎいのフーチャンプルーは、麸が大きくふんわりとした柔らかい口当たりがおおらかな印象だ。花織のものは、麸が小さく香ばしい。どちらも美味しい。


 
てびちも癖が無く、身離れがよく、骨までしゃぶりつくすことができる。


今回は、ゆうなんぎいに昼しか来れなかったが、叉の機会に夜来ることにしよう。



 

2011-01-28 (Fri)

2011/01/28 沖縄旅行第4日目-その3 旅の終わり

2011/01/28 沖縄旅行第4日目-その3 旅の終わり

ゆうなんぎいを出て、旧交を温めるべく、以前お世話になったウチナンチュに会いに行く。 用意してきたおみやげを手渡すと、向こうもおみやげを用意してくれた、おみやげを入れるケースのスペースはもう無いのだが、嬉しいことだ。 久しぶりにあって、変わりがないことを確認する。変わったのは年齢だけだと、お互いに自己満足して。帰りの飛行機は夕方の便なので、時間はたっぷりある。今度は、持って帰るおみやげの買い物だ。お...

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ゆうなんぎいを出て、旧交を温めるべく、以前お世話になったウチナンチュに会いに行く。
 用意してきたおみやげを手渡すと、向こうもおみやげを用意してくれた、おみやげを入れるケースのスペースはもう無いのだが、嬉しいことだ。
 久しぶりにあって、変わりがないことを確認する。変わったのは年齢だけだと、お互いに自己満足して。


帰りの飛行機は夕方の便なので、時間はたっぷりある。
今度は、持って帰るおみやげの買い物だ。


お世話になっている人へのお菓子を買い、わしたショップを見ていると、やちむんの里では見かけなかった海老紋の盃が置いてあった。


 
白い釉薬をかけ海老の文様が彫られている。



 
少し大ぶりの高台のある形で、これなら日本酒にも使えるので買うことにした。


レンタカーを返す間でにまだ時間があるので、沖縄アウトレットモールあしびなーで時間を潰すことにする。
 雨の日なのだがあしびなーは人が多かった。
みな同じことを考えるのだろう、観光客風の人たちが同じように店舗巡りを行っている。


時間になり、レンタカーを返却し、バスで空港まで送ってもらい、搭乗手続きを終え、飛行機に乗り、天気は良くなかったが多少の揺れはあったが大きく揺れることもなく、無事中部国際空港に到着したのは流れるように予定通りであった。


実は、空港から家までの間に少事件が起きたのだが、これに付いては語るまい。
 終わりよければすべてよしだから。



終わってしまえば、一瞬のようだが、今回の沖縄訪問は内容が濃いものがあった。
・世界遺産の訪問完成
・泡盛蔵の見学
・今帰仁、読谷の歴史
・新しい呑みどころ・食べどころの開拓
今回の成果の先に、また次の沖縄訪問への道が開けている。


沖縄に何度も行くのはどうしてだろうと考える。
其処は思い出に満ちた場所であるからだともいえるが、センチメンタルジャーニーは前々回で終わった。沖縄には今も未来もある。
思い出だけの場所ではない。


理由はよく解らないが、沖縄に行くと元気になる。
それが一番の理由かもしれない。
飲んで・食べて・楽しく過ごして、それで元気になることも確かだが。
 お刺身を差し入れてくれた田舎者の大将・黒砂糖を袋に入れてくれた道のそばのおばちゃん、駐車場で車を寄せてくれたウチナンチュの青年、GOえん代行の運転手さんたちの温かさを感じながら...。



 

2011-01-28 (Fri)

2011/01/28 日記 寒牡丹

2011/01/28 日記 寒牡丹

2011/1/28 (金) 旧暦: 12月25日    6時44分  17時03分  1時37分  11時40分  23.75  癸未 (きび,みずのとひつじ)  赤口  二黒土星  今日の季語: 寒牡丹 (My photo memory(バード) より転載)『ボタン(牡丹、学名:Paeonia suffruticosa)は、ボタン科ボタン属の落葉小低木。または、ボタン属(Paeonia)の総称。 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」...

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2011/1/28 (金) 旧暦: 12月25日    6時44分  17時03分  1時37分  11時40分  23.75  癸未 (きび,みずのとひつじ)  赤口  二黒土星 


今日の季語: 寒牡丹


 



(My photo memory(バード) より転載)


『ボタン(牡丹、学名:Paeonia suffruticosa)は、ボタン科ボタン属の落葉小低木。


または、ボタン属(Paeonia)の総称。 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」など多数。


以前はキンポウゲ科に分類されていたが、おしべ・花床の形状の違いから現在はシャクヤクとともにビワモドキ目に編入され、独立のボタン科とされている。(※)
...
園芸
樹高は原種で3m、接木で作られる園芸品種で1~1.5m。


従来は種からの栽培しかできなくて正に「高嶺の花」であったが、戦後に芍薬を使用した接ぎ木が考案され、急速に普及した。


鉢植えや台木苗で市場に出回る。


 園芸品種
春牡丹
春牡丹は4~5月に開花する一般的な品種。


寒牡丹
春と秋に花をつける二季咲きの変種。通常は、春にできる蕾は摘み取り、秋にできる蕾のみを残し10月下旬~1月に開花させる。


冬牡丹
春牡丹と同じ品種を1~2月に開花するよう、特に手間をかけて調整したもの。寒牡丹と混同されることが多いが、これは放置すると春咲きに戻ってしまう。』(Wikipedia)



寒牡丹の俳句:


・開く音ありやと待てり寒牡丹 能村登四郎


・寒牡丹淡く色よしこもを着て 保田一豊


・寒牡丹白きほむらの激しさに 長山あや


・恋心あり白抄の寒牡丹 菊池育子


・寒牡丹巫女が匂ひて通りけり 石鍋みさ代


・寒牡丹僧が手塩のくれなゐに 中川濱子



厳しい冬の凍てる中に花を開く寒牡丹。
春は遠いが、ボタンの回りは明るく華やかだ。
見つめていると恋心も蘇る。
それは神に傅く巫女も、仏に仕えて修行する僧侶でも変わりはない。
 春は桜だが、寒中は牡丹を見て心を蘇らせよう。


季語としては、寒牡丹も冬牡丹も区別はなさそうだが、園芸品種としては区別されるもののようだ。



 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その1 残波岬

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その1 残波岬

昨日は、北部を回り、時間を刻んで動いたので忙しかった。3日目の今日は、蔵見学を午前中に済ませてから、沖縄の世界遺産で登録後まだ見ていない中城城跡を見て、後は読谷の見所を幾つか自由に見てまわる予定だ。 夜は、ツアーのホテルの夕食が付いているのでホテルだが、収まらなければ、残す読谷物語に出かけるかもしれない。ホテルの朝食はビュッフェ。 スクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコンは元々は好きなのだが、...

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昨日は、北部を回り、時間を刻んで動いたので忙しかった。
3日目の今日は、蔵見学を午前中に済ませてから、沖縄の世界遺産で登録後まだ見ていない中城城跡を見て、後は読谷の見所を幾つか自由に見てまわる予定だ。
 夜は、ツアーのホテルの夕食が付いているのでホテルだが、収まらなければ、残す読谷物語に出かけるかもしれない。


ホテルの朝食はビュッフェ。
 
スクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコンは元々は好きなのだが、沖縄旅行では今ひとつしっくり来ない。
 沖縄の料理、和の漬物がいい感じだ。


 
右上がソーキの煮込み。
昨日は塩味だったが今日は砂糖醤油だ。砂糖醤油のほうが美味しいと思った。
 このホテルのソーキは、軟骨の骨が小さいので、軟骨までボリボリ食べられるのが良い。肌とか関節とか張りとか潤いとかを保つには格好の食べ物だ。煮込んで脂を落としてあるのでそんなにギトギトではない。


 



カーテンを開け、ベランダに出ると、風が強い。
岬のホテルだから冬場はやむを得ない。
此処の風車は絶えず回っている、効率よく発電しているだろう。


 
見回すと、鉛色の空なので、海も青くはない。


 
岬の灯台も見える。


 
晴れてはいないが、雨は降ってはいない。
旅行前の天気予報では毎日雨だったが、今日も大きく崩れる事はなさそうだ。


ホテルから車で出て、蔵見学の前の時間を利用して、岬の灯台に行ってみる。


 
灯台の手前に銅像が立っていた。


泰期(たいき)像と書いてある。
沖縄では有名な人なのだろうが、初めて聞く名前である。
 泰期像は約180cm、像が指しているのは中国福建省の方向だそうだ。


 


台座によれば、この像は、2008年に読谷村商工会によって建てられたとある。


また「おもろそうし」の歌と歌われている泰期のことが書かれた碑がある。


 
 おざのたちよもいや
 たうあきない
 はゑらちへ
 あんじに おもわれ  
又 いぢへきたちよもいや


  



解説によれば、
『読谷山(現読谷村)宇座の泰期は、1372年、察度王の御名代として、中国への初の進貢使となった人です。
よって泰期は、中国の歴史に初めて名を留めた琉球の人物となり、「明史」に3回、「明実録」に5回も登場します。
中国へ進貢すると、莫大なみかえり品が贈られますので、
「おもろさうし」では唐商い(とう商い、中国との交易)としたのです。
泰期こそは、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者だったのです。』


1372年といえは、本土では室町時代、三代将軍足利義満の時代である。
 泰期は、かなり古い時代の人だ。


調べてみると、中国の『明史 琉球伝』には以下のような記載があるとのことだ。
「(洪武)五年正月(1372年2 月)行人楊載に命じて、即位建元の詔を以て、其の国(琉球)に告げしむ。其の中山王察度、弟泰期等を遣わして、載に随いて入朝し、方物を貢する」。


「おもろそうし」は、
『「おもろさうし」(おもろそうし)とは、尚清王代の嘉靖10年(1531年)から尚豊王代の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌集。沖縄の古い歌謡であるおもろを集録したものである。漢字表記すれば「おもろ草紙」となり、大和の「草紙」に倣って命名されたものと考えられる。なお「おもろ」の語源は「うむい(=思い)」であり、そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられている。全22巻。』(Wikipedia)


「おもろそうし」の歌に付いての研究がある。
『五 たう(唐)


琉球は中国皇帝の冊封を受けることによって、中国との交易を開始継続してきたのである。そればかりか、冊封
国同志の交易もできた。小さな海洋国琉球はその地位を十二分に利用して、舟揖をもって万国を橋梁として物貨を
交易して栄えたのだった。なかでも圧倒的に中国との交易が多かった。『おもろさうし』にもそのことが反映して
いる。巻一五の六六、読谷山関係のおもろに、


おざのたちよもいや(宇座の泰期さまは)
たうあきないはゑらちへ(唐商いを流行させて)
あんじにおもはれれ(按司に愛されよ)
又いぢへきたちよもいや(出来物泰期さまは)


とある。一三七一一年明の太祖が楊載を使者として遣わし、中山王察度を招論する。実質的な冊封である。これに対
して察度は王弟と称して泰期を派遣する。進貢貿易の開始である。巻一四の一に、


ぢやなもいや(謝名さまは)
たがなちやるくわが(誰が生んだ子か)
こがきよらさ(こんなにも美しく)
こがみぽしや(こんなにも見たくなる)
あよるな(あるよまあ)
又ももぢやらの(大勢の按司の)
あぐでおちやるこちやぐち(待ち望んでいた倉庫の扉を)
ぢやなもいしゆあけたれ(謝名さまこそ開けた)
又ぢやなもいがぢやなうへばるのぽて(謝名さまが謝名上原に上って)
けやげたるつよは(蹴りあげた露は)
つよからどかばしやある(露さえも香ばしい)


とある。確かな根拠は示されているとは言えないが、ここの「ぢやなもい」は察度のことと言われる。王朝を開き
中国との関係を始めた偉丈夫として、尋常ならざる生誕、按司たちが羨望した異国の至宝が充満した宝庫、まさに
その扉を開いた英雄として、おもろでも讃えられている。』
(『おもろさうし』にあらわれた異国と異域 池宮正治著
  琉球大学 日本東洋文化論集(9): 15-36 より転載)



読谷には「いちへき泰期のあちねー魂」と言うスローガンがあるそうだ。
 「いちへき」というのは勇気のあるということ。「あちねー」というのは、商売のことだそうだ。
「あちねー」は商(あきない)の訛りと想像がつくが、「いちへき」はなんだろう。


調べてみると、「いちへき」は漢字では、「意地気」と書くそうだ。


この表記で想像されるのは、「意気地」だ。「いくじ」は「いきじ」の音変化である。
「いきじ」は、事をやりとげようとする気力。


逆に「意気地がない」は、
1 やりとげようとがんばる気力がない。
2 だらしがない。しまりがない。
と考えてくれば、
「いちへき」とは「いきじ」と考えて間違いないだろう。


何時の時代もどこでも意気地は必要だ。



琉歌「特牛節」の碑もある。
 
「大北の牡牛や なじち葉ど好ちゅる わした若者や 花ど好ちゅる」


 
「大西村(読谷の古称)の強い牡牛は、なじちゃの草が大好きであるが、われわれ若者たちは美しい花(美童)が大好きである。」


本土にも和歌・俳句の石碑が各地にあるように、沖縄には琉歌の石碑がたくさんある。この碑もその一つだ。
琉歌とは、
「本土の和歌に対して、沖縄の歌を琉歌という。和歌は、5・7・5・7・7の5句ク31音(みそひともじ)だが、琉歌は、8・8・8・6の4句ク30音ン(サンパチロク)である。琉歌は、今から400年ほど前に、三線の伝来普及とともに発展し、氏族から庶民まで幅広い階層で親しまれ、田畑で歌う労働歌、慶事で歌う祝い歌、毛遊びなどでの掛歌・恋歌など普段の生活に密着した歌が数多く残されている。又、現在の生活とも密接なむすびつきがあるのも特徴である。」(琉歌鑑賞より転載)


沖縄には琉球の文化が広く深く横たわっている。
沖縄を愛するということは琉球の文化を愛するということだ。



 
『残波岬灯台(ざんぱみさきとうだい)は、沖縄県の沖縄本島中ほどにある読谷村の残波岬突端に立つ、白亜の大型灯台。周辺は、沖縄海岸国定公園に指定され、30mもの断崖絶壁が約2kmも続く、雄大な景観が広がっている 。


 歴史
1974年(昭和49)3月30日に設置、初点灯された。
2001年(平成13)8月、地元の要望で、参観灯台となり一般公開される。
 一般公開
一般公開(有料大人200円(2008年7月現在))されている参観灯台で、上まで登ることができ、灯台上からは、東シナ海の見晴らしが良く、晴れていれば、粟国島、渡名喜島、久米島などを望むことも出来る。』(Wikipedia)


 


 
灯台近くには航空写真の展示がある。


 



残波岬から見る海は灰色の空と鉛色の海。
冬以外は青空とエメラルドグリーンまたは紺碧の海が見えるだろう。


 
風が猛烈に吹いている。
肌をさす冷たさでは無いが体温を奪う寒さがある。


 
雨は降っていないし、浜辺ではないのだが、時折水が降ってくる。
潮が風に乗ってくるのだろう。
もうそろそろ潮時だ、帰ることにしよう。


 
振り返ると、遠くに、ホテルが見える。


駐車場に戻るとビデオカメラを担いだクルーがいた。
冬の残波岬が題材になるのだろうか。


次の目的、新里酒造の蔵見学に行く時間だ。



 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その2-1 泡盛「琉球」新里酒造蔵見学

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その2-1 泡盛「琉球」新里酒造蔵見学

琉球王朝時代の泡盛は、18~19世紀には王府が管轄するようになり、首里の赤田・崎山・鳥堀の3箇所に限定され醸造がされていた。 新里酒造のルーツは、その時代にまで遡る、沖縄最古の蔵元である。 弘化3年(1846年) 首里、赤田にて初代新里蒲が創業した。160年余の歴史を有する沖縄最古の蔵である。沖縄市に本社がある新里酒造が首里に無いのは意外だったが、進取の精神により業容を拡大している為のようだ。 首里から大...

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琉球王朝時代の泡盛は、18~19世紀には王府が管轄するようになり、首里の赤田・崎山・鳥堀の3箇所に限定され醸造がされていた。
 新里酒造のルーツは、その時代にまで遡る、沖縄最古の蔵元である。
 弘化3年(1846年) 首里、赤田にて初代新里蒲が創業した。160年余の歴史を有する沖縄最古の蔵である。



沖縄市に本社がある新里酒造が首里に無いのは意外だったが、進取の精神により業容を拡大している為のようだ。
 首里から大正年間に那覇市若狭、戦争の混乱期を経て、昭和28年那覇市牧志にて事業再開、昭和63年 沖縄市古謝へ工場を移転、業容の拡大により平成18年4月 うるま市州崎に最新設備を備えた新工場を稼働させ、現在に至っている。



現在泡盛の醸造で広く使われている泡なし酵母「泡盛101号」は、現在の代表者である新里修一社長が沖縄国税事務所の鑑定官であった1988年に開発したものだそうだ。
『この研究は、「泡なし酵母」の気泡に付着しない性質に着目し、従来の「泡盛1号酵母」の中から60億分の1の割合で存在する「泡なし酵母」の分離に成功、これを実用化した。これまで日本酒の製法でも使われてきた「泡なし酵母」分離法を泡盛の製造に応用したもので、この生産性を飛躍的に増やす画期的な研究成果は現在県内ほとんどの酒造所で利用されるものとなった。



泡盛の製造過程で、原料の米を蒸したあと仕込みで種酵母を入れる。ところが、従来の酵母を使用すると酵母が活動すればするほど泡がたち、容器からあふれ、作業員がつきっきりで、泡をかき混ぜたり、仕込み量を減らしたりしていた。泡なし酵母を使用することによって、泡の管理の繁雑がなくなり、仕込みの量が増え、14日間発酵させていたモロミも12日間で蒸留でき、さらにアルコールの生成が速いため、雑菌汚染の割合が低く、アルコールの取得量も増えるという成果がでた。この新しい酵母は「泡盛101号酵母」と命名されている。』(新里酒造HP)
 
泡盛「琉球」を初めて飲んだのは何時だか記憶にないが、意識したのは比較的最近だ。
 昨年1月の沖縄旅行で首里の「ゆくい処 石だたみ」で飲み比べした時である。
 この時の印象は、以下の記事に書いた。
2010/01/29 花見&宴 in 沖縄(2日目)-その5「ゆくい処 石だたみ」
http://blog.goo.ne.jp/nabanatei/s/%A4%E6%A4%AF%A4%A4



そのご機会のあるたびに飲んでいるが、綺麗で爽やかな飲み口は上品さがあり、特に後口の癖の無さが快い。
 今回、蔵見学ができることになったのは楽しみである。




車のナビに任せて走っていくと、沖縄市から離れうるま市へ向かって走っていく。
 うるま市に入ると、車は海の方へ走っていく。運河に掛かった橋を渡り、埋め立てられて開拓された臨海工業団地のような雰囲気に入っていく。
 本当に此処で良いのか不安になって、新里酒造に電話を入れると間違っていない。
 左折すべきところを直進して迷ったりしながら、約束の10時にはなんとか間に合った。



新しく造られた新社屋、工場が立ち並ぶ臨海都市のようなところに新里酒造の蔵はあった。
 6階建てぐらいの高さの大きな建物である。



 




(泡盛百科 より転載)



敷地内に入るとすぐ来客用駐車スペースがあり、便利だ。



 
入り口には、「和醸良酒」の幕が掲げられている。
この言葉は、親しみを感じる。
愛知の日本酒の銘酒「蓬莱泉」でも使用しているからだ。



ドアを入ると事務室で、女性の方が立ち上がって出てこられる。蔵見学で参上しましたと告げると、すぐに担当の方が出てこられた。



蔵見学は最終工程から始まったが、製造工程に従って順序を変更して記載する。



事務所横の入り口から工場内に入る。
工場内には、靴を脱いで専用の履物に履き替える。
白い布の棒を手渡れたので何かと思ったところ、見学用の帽子だった。日本酒の蔵でもここまで衛生管理している蔵は少ない。



出荷場に入ると、出会った従業員が、すべて
"こんにちは"
"いらっしゃいませ"
と挨拶される。
石川の常きげんの蔵鹿野酒造の快い蔵見学を思い出した。



<工場>
このうるま市の新工場は、4年前に作られ、首里から数えると5場所目になる。
 沖縄市の本社工場が生産面で手狭になってきたので、こちらに新工場を建てた。本社工場の方は、もろみ酢の生産、高級泡盛の熟成(甕・樽貯蔵)を行っている。
 新工場では、自社ブランドの醸造の他、PBの生産も積極的に行っている。サントリーが販売する「琉球泡盛 美ら島」もそうである。出荷場には大手居酒屋チェーン向けのオリジナル商品の箱も積まれていた。




<酒米>
 
酒米はタイ米である。
説明では、新里酒造ではすべて丸米を購入する。砕米は一時問題になった事故米の様に品質面に問題がある場合があるので使用しない。丸のままのタイ米を購入し、自社用に砕いて使用している。米の輸入は、一企業では出来ないので政府を経由してになるとのことだった。
 
<洗米>
 



投入された酒米は、パイプを経由して洗米機に送られ、自動的に洗米される。



 
洗米された酒米は、浸漬タンクに運ばれ所定の時間水に浸漬される。
 すべて自動化されているので、洗米から浸漬まで到着するのに1時間程度の時間しかかからないとのことだった。



<蒸し>
 
浸漬された酒米は、パイプで連続蒸米機に送られる。



 
連続蒸米機。
見学者を想定して、機械には説明書きが表示されている。



 
コンベアに載せられた酒米が蒸気で自動的に蒸し上げられる。



<冷却>
 
蒸し上げられた酒米は、連続冷却機に送られる。



 
連続冷却機では、麹を造るために適当な温度まで冷却が自動的に行われる。



 
能力は毎時3tで連続蒸米機とおなじである。



<製麹>
米麹の造りは造る泡盛の酒質に合わせてドラム式と円盤式の二通りの製麹機で行われる。
ドラム式は、ボデーのある味の厚みのある泡盛用の麹が造られる。ドラム式製麹機は1.5tのものが2機ある。
円盤式は直径6mの円盤の床で麹を造る方式。この円盤式で造られる米麹は、白くスッキリとした味わいの泡盛を造るために使用される。(この円盤式は日本酒の蔵でも使われているのもである。)



  



 
ドラム式製麹機。



 
ドラム式製麹機の内部。2機の内こちらは麹の生産中ではなかった。



 
もう一台は運転中。



 
NFT自動製麹装置。
円盤直径6m、製麹能力は1回あたり5t。



 
造られた米麹はパイプを使って仕込みタンクへ自動的に移送される。



<仕込み>

 
仕込みタンクはステンレス製。
内部は二重構造で、外側を冷却用の水が回り、温度制御されている。



 



仕込みタンクの上にあがり、蓋を開けて、中の醪を見せていただく。



 
仕込み直後、1日目の醪。
黒麹を使用しているため、やや緑色がかった黒色の醪。



 
8日目の醪。
泡盛の醪の色は、黒から次第に薄い茶色に変わっていくそうだ。



 
醪の表面。泡なし酵母のため泡は吹きあげていない。



一般的な、泡盛の醪期間は2週間であるが、新里酒造は低温発酵をしているので15日から20日の醪期間で造っているとのことだった。
 日本酒の吟醸酒も純米に比べて低温発酵させるため醪期間は長くなる。新里酒造の泡盛の後口の良さは、この辺りに秘密があるのかもしれない。




 
梅酒が仕込まれているタンクも見せていただいた。

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その2-2 泡盛「琉球」新里酒造蔵見学

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その2-2 泡盛「琉球」新里酒造蔵見学

<蒸留>蒸留機も酒質により、常圧蒸留機と減圧蒸留機の使い分けが行われている。 減圧蒸留機が2機ある。今帰仁酒造の蔵見学記事で書いたように、減圧蒸留の場合は、沸点が低くなるため、アルコールの気化が早くなる。そのため低温で蒸留されるため、醪の癖が出にくくなる。蒸留されたアルコールは癖のないスッキリした味わいになる。  常圧蒸留機では、熟成古酒泡盛用の醪の蒸留が行われる。こちらは通常の沸点の...

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<蒸留>
蒸留機も酒質により、常圧蒸留機と減圧蒸留機の使い分けが行われている。



 

減圧蒸留機が2機ある。
今帰仁酒造の蔵見学記事で書いたように、減圧蒸留の場合は、沸点が低くなるため、アルコールの気化が早くなる。そのため低温で蒸留されるため、醪の癖が出にくくなる。蒸留されたアルコールは癖のないスッキリした味わいになる。



 



 
常圧蒸留機では、熟成古酒泡盛用の醪の蒸留が行われる。
こちらは通常の沸点のため、醪の持つ香り・味わいの個性がある程度アルコール分の中に溶け込むために伝統的な泡盛の味わいを保つことができる。



<蒸留カス>
蒸留してアルコール分が抽出した後の蒸留カスは、もろみ酢の原料・豚の飼料・肥料・土地の改良剤などに利用される。
日本酒のような搾り粕(酒粕)にはならず、液体のようだ。
粕歩合も低く、日本酒に比べると泡盛の生産効率は高いようだ。



<蒸留後の濾過等の処理>
 
蒸留後の後処理が冷却と濾過機により行われる。
冷却タンクでは、生成された泡盛を温度を5℃まで下げ、紛れ込んでいる油脂分等の雑味成分を取り除く。日本酒で言えば澱引き作業だろう。



 

濾過機。
日本酒の濾過と同じである。



<ブレンド・調合>
 
瓶詰め前に、泡盛のブレンド・調整が行われる。



 



<水>
 
仕込み水・割り水に付いては、水道水を醸造用に処理を行い使用しているとのことだった。
中部地区に付いては、米軍基地が多く、米軍が地下水を利用したりしているので、井戸水に対してはリスク要因になっている。そのため井戸水を使うことは、仕込みにリスクを持ち込む可能性があるので、リスク排除のため井戸水は使用しないとのことだ。
基地問題は醸造にまで影を落としている。



<瓶詰>
 
リンサー。洗瓶機械である。



 
瓶の検査機械。



 
充填機。泡盛を瓶詰めする機械。



 
瓶のキャップを着ける機械。



 
瓶詰め作業が終了した後、最終的に中味を目視で検査する。専門の担当が15分交代で目視検査を続けているとのことだった。



<熟成>
一般酒は、半年程度の熟成。
古酒は、3年以上熟成させて出荷される。




<泡盛の価格>
蔵見学が終り、事務所に戻ると新里酒造の商品が展示されており、購入することもできる。
 「カネコウ20年」のレアモノ古酒も入手できる。




沖縄でしか入手できない商品を聞くと、「琉球ゴールド 30°」とのこと。この泡盛は、一般的な軽い爽やかな琉球ではなく、ボデーのあるコクのあるタイプとのこと。これを1本購入することにした。
 
棚を見ると価格が表示されているが、一つの商品に3つの価格が表示されている。
 窓口価格   1029円
 県内小売価格 1344円
 県外小売価格 1418円
支払った額は窓口価格の1029円。県外一般価格より27%も安く購入できた。
 昨日今帰仁酒造でカタログ価格以下で請求された意味が解った。カタログ価格は県外小売価格であり、購入した価格は窓口価格であった。



帰ってから調べたところ、沖縄の泡盛の県内価格は、沖縄復帰特別措置法で酒税が軽減されているそうだ。県内小売価格が県外小売価格と比べ安いのは解るが、窓口価格と県内小売価格の差は何だろう。中間マージンと輸送費がカットされているのだろうか。
理由はともかく、旅行者にとって窓口価格で購入できることはありたい。沖縄旅行の際は蔵で泡盛を購入するのが賢い方法だ。




【感想】
(1)不易流行
 沖縄で最も古い歴史を持つ新里酒造は、最新の蔵でもあった。
古い伝統的な泡盛を継承しながら、清潔な環境で最新式の設備でクリヤーな上品な泡盛を醸造する近代的な蔵でもあった。古いものは受け継ぎながら、新天地を求め首里からうるま市まで移転しながら新しい時代に積極的に向かっている。
 芭蕉の言う不易流行の考えに通ずる会社である。
(2)機械化・自動化・清潔
 泡盛の最古の蔵というと、薄暗い蔵に甕が立ち並んでいるイメージをもってしまうが。新里酒造は全く違っている。機械化・自動化が徹底的に行われており、蔵内は近代的工場の様子だ。
 日本酒の蔵も機械化が進められた蔵もあるが、それらの蔵に比べても勝るとも劣らない。
 機械化・自動化により安定的な酒質が保持されるのが第一だが、加えて人件費等のコストが掛からず生産費を下げることが可能だ。
 「琉球」は酒質の割に価格が安いのは、機械化・自動化によるものだろう。消費者にとってはありがたい事である。
 工場内は説明によれば「ドライ化」が行われている。新設の工場では、水場とそうでない工程が完全に区別され、工場の床が常に乾くように設計されているとのことだ。
 ドライ化は、工場を清潔に保ち、酒質を安定化させる効果があるとのことだった。黒麹菌は繁殖力が強く、環境によっては繁殖し害があることもあるそうで、新里酒造はドライ化により清潔さを維持している。
(3)技術
 現代表が国税税事務所の鑑定官だったこともあり、酒質を保つための技術・機械化を常に追求している。泡なし酵母「泡盛101号」、最新の製造設備はその見える証拠だろう。
 一方、製麹・蒸留工程では2種類の製麹・蒸留機械を設置して、伝統的な味わいの泡盛からスッキリと後口の良い泡盛までニーズに応じた商品を送り出せる技術がある。
(4)ホスピタリティーと消費者志向
 蔵見学が出来ない蔵がある中で、新里酒造の蔵は蔵見学を想定した機械の説明の表示が行われており、我々のような素人にも機械設備の意味が理解できるように準備されている。
 蔵内の従業員の方は、必ず挨拶されるので、会社全体として応接マナーに心がけていることが理解できる。
 我々のような団体ではない個人の見学者にも丁寧に説明をいただき、質問に答えていただけるところにもホスピタリティーと消費者志向が現れている。




 予め固定観念で想像したイメージと実際の新里酒造とはひっくり返るほど違っていた。
 見学を終わってみれば、琉球の上品さと後口の良さはこの蔵の設備と技術と消費者指向から生まれているのだということが実感できた。 
  次回沖縄旅行の際は、許されれば沖縄市の本社蔵も見学をして見たい。



 



 今後は、「琉球ゴールド」を突破口として伝統的な味わいの古酒も含めて新里酒造の全体的イメージを味わいの面からまとめてみたい。



最後に、忙しい時間を割いて説明をいただいた新里酒造さんに感謝したい。



 



【新里酒造】
名称: 合名会社 新里酒造
設立年月日: 昭和25年10月1日
従業員数: 43名
出資金: 1,500万円
主要銘柄: 琉球、かりゆし、黄金の日日(金箔入り)
所在地:    
    〒904-2161 沖縄県沖縄市古謝 864-1(本社工場)
    〒904-2234 沖縄県うるま市州崎 12-17(州崎工場)
Tel.:098-939-5050
   フリーダイヤル 0120-413-166
Fax.:098-939-6549
公式ホームページ:
http://www.shinzato-shuzo.co.jp/index.html



 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その3 沖縄世界遺産 中城城址

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その3 沖縄世界遺産 中城城址

2000年(平成12年)12月世界遺産として登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)から構成されている。 昨年までに、中城城址以外は見学したので、今回ですべての見学が完成する。中城城址は、沖縄東海岸中部の中城湾にそった標高167メートルの高台上に、 北東から南西にほぼ...

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2000年(平成12年)12月世界遺産として登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、5つのグスク(首里城、中城城跡、座喜味城跡、勝連城跡、今帰仁城跡)と、その関連遺産の4つの遺物(園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽)から構成されている。
 昨年までに、中城城址以外は見学したので、今回ですべての見学が完成する。


中城城址は、沖縄東海岸中部の中城湾にそった標高167メートルの高台上に、 北東から南西にほぼ一直線に連郭式に築かれた城で、車で入口近くの駐車場まで登ることができる。
 駐車場にはわナンバーの車が数台駐車しているのみだ。今帰仁城の賑わいとはかなり違う。


受付で、入園料を支払い、坂を登るが、平日の午後ということもあり、人影はない。


 
沖縄でも花の少ないこの時期は、花が咲いていると目の楽しみになる。


 
登り道の右側に植えられた寒緋桜は花を咲かせている。


 
山の高台なのに、今帰仁城より花が多く咲いている。


 
石積みを取り込んで大きくなっているガジマル。
年月をかけて張り巡らした木の根を見ているとこの木の生命力を感じる。


 
坂を登り切ると、中城城址の碑がある。


 
碑の近くには黄色のハイビスカスが花を付けていた。


 
サンニンの葉の緑が艶やかだ。


『中城城は、尚泰久王(しょうたいきゅう)時代(1454年~1460年)に、護佐丸が築いた城とされていますが、 はっきりとした年代は不明です。
 築城技術という点でも注目され、城は多郭式で六つの城郭から成り、南は断壁、北は急傾斜地になっています。城壁は、自然の岩石と地形をたくみに利用した曲線の美しい石壁で囲まれており、一の郭・二の郭が布積みの「石切積み」 、三の郭は「亀甲乱れ積み」の二通りの手法を用いています。


 表門を入ると一の郭、二の郭、三の郭と続き、首里城を遥拝したり、雨ごいのための御獄など、いたるところに拝所があります。


 山や海にかこまれ、静かなたたずまいをみせる中城村。私たちの村には、沖縄随一の名城として名高い中城城跡や有形無形の文化財が数多く残され、伝えられています。 


 1853年、黒船でペリー提督一行が沖縄に立ち寄った際、中城城を測量し「要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築は賞賛すべき構造のものであった」と『日本遠征記』に記されています。琉球石灰岩を使った城壁は、沖縄では唯一完全に近い形で残された貴重な遺跡で、1972年5月には国の史跡に指定されています。』(中城村HP)


 


 



碑の先に、城址の模型がある。



 


第二次大戦の戦禍を免れ、もっとも全体の原型をとどめているとされる中城城の構造がわかる。
 全体はかなり広いようだ。模型を見ると駐車場側の入り口は裏門になっている。裏から見るようになっているらしい。


<裏門>
 
北東に向かって建てられている門で、1853年5月にペリー提督が沖縄本島を訪れた際、中城城址を見て、アーチ式門の建築土木技術水準の高さに驚嘆し、エジプト式と評し、この城に関する詳細な報告文を書いているそうだ。


<北の郭>
 
護佐丸が井戸を取り込み増築したとされる北の郭。
井戸を設けるにより、長期の籠城にも耐えられるようにした。


<大井戸(ウフガー)>
 
北の郭の大井戸。
城郭内に水を確保することは最重要なことであった。


<三の郭>
 
三の郭への階段。幅が狭く急勾配だ。


 
郭内はかなり広い。
後代に増築され造られたため「新城(ミーグスク)」と呼ばれ、石積み技法は、亀甲乱積みによって築かれている。


 
階段を登ると海を見渡すことができる。



 
坂道・階段は奥へ。上へと続いている。


 
勝連城も大変だったが、この中城城址も夏の日盛りに来たら大変だと想像される。
 大きな木も建物もなく日陰がない。今日はやや寒いが、倒れそうな暑さよりはましだ。


 <二の郭>
 
郭が何層にも造られているのはやはり防御上の必要だろうか。



 
各郭には、拝所が設置されている。
郭は儀式の場としての機能も重要だったようだ。


 
一の郭への門が続く。


 
また拝所がある。


<一の郭>


 


 




 
中城城で最も広い一の郭には、昔は正殿があった。現在は発掘調査と修復が行われている。
 古は、正殿や護佐丸が宴を催した観月台があり城の中心であった場所も今は青いテントと石のみである。
 江戸時代には間切番所が置かれ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが沖縄戦で消失したそうだ。


<一の郭からの眺望>




 
 一の郭は最も高台にあり、東に中城湾(太平洋)、西に東シナ海を望み勝連半島、知念半島、さらに周辺の洋上の島々までも見渡すことができるそうだ。


<南の郭>
 


 



 


 
神の島・久高島を拝む久高遙拝所。
今も拝む人が絶えないそうだ。


 


 
首里の王を拝む首里遙拝所跡。



<正門>
 
南の郭から正門を見下ろすと、正門の屋根のアーチ部分は壊れたままである。


 

本来の入口側から正門を見る。


 
正門(やぐら門)は、南西に向けられて建てられている。
裏門のように美しい元の形に戻すべきだと思うが、観光の入り口は裏門側になり、本来の正門は今は裏口の扱いだ。


 
正門前には「中城城跡」の石柱が建てられている。



中城城は、尚泰久王時代(1454年~1460年)に、護佐丸が築いた城とされている。


護佐丸は沖縄の人にとって歴史上の英雄らしい。歴史に翻弄される悲劇の人として記憶され、伝説は芸能でも歌われている。


『護佐丸・阿麻和利(あまわり)の乱
 中山王尚泰久(琉球王府)をおびやかしはじめた勝連城主阿麻和利にそなえ、護佐丸は中城城の兵力を増強して、常に阿麻和利の攻撃に備えていました。


ある日、阿麻和利は変装して首里城にのぼり、護佐丸が謀反をくわだてているとざん言します。王府は阿麻和利の言を信じ、中城城攻略を阿麻和利に命じます。8月15日の夜、護佐丸が月見の宴の最中に阿麻和利は王府の旗を揚げて中城城を攻撃します。王府への忠誠心にあつい護佐丸は手向かう事できず、ひとり幼児だった三男の盛親を乳母に託して落ちのびさせ、妻子もろとも自決したといいます。
 そして、その阿麻和利もその後には結局、王府軍に攻められて滅びてしまいました。
 この乱は、後に組踊りなどの題材にも取り上げられ、平成7年に開催された第一回中城城まつりにおいて、中城村の伝統芸能である組踊「護佐丸」が52年ぶりに上演されました。』(中城村HP)


護佐丸は、王府の命令により中城城に移る前は、座喜味城主であったらしい。座喜味城は気持ちの良い城で好きな城だ。


護佐丸は山田城で生まれ、山田按司を継ぎ、第一尚氏王統時代の英雄として知られる尚巴志とともに、三山統一を成し遂げ、その功績により、読谷山の地を与えられた彼は座喜味に城を築いて移り、読谷山按司として尚巴志王の琉球統一事業に尽力しましたということだ。
 しかし、その後勝連城主の阿麻和利を牽制するため、王の命によりほどなく中城城に移され中城按司となったが、歴史の歯車は非情に動く、1458年、第6代王・尚泰久の時に阿麻和利の企みによる讒言にあい、王府に反逆人として滅ぼされてしまった。


歴史にもしもはないが、中城城に立ち荒涼たる城跡に立つとき沖縄の人は、芭蕉が平泉で
 ・夏草や兵どもが夢の跡
と詠み、往時の義経の時代を偲んだように、護佐丸を偲ぶのだろう。


今帰仁城には「北山の風 今帰仁城風雲録」、中城城には「組踊 護佐丸」がある。
 いつの日か、復元された正殿で「組踊 護佐丸」が上演されるのを見てみたいものだ。



【中城公園】 
観覧時間:  8:30~17:00入場閉切 17:30閉門

 (6~9月 8:00~18:00入場閉切 18:30閉門)                         
観覧料:    大人 300円(団体200円)
        中・高校生 200円(団体100円)
        小学生 100円(団体50円)
    2011年4月1日から改訂予定
        大人400円(団体:300円)
        中学・高校生300円(団体:200円)
        小学生以下 一般200円(団体:100円)
   ※保護者が同伴する小学校就学前の子供は無料
   ※20人以上は団体扱い


中城城跡共同管理協議会
  〒901-2314 沖縄県中頭郡北中城村字大城503番地
  TEL098-935-5719 FAX098-935-1146
  E-mail
gusuku@woody.ocn.nejp


 


 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その4 花織そば(読谷村)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その4 花織そば(読谷村)

 中城城址で時間を取られたので、読谷に帰るのが遅くなった。昼食の場所は、読谷村の「花織そば」。行列の出来る人気店だ。 店は、58号線から入り残波に向かう県道6号線上の右側にあった。 着いたのが2時前なので駐車場は問題ないと思っていたら甘かった。 前を走っていた車2台が右折して駐車場に入り、駐車場は満杯になってしまった。仕方なく、後に続いて駐車場の道路に止め、誰か出てくるのを車内で待つことに...

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中城城址で時間を取られたので、読谷に帰るのが遅くなった。
昼食の場所は、読谷村の「花織そば」。行列の出来る人気店だ。



 
店は、58号線から入り残波に向かう県道6号線上の右側にあった。
 着いたのが2時前なので駐車場は問題ないと思っていたら甘かった。
 前を走っていた車2台が右折して駐車場に入り、駐車場は満杯になってしまった。仕方なく、後に続いて駐車場の道路に止め、誰か出てくるのを車内で待つことにした。
 すると、先に止めた前の車の若い運転手が来て、歩道を指さして
"ここは、何時も混むから道路に止めればいいさ、みなそうしてる"という。
 歩道に止める勇気はないので、このまま待つというと、それならと、自分の車を向こう側にギリギリに幅寄せしてスペースを作ってくれた。
 彼は地元の人だ。沖縄の人の優しさは、本当に快い。彼らにしてみれば当然のことかもしれないが、そうでない我々には素晴らしいことに思われる。


 
暖簾をくぐって中に入る。


 
客席はテーブル席と、右側が小上がり。
入ったときは、右側の小上がりは旅行客の家族連れと若者のグループ。
 テーブル席も旅行客風が大部分。先の若者たちは入り口のテーブルに腰掛けている。


 
(この写真は、帰るときに撮ったのでお客はいない。)
2階もあるようだが、座敷なのかテーブルなのか判らない。


 
メニューを貰い何を頼むか、考える。
ここの有名メニューは「野菜そば」、沖縄そばの上に大盛りの野菜炒めが乗っている。


 
周囲を見ると殆どの人がこれを注文している。追随することにし、もう一つは、「フー炒め定食」を注文した。



 店内を見回していると、「花織そば手作りクリームコロッケ」のポスターが目に入る。ラフテー入りで1個70円、面白そうなので1個を食べ1個は持ち帰ることにして、2個注文する。


 



野菜そば。
確かに野菜炒めが山盛り。丼のサイズもすり鉢のようだ。
野菜炒めの旨さと甘味がそばの出汁に混ざり、普通の塩味のそば出汁より、旨みと甘味がある。


 
フー炒め定食。


 
麸、ベーコン、もやし、ニラが炒められて山盛りだ。
一口くちに入れると旨かった。
麸は香ばしく炒められている、ベーコンの旨味をたっぷり吸い込んでいる。もやしは最後に入れているのだろう、シャキシャキした食感が気持ち良い。これは量が多くても食べ飽きることはない。
今まで食べたフーチャンプルーで一番美味しいかもしれない。
チャンプルー好きの人には、お薦めの一品だ。


 メニューにはないが、定番のチャンプルー(ゴーヤー・豆腐・マーミナ・ソーメン)を食べてみたい。是非メニューに加えて欲しいものだ。


 
花織コロッケ。
表面はカリカリ・サクサクの衣、中味は熱々のクリーム。
中にラフテーの細切れがたっぷり入っており、カニクリームコロッケのように軽い感じではない、ボデーがあり食べ応えがある。
持ち帰った1個は、夜、ホテルで泡盛の肴にしたが、冷たくなっていても美味しかった。


沖縄に来た時に立ち寄らねばならない店がひとつ増えたのは今日の収穫だ。



【花織そば】
住所: 〒904-0322 沖縄県中頭郡読谷村波平2418-1
TEL:098-958-4479
FAX: 098-958-4482
営業時間: 11:00~22:00(L.O.21:00)
定休日 :水曜日
駐車場: 67台
座席数: 80席


三枚肉・ソーキ・てびち・中味の取り寄せもできるそうだ。



 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その5 米軍上陸の碑 泊城公園(読谷村)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その5 米軍上陸の碑 泊城公園(読谷村)

読谷村は、過去に二度、外敵の侵攻上陸地点となった歴史を持っている。 一度目は、江戸初期に薩摩軍が侵攻し、二度目は第二次世界大戦の時米軍が侵攻した悲惨な歴史を経験している。<薩摩の侵攻>1609年3月4日、樺山久高ら島津軍3,000名余りを乗せた軍船100隻が薩摩の山川港を出帆した。3月8日に奄美大島へ上陸し、制圧。3月22日に徳之島、3月24日に沖永良部島。3月26日には沖縄本島北部の運天港に上陸、今帰仁城を攻略。その後...

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読谷村は、過去に二度、外敵の侵攻上陸地点となった歴史を持っている。
 一度目は、江戸初期に薩摩軍が侵攻し、二度目は第二次世界大戦の時米軍が侵攻した悲惨な歴史を経験している。



<薩摩の侵攻>
1609年3月4日、樺山久高ら島津軍3,000名余りを乗せた軍船100隻が薩摩の山川港を出帆した。
3月8日に奄美大島へ上陸し、制圧。
3月22日に徳之島、3月24日に沖永良部島。
3月26日には沖縄本島北部の運天港に上陸、今帰仁城を攻略。
その後、読谷村に上陸し、首里城へ迫った。
琉球側は4,000名以上の兵を動員したが、抵抗及ばず首里城は陥落し、琉球王尚寧は和睦を申し入れた。
島津軍は4月5日に首里城を接収した。
 薩摩藩は、琉球王尚寧を将軍に会見させ、琉球を自己の属領とすることを認めさせた。以後250年以上、琉球王国は薩摩の支配を受けることとなった。



<米軍上陸>
1945年3月、硫黄島を攻略した米軍は、沖縄上陸作戦を開始した。米軍は上陸する前に沖縄諸島に激しい空爆を始めた。
3月26日、阿嘉・慶留間・座間味に上陸、27日には渡嘉敷に上陸、29日には慶良間全域制圧した。
4月1日、米軍は読谷・嘉手納・北谷にまたがる海岸に上陸を開始。読谷村には第3軍団第6海兵師団が、読谷村渡具知の海岸より上陸し北飛行場と中飛行場を占領した。日本軍の抵抗は殆ど無く無欠上陸であった。
 読谷村は米軍上陸時に焼け野原となって大きな被害を受け、「チビチリガマ」では村民の集団自決の悲劇が起きた。
4月5日、宜野湾以北の中部一帯を制圧した。



米軍に占領された「沖縄北飛行場(読谷補助飛行場)」は、1972年5月15日施政権がアメリカ合衆国から日本に返還以降も米軍の実質占領下に置かれ続けた。
2006年にいたり、それまでの返還運動の結果、全面返還されて飛行場は廃止された。
 跡地には、現在でも「滑走路跡」と「掩体壕」が遺されている。



米軍が上陸を行った海岸には「泊城公園」が整備され、上陸記念碑があるそうなので、これを見学することにした。



観光スポットではないし、ナビにも登録はない記念碑なので、地図を頼りに走る。
 農地の中を、Yナンバーの車とすれ違いながら、海岸を目指す。鉄条網に囲まれた米軍施設の前を左折すると、公園のような場所に出た。ここかと思ったら違っていた。



 
木綿原遺跡だった。

 
遺跡周辺の航空写真があり、米軍上陸の碑の位置がわかった。
海岸をもう少し南に下がった泊城岬にあるが、海岸沿いは道路がないので一度引き返して南下する必要がある。



泊城公園には、広い駐車場が整備されて居る。公園の前の浜は、綺麗なビーチで季節になれば海の遊びもできそうだ。浜辺にはバーベキューが出来る施設がある。観光客向けの施設ではなく、村民のための施設のようだ。



 





 



 駐車場隣には、管理棟兼レストランの建物がある。碑の場所を聞くために中にはいってみる。
 客は誰もいないが営業はしているようだ。受付には誰もいない。右のほうに厨房があるようなので、ごめんくださいと声を掛けながら進むと、突然おばちゃんが現れた。
おばちゃんは、突然の闖入者にびっくりしたようだった。
その様子を見て、こちらもびっくりした。



「米軍上陸の碑」と「日本軍の特攻艇秘匿洞窟群」の所在に付いて教えて欲しいと話すと安心した様子で答えてくれた。



"米軍上陸の碑は、駐車場の先の階段を上がっていった丘の上の方にあると聞いたことがある。特攻艇の方はわからない。"



階段を上がると、公園として整備されているのか遊歩道がある。
歩いて行くと、右と左に大きな亀甲墓がある。ここは墓地のようだ。
 先に進むと、コンクリート造りの真新しい住宅が立っている。
その先は遊歩道が下っており、街中へ降りるようだ。
遊歩道を右方向に進むと崖に沿って遊歩道が造られている。
進んでいくと舗装されていない木の葉に埋もれた細い道が海岸の方に降りている。あまり人の通らない道だが、特攻艇の洞窟群のある海岸に出られるかもしれないと思った。



この道は恐ろしい道だった。
少し進むと細道は右に曲っている、先は岩石で見えない。
曲がったところまで進むと洞窟が見えた。
洞窟内に道は進んでおり、腰を折りまげて屈んだまま進めば行くことができそうだ。洞窟内は真っ暗で先が見えない。
一人で入るのは薄気味悪いが意を決して、屈んだまま先に進む、洞窟は右に曲がり左に曲がっている。
10mほど進むと突然視界が開け、広いところに出た。
其処は墓場だった。
昨年南部で見た斎場御嶽を思わせるところだ。
ノロの墓と書かれている。
呪術的な信仰の場で、観光スポットでも史跡でもない。
祟でもあるといけないので退却することにした。
真っ暗な洞窟を再度戻り遊歩道に出るとホッとした。



遊歩道を20mほど歩くと、東屋がありその前海を見晴らすところに「米軍上陸の碑」はあった。
碑と言っても垂直の石碑ではなく、3枚の埋込みのレリーフであった。



 
右側は、米軍上陸時の地図。



 
真ん中は建立の碑文。
以下碑文



『勿為沖縄戦場



1945年4月1日米軍は読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。
沖縄戦は鉄の暴風といわれ、一木一草焼き尽くし、緑豊かな故郷は、がれきと化し、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦であった。
かって経験したことのないこの戦争は島の文化と人々の平和な暮らしと多くの尊い人命を奪った。
この美しい海岸が二度と再び如何なる軍隊の上陸の地ともならない事を村民は祈念する。
太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を期してこの碑を建立する。



  1995年12月 沖縄県読谷村』



 
左側は上陸する米軍の写真。



先に進むと駐車場に近づき階段を降りた海岸端に出た。

 
見晴台の上に立つと比謝川の入口が見える。



 
米軍が戦略物資を嘉手納方面に輸送した河口だ。当時は夥しい米軍の船が溢れていただろう。



泊城公園は、奇岩の続く景勝地である。
 







 
渡具知泊城は今帰仁のお家騒動の関係した史跡であるとの案内板が掲示されていた。
 薩摩軍も今帰仁から読谷に来襲したが、古来、今帰仁と読谷とは密接につながっていたようだ。





 



 
洞窟が自然のものか、日本軍が掘ったものかよく判らない。
おそらく自然の洞窟だろう。
 
特攻艇洞窟群の所在は判らなかったが、雨が降り始めたので帰ることにする。



 



 



誰一人居ない泊城は波の音しか聞こえない静寂の地だった。




【データ】
渡具知泊城公園
 住所: 中頭郡読谷村渡具知 泊城公園
 電話: 098・982・8877
 駐車: 無料



「読谷村の戦跡めぐり 米軍上陸の地碑」
http://www.yomitan.jp/sonsi/senseki/map/guide/guide13.html



 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その6 やちむんの里(読谷村)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その6 やちむんの里(読谷村)

海辺から戻り読谷のやちむんの里に行く。58号線にある喜名番所に立ち寄り情報収集。喜名番所は、琉球王朝時代に、国頭と首里をつなぐ交通の要衝であった。  現在は道の駅になっており、周囲には、駐車場・お手洗いが整備されており、誰でも無料で使用できる。 道の駅と言っても、普通のイメージの道の駅とは異なる。一般的な道の駅では地元の物産の販売が行われているが、こちらはゆっくりと休む事が目的とされていて、喜名...

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海辺から戻り読谷のやちむんの里に行く。
58号線にある喜名番所に立ち寄り情報収集。


喜名番所は、琉球王朝時代に、国頭と首里をつなぐ交通の要衝であった。


 
 現在は道の駅になっており、周囲には、駐車場・お手洗いが整備されており、誰でも無料で使用できる。
 道の駅と言っても、普通のイメージの道の駅とは異なる。
一般的な道の駅では地元の物産の販売が行われているが、
こちらはゆっくりと休む事が目的とされていて、喜名番所は読谷村観光案内所として機能している。


番所内には、ゆっくりと休むスペースが確保され、観光に関する資料の展示・配布が行われている。


 


周囲の情報や道路情報等、様々な情報を得る事ができ、番所の
座敷の中には、読谷の焼物がたくさん置かれている。


喜名番所では物産の販売はないが、目の前には小さなスーパーがあり、食料・飲み物・酒・野菜なんでも買うことができる。
この店も含めて考えれば一般的な道の駅にもなる。


店を冷やかしでみると、伊豆味では高かったタンカンが、一袋6個入が250円で売られている。ここが普通の道の駅ならばもっと高いだろう。早速購入した。


 
番所の担当者の女性は、親切に応えてくれた。


 
番所の前には、緋寒桜とその前のおそば屋さんの玄関先にはブーゲンビリヤが紅く咲いていた。


教えられた道を辿り、やちむんの里に着く。
以前来た時とは違って広い駐車上が整備されて居る。
これなら観光バスも押しかけるだろう。


 
窯の案内板がある。



 
最初の窯の入り口ではシーサーがお出迎え。


 
なかなか良い顔をしている。



 
マスコットもお出迎え。


一番最初の窯は、どういうわけかやちむんではなく、宙吹きガラス工房だった。帰るときに気づいたが、マスコットも確かにガラスを吹いている。


 


 
若い人達が活発にガラスを吹いている。
なかなか活気に満ちている。


 
道路脇に珍しい実を付けていた。


 
やちむんの里を上に登っていくと、登り窯「共同窯」がある。


複数の窯が共同で焼いているのぼり窯である。


読谷といえば、人間国宝金城次郎の焼き物だが、亡くなられた後も金城次郎スタイルの魚紋の焼き物は引き継がれて焼かれている。


 


ぐい呑みを探して歩いた。
 魚紋のものは持っているので、赤絵のものか何かを探したが、なかなか適当なものが見つからなかった。
 入口の方にに戻り、あまり読谷の焼き物らしくは無いが、手に持った印象が自然なものを購入することにした。
 
 



【読谷やちむんの里】
 住所: 沖縄県中頭郡読谷村字座喜味2653-1
  駐車場: 無料
 トイレ: あり
 営業時間: 9:00~18:00
 入場料金: 無料
 定休日: 年中無休



 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その7 残波ロイヤルホテルの宴

2011/01/27 沖縄旅行第3日目-その7 残波ロイヤルホテルの宴

最後の夜は、ツアーについているホテルでの夕食券を使って、夕食のビュッフェ。会場は、朝食と同じトロピカルレストラン コローネ。別の場所のほうが良いのだが、指定なのでやむを得ない。   メニューは朝食とあまり変りないが、フルーツ、飲み物は朝食のほうが品数が多い。 美味しかったのはビーフシチュー。これは朝食にはない。夕食後、「読谷物語」に出かけることも考えたが、お腹がいっぱいなので、今夜...

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最後の夜は、ツアーについているホテルでの夕食券を使って、夕食のビュッフェ。


会場は、朝食と同じトロピカルレストラン コローネ。
別の場所のほうが良いのだが、指定なのでやむを得ない。


 


  
メニューは朝食とあまり変りないが、フルーツ、飲み物は朝食のほうが品数が多い。


 
美味しかったのはビーフシチュー。これは朝食にはない。


夕食後、「読谷物語」に出かけることも考えたが、お腹がいっぱいなので、今夜は、ホテル内で時間を過ごすことにする。
 ホテルでは、毎夜沖縄の民謡と琉舞の催しがあるのだが、今日が初めて。今日は民謡の日になっていた。


 


 
演奏者は、国吉真宏。
スタンダードな安里屋ユンタからフォークっぽいオリジナル曲まで歌った。沖縄民謡の歌手にしては低音のサビの効いた歌声で独特の世界がある歌い手だった。


 

2011-01-27 (Thu)

2011/01/27 日記 鴨

2011/01/27 日記 鴨

2011/1/27 (木) 旧暦: 12月24日    6時44分  17時02分  0時30分  10時55分  22.75  壬午 (じんご,みずのえうま)  大安  一白水星  三隣亡今日の季語: 鴨 (御宿かわせみブログ より転載)『カモ(鴨、英名: Duck)とは、カモ目カモ科の鳥類のうち、カリ(雁)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるものをいう(カルガ...

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2011/1/27 (木) 旧暦: 12月24日    6時44分  17時02分  0時30分  10時55分  22.75  壬午 (じんご,みずのえうま)  大安  一白水星  三隣亡


今日の季語: 鴨


 



(御宿かわせみブログ より転載)


『カモ(鴨、英名: Duck)とは、カモ目カモ科の鳥類のうち、カリ(雁)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるものをいう(カルガモのようにほとんど差がないものもある)。分類学上のまとまった群ではない。


 概要
 カルガモ(東京ディズニーランドにて)
アヒル(岐阜大学のキャンパスにて)
マガモ(稚内市ウエンナイ川)日本では主にカルガモ、オシドリなどが通年生息し、日本全国の河川や湖などで見られる。日本では多くが冬鳥であるため、冬季にはマガモ、コガモ、オナガガモ、スズガモなど多種が見られる。


野生種では生息数や生息地の減少からワシントン条約や日露渡り鳥条約、日中渡り鳥条約、日米渡り鳥条約、ボン条約(日本は未加盟)などの適用を受けている種も多く、生息地がラムサール条約に登録されることもある。日本では鳥獣保護法で狩猟してよい種と時期、地域、猟具など規制している。


肉食文化が一般的でない明治維新前の日本で、一部の地域で食用とされた数少ない鳥獣類だった。鍋やすき焼きなどの料理が代表的だが、臭みが強く食用に適さない種もいる。鴨鍋はネギと煮るが、江戸時代にはセリと煮て臭みをとっていた。今日、鴨肉の名称で流通しているものの多くはアヒル(マガモを家禽化したもの)の肉であるが、アイガモ(アヒルとカルガモの交配種)や野生のマガモなどもしばしば食用とされる。


日本語と異なり英語のDuckなどヨーロッパの言語では、基礎語彙のレベルでは野生の鴨(Wild duck)と家禽のアヒル(Domesticated duck)を区別しないので、翻訳に際して注意が必要である。バリケンも鴨の範疇に入る。雄はDrakeともいう。中国語においても、正式にはアヒルは家鴨、野生の鴨は野鴨とされているが、日常会話では日本とは違い認知的に両者を区別していないため注意が必要である。
...』(Wikipedia)



鴨の俳句:


・きらめける波にたゆたふ鴨の群 網野茂子


・遠比良や鴨ひと群れの波遊び 中浜菌芽


・鴨の群一羽離れてせせらぎに 石森和子


・鴨の群夫婦親子の分らざる 塩川雄三


・鴨群るる偽りのなき青き空 高橋あゆみ



宮崎は、今度は鳥インフルエンザで大変なことになっている。
どうして宮崎ばかりだろう。
 野鳥・渡り鳥にウイルスが見つかっているから、感染源は渡り鳥なのだろう。


渡り鳥にとっても苦難の時代、
 鴨は群れる習性だから、ウイルスに汚染されれば、全体が危機になる。一羽鴨、はぐれ鴨も必要かもしれない。



 

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その1

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その1

2日目は、中部から北へ北上して回る予定だがかなり忙しい日程だ。 琉球村・オリオンビール・ナゴパイナップルパーク・沖縄海洋博公園・今帰仁城の花見・今帰仁酒造見学を済ませて、読谷に帰り、夜は読谷で宴の予定だ。朝食は、ホテルのブッフェスタイルレストラン 【コローネ】。和洋食に沖縄料理、ご飯・お粥・パン、お茶・ジュース・紅茶、スイーツ、果物など一般的な物。オクマ、万座ビーチ程ではないが、那覇の日航グランド...

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2日目は、中部から北へ北上して回る予定だがかなり忙しい日程だ。
 琉球村・オリオンビール・ナゴパイナップルパーク・沖縄海洋博公園・今帰仁城の花見・今帰仁酒造見学を済ませて、読谷に帰り、夜は読谷で宴の予定だ。


朝食は、ホテルのブッフェスタイルレストラン 【コローネ】。
和洋食に沖縄料理、ご飯・お粥・パン、お茶・ジュース・紅茶、スイーツ、果物など一般的な物。


オクマ、万座ビーチ程ではないが、那覇の日航グランド、西武オリオンよりは美味しい。


 
一番美味しかったのは、右端のソーキ。
大きな軟骨ではないので、骨までボリボリと食べられる。なにか身体に良いような気がするから不思議だ。


 
飲み物で美味しかったのは、ゴーヤ茶。
ゴーヤだがお茶は苦味はない。
口に含むとお茶がふんわりと膨らみ、穏やかな丸い透明感を感じる。後口に掛けてゆっくりと切れていく。何か上等な石川の酒を思わせるものを感じた。
 おみやげ店で売っていたら買うことにしよう。


 


 
食堂からはプールが見えるが、まだ泳ぐ気温ではない。
沖縄も今年は寒いそうだ。


 
ホテルを出ると、岬に近いせいか風が強い。
風車も元気よく回っている。


 
ホテルの前には、御菓子御殿がある。
団体さんがバスで乗り付け、おみやげを探している。
読谷の県道より海側は、殆どサトウキビ畑だ。
その畑の中に、我が物顔に立っているのが日航アリビラと残波ロイヤルの2つのホテルと観光客目当ての大型おみやげ店だ。


沖縄も今年は寒いそうで、昨年は桜もブーゲンビリアもかなり咲いていたが、今年はまだ咲いて居ない。


ホテルを出てナビに従って、海寄りの道を走る。


 
あまり咲いて居ないブーゲンビリアが、良く咲いている場所があったので、車を止めて見る。
道路に沿って施設の外構にブーゲンビリアが這わせてる。


 
100Mぐらいの長さがあるので、満開の時期ならば相当綺麗なはずだ。
 花見に来てみる価値があるかもしれない。



 

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その2 琉球村 牛と道ジュネー

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その2 琉球村 牛と道ジュネー

真栄田岬沿いの道を走り、ブーゲンビリアの花を楽しんだ後、琉球村に着いた。 琉球村はなんども来ているのだが見残しているものがある。サトウキビの臼を引く牛が実際に臼を挽いているところを見ていない。今まで来た時はいつも休んでいるか、藁を食べて口をモグモグしているばかりだった。平和な光景はそれはそれで良いのだが働いている姿も見てみたい。もう一つは道ジュネー。道ジュネーは、琉球村のアトラクションだがまだ見た...

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真栄田岬沿いの道を走り、ブーゲンビリアの花を楽しんだ後、琉球村に着いた。
 琉球村はなんども来ているのだが見残しているものがある。


サトウキビの臼を引く牛が実際に臼を挽いているところを見ていない。今まで来た時はいつも休んでいるか、藁を食べて口をモグモグしているばかりだった。平和な光景はそれはそれで良いのだが働いている姿も見てみたい。


もう一つは道ジュネー。
道ジュネーは、琉球村のアトラクションだがまだ見たことがない。沖縄の伝統的な年中行事に基づいた絵巻行列とのことだ。


 



入り口ではシーサーがお出迎え。


 
漢文による装飾は、伝統的なスタイルだが、今は逆に新しさを感じる。
 本土でももっと使われる時代が来るだろう。


 


 
毎年10月に行われる那覇大綱引きの展示。


 
瓦を積み上げて塀にすることはよく行われている。
廃物利用なのか修復用瓦の保存なのか。


 
保存されている古民家。


 
冬のこの時期には眼に新鮮に映る、丸で新緑のような鮮やかな緑。


 
池の水面まで垂れ下がった枝にブーゲンビリアの花が咲いている。水面近くのほうが温かいのだろうか。


 
水鳥が毛づくろいに余念が無い。


 
昨年は村中に咲乱れていたブーゲンビリアが、今年は極一部しか咲いて居ない。沖縄も今年は寒いそうだ。


『沖縄観光 琉球の息吹、絵巻行列
 沖縄では古代の数々の神祭り行事が残され、今でも年中行事として行われております。その年中行事を道ジュネー(沖縄風パレード)に凝縮して取り入れ、観光の目玉としてご紹介いたします。
 国王・王妃・三司官・旗頭を先頭にパレードは進んでいきます。
 女性だけによる円陣舞踊のウスデークからはじまり、古武道演武や獅子舞など躍動感ある動きから、華やかなジュリ馬の舞があり、最後は沖縄の念仏踊りのエイサーです。』(琉球村HP)



 




道ジュネーがおこなわれる中央広場は、準備がされている。
ベンチに座り、始まりを待つ。


三線と歌と太鼓が始まり、暫くすると絵巻行列が入ってきた。


 
国王、王妃、三司官が道ジュネーの中心を歩く。
「那覇ハーリー」「那覇大綱引き」と並ぶ那覇三大祭りの一つ、「琉球王朝祭り」で登場する古式行列に登場する。
 古式行列は、琉球王朝時代に国の安泰と農作物の豊作を祈願するために、正月の三日、国王が三つのお寺、円覚寺、天王寺、天界寺を参詣する初行幸の儀式「国王御三ヶ寺参詣行列」を再現したもの。


 



国王・王妃が着座すると、最初は古武道の演武。
凛々しい演武だった。
後で、エイサー踊りの時、女性であることの初めて気づいた。


次に、ミルクが登場。
「ミルク」は「ミロク」が沖縄方言に変化したものであり、すなわち「弥勒」のこと。


 



弥勒は、釈迦入滅後56億7千万年後にこの世に出現し、釈迦仏が救済しきれなかった衆生を救うとされる仏である。
 大乗仏教の発展の中で弥勒信仰が広まり、中国大陸から日本には6世紀末に伝来し、中世以降は理想世界をもたらす救世主の信仰として民衆の間に広まった。


沖縄においては、東方の海上にあって神々が住む「ニライカナイ」があり、神々がそこから沖縄を訪れて五穀豊穣をもたらすという思想があったが、このニライカナイ思想にミロク信仰がとりいれられ、ミロクは年に一度、東方の海上から五穀の種を積み、豊穣をもたらすというミルク信仰が成立した。


ミルクが天下泰平の扇をゆっくりと仰ぎながら人々の前を進んでいく。
 国王・王妃の前に立ち天下泰平を揺らすと、国王・王妃は深々と頭を下げた。仏様は国王より偉いのだ。


 
ミルクは、本土でいえは弥勒菩薩というより大黒様、布袋様の様相だ。
 これは、中国大陸からの影響によるものらしい。


ミルクは、広場で円陣を組む観客に対して一回りして、天下泰平をゆったりと揺らす。カメラを構える人には立ち止まりポーズを取ってくれる。
 頭をさげる人もいれば、しない人もいるが、筆者は伝統に従い頭を下げた。


次は、ジュリ馬。
ジュリというのは遊女のこと。
 
 旧暦1月20日にジュリ(遊女)達が美しく紅型の衣装に身を包み、木馬の手綱を振りながら、ユイ、ユイ、ユイと歌三線に合わせて舞い歩く伝統行事。


 


 
ジュリは衣装の胸の前に木製の馬の首を付けている。


次は、チョンダラー。 



チョンダラーは、京太郎が訛ったといわれる。
道化役だが、役割は演舞進行、隊列の統制、場の盛り上げなど、重要な役割を担っており、キャリアを積んだエイサーのベテランがこの役を務めることが多く、観客だけでなく、踊り手を盛り上げる役でもあり、旧盆の道ジュネーでは道先案内役として、踊りながら周囲との調和をとりながら、踊りで人を笑わせる力量のある者務めるそうだ。
 このチョンダラーさんもなかなか存在感のある人だった。


 

表情が豊かで、太っているが踊りも上手。


 
指笛は、高く遠くまで通る音量がある。
この行列の人は、指笛を自在に吹くことができるようだ。


次は、チョンダラーと獅子舞との駆け引き
 
獅子が登場。獅子頭は大きく、迫力がある。


 
観光客の側によってきて、口を大きく開け、バタンととじる。
解ってはいても恐ろしく、女性は悲鳴を上げている。
小さい子に寄っていった。泣くだろうと思っていると、その子は泣かなかった肝の座った子供だ。


チョンダラーと獅子とのコントが始まる。
 


チョンダラーが獅子に鈴を投げるから、口で受け止めるように話す。
 


 



チョンダラーは鈴を投げるが、獅子はそっぽ向いていて知らぬ顔。


 
チョンダラーと獅子との軽妙なやりとりが続く。
 


 




最後は、観客の若い娘が投げることで話が着く。
若い娘が投げると獅子は見事に口で受け止めた。


次は、マミドーマ


 
農耕のふるまいを取り入れた庶民の集団舞踊。クワやヘラなどの農具を持ち、にぎやかに踊る。


 



最後は、エイサー。
 


『エイサーは、沖縄県でお盆の時期に踊られる伝統芸能。この時期に現世に戻ってくる祖先の霊を送迎するため、若者たちが歌と囃子に合わせ、踊りながら地区の道を練り歩く。また、かつては祝儀を集めて集落や青年会の活動資金とする機能も重視され、その金でため池を設けた例もある[1]。地域によってはヤイサー、エンサー、七月舞(しちぐわちもーい)、念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれる[1]。 近年では太鼓を持つスタイルが多くなり、踊り自体を鑑賞するために各地域のエイサーを集めたイベント等も開催され、重要な観光イベントとなっている。』
(Wikipedia)


 


 


 


 


エイサーが終わると、観光客を広場の中央に呼び入れて、全員でカチャーシーを踊った。


 
中央で踊るオバーちゃんの頭の上には、泡盛の1升瓶。半分程中身も入っていた。踊っている間にも瓶は全く揺れない。


カチャーシーが終り、若い女性が年齢を尋ねると、なんと99歳。
一躍、おバーは人気者になる。あちらこちらで観光客が記念撮影をねだる。気軽に応じている姿は、いい姿だった。


製糖工場
 


牛は今日は働いていた。
 
牛飼いの言う事をよく聞く牛。
名前はてっちゃん。
年齢は5歳。人間では20歳だそうだ。
 
牛飼いの指示で、頭を柵の上に載せる。
観光客が頭をなぜても、角に触っても嫌がらずにじっとしている。
てっちゃんとツーショットで若い娘が顔を寄せても眼を閉じておとなしく写真に収まっている。てっちゃんは人格が出来ている。



筆者が角に触り、それから頭にそっと指を触れると、今まで閉じていた眼を開けた。眼を閉じていると睫毛が長く年寄りに見えたが、目を開いたてっちゃんの眼はぱっちりとして大きかった。


今回の琉球村はなかなか面白かった。
チャンプルー劇場でのアトラクションも行われており、お薦めの観光スポットだ。



 

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その3 名護パイナップル・海洋博公園

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その3 名護パイナップル・海洋博公園

琉球村を出て、名護に向かう。【名護パイナップルパーク】名護パイナップルパークでの目的は三つ。お土産を買うこととお菓子の試食と観覧車で南国の風景を楽しむこと。駐車場に着くと雨が降り始めた。用意した傘をさし車から出る。前回は大型観光バスがあふれていた駐車場も今日はバスがいないので視界が良い。自動観覧車に乗る前に記念撮影をされる。観覧が終わるときに欲しい人は写真を買うことができる。 前回も書いたが観覧車...

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琉球村を出て、名護に向かう。


【名護パイナップルパーク】
名護パイナップルパークでの目的は三つ。
お土産を買うこととお菓子の試食と観覧車で南国の風景を楽しむこと。


駐車場に着くと雨が降り始めた。用意した傘をさし車から出る。前回は大型観光バスがあふれていた駐車場も今日はバスがいないので視界が良い。


自動観覧車に乗る前に記念撮影をされる。観覧が終わるときに欲しい人は写真を買うことができる。
 前回も書いたが観覧車は自動運転なので座っていればよい。


 
天気はあまり良くないが園内は明るく南国の空気だ。


 
パイナップル畑を通過する時、小さなパイナップルが見える。


 
赤い花のように見えるものは花ではなく、真ん中の黄色く伸びているものが花。


 
パイナップルの種類は食用以外に観賞用も含めると何百種類もあるそうだ。


 
名護パイナップルパークには、貝のコレクションの展示がある。


 


 



貝に関心のある人であれば、時間をたっぷりかけて楽しむことができる。


 



入口の所に珍しい色のブーゲンビリアが咲いていた。
葉の先から少しずつピンクが進んでいる様子だ。
最後は完全にピンク色?


おみやげコーナーでパイナップルとお菓子の試食をして、おみやげの買い物が済めば、時間がないので沖縄海洋博公園へ向かう。


 


 【沖縄海洋博公園】



入口の階段から沖を見ると、何時もは青空だが今日は灰色の空だ。曇だが風があるせいか島はよく見える。


 



園内に何時も咲いているブーゲンビリアもハイビスカスもごく限られた枝にしか咲いて居ない。
 ツル性の白い花が咲いていた。ゆうなの花は黄色だが、ゆうなだろうか。


海洋博公園も時間の関係で美ら海水族館だけ見る。


 
水槽の中は南の海、鮮やかな色の魚たちが泳いでいる。
 


 
巨大な錦えびが何匹も岩陰に居ると、何か不気味さを覚える。


 
売り物のジンベーザメの水槽では、潜水着の係員が水槽の清掃を行っていた。
 流石にジンベーザメは巨大だ。


 


 


 


 
サメとエイの勢揃いは圧巻だ。


 
水族館の前の坂道には数少ないハイビスカスが雨にぬれている。


 
小雨が降ったりやんだりの天気は変わらない。


 


海洋博を出発して今帰仁に向かう。



 

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その4 道のそば

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その4 道のそば

朝がビュッフェのため、昼食はDEEPな沖縄の食堂では重すぎる。 予め調べておいた評判の良い沖縄そばの店「道のそば」に行く。今帰仁周辺では、情報が限られるので、シマーのグルメ食べ歩きブログで探した店だ。 ソーキそばが美味しいそうだ。 店は本部から今帰仁に通じる道路に面している。「道のそば」と言う屋号もこれに由来するらしい。店の前の5台ほどの駐車スペースに車を止め、暖簾をくぐりガラス戸を開けて中に入る...

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朝がビュッフェのため、昼食はDEEPな沖縄の食堂では重すぎる。
 予め調べておいた評判の良い沖縄そばの店「道のそば」に行く。


今帰仁周辺では、情報が限られるので、シマーのグルメ食べ歩きブログで探した店だ。
 ソーキそばが美味しいそうだ。


 
店は本部から今帰仁に通じる道路に面している。「道のそば」と言う屋号もこれに由来するらしい。


店の前の5台ほどの駐車スペースに車を止め、暖簾をくぐりガラス戸を開けて中に入る。


 
中は綺麗な店だった。
テーブル席が6つほど。




 

先客は6名ほどの旅行客。
席に座ると、中年の二人連れが、二組続けて入ってきた。


 
電話したときに出てくれた若い娘さんがメニューを持参、台所は中年のおばちゃんが担当して二人でやっている。
そば専門店なのでそば以外のメニューはない。
ソーキそばとてびちそばを注文。


 



ソーキそば。
ソーキが3個、かまぼこが2枚。
汁は白濁しているが、さっぱりとした塩味。
ソーキは柔らかく、ホロホロと身離れして、口の中で溶ける。
仕込みに時間がかかるので、売り切れ御免なことは理解できる。


 
てびちそば。
てびちが3個、かまぼこが2枚。
汁はソーキより茶色がかっている。
てびちは色が一般的イメージよりかなり茶色い。口に入れると甘みのある味。豚足の語感から想像する臭みは全く無く、柔らかなゼラチン質が美味しい。これを常食していれば肌とか関節に良いはずだ。沖縄の人が長寿な原因の一つだろう。


 
小鉢が付いてきた。
海ぶどうだった。
真ん中の白いものはマヨネーズ。
味は特に付いていあなく自然な塩味。
マヨネーズが味に柔らかさと旨みを加えている。
最も快いのはプチプチ食感。海臭さとか磯臭さは全く感じない。


勘定を済ませ、ソーキ、てびちが美味しかったと話し、作り方を訊ねると、てびちの甘さは黒糖の甘さとのことだった。
 黒糖で煮ると柔らかく、臭みが取れ仕上がりが良いとのことだった。てびちの色が茶色いのは黒糖の色、汁がソーキより甘いのは、黒糖の味だった。


 
使っているのは、この黒糖だよと見せてくれた。
一般に土産物店に売っている黒糖ではなく、特別に造ってもらっているらしい。
"食べてご覧"の声に、一粒口の中に入れると、一般の黒糖にある渋味・苦味が少なくさっぱりとした爽やかな甘さだった。


写真を撮らせてもらうと、"持って行きなさい。車の中で食べればいいさ"と言って、ビニール袋に入れて、渡してくれた。
沖縄らしい情緒のあるおばちゃんだった、ありがとう。


お客さんは殆ど地元の人とのことだが、これからは評判を聞いて観光客も来ることだろう。そんな思いがした店だった。



【道のそば】
住所: 〒905-0428 沖縄県今帰仁村今泊3934
TEL: 098-056-1678
営業時間: 11:30~売り切れ次第終了
定休日: 月曜日
駐車場: 有り(6台)
座席数: 23席



 


 

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その5 今帰仁酒造蔵見学

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その5 今帰仁酒造蔵見学

今帰仁城の夜桜のライトアップは、18:00から、それまでの間に今帰仁酒造の蔵見学に行く。日本酒の蔵を見学したことは数多いが、自分でも意外だが泡盛の蔵見学は初めてだ。 泡盛の蔵も日本酒と同じで見学がOKなところとそうでないところがある。今回、車で移動する方面から、飲んだことのある泡盛の蔵から2箇所見学をお願いすることにした。 一つは、「千年の響」、「美しき古里」の今帰仁酒造ともう一つは「琉球」の新里酒造。い...

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今帰仁城の夜桜のライトアップは、18:00から、それまでの間に今帰仁酒造の蔵見学に行く。


日本酒の蔵を見学したことは数多いが、自分でも意外だが泡盛の蔵見学は初めてだ。
 泡盛の蔵も日本酒と同じで見学がOKなところとそうでないところがある。


今回、車で移動する方面から、飲んだことのある泡盛の蔵から2箇所見学をお願いすることにした。
 一つは、「千年の響」、「美しき古里」の今帰仁酒造ともう一つは「琉球」の新里酒造。いずれも後口の良い泡盛である。


日本酒の製造工程は、大体のイメージが頭の中にあるが、泡盛は全くない。蒸留の工程は日本酒にはないので、日本酒と違う点を中心に下調べをして出かけた。


【基本的な泡盛の製造工程】
 各工程は蔵毎に独自の手法が取られているため、常に同じとは限らず、各酒造所の造りの違いがその銘柄の特徴を創りだすことになっている。


1.酒米
 原料の酒米には、硬質米のタイ米を砕米にして使用する。
タイ米は昭和初期以降、泡盛醸造の最適な米として、全酒造所で使われている。
泡盛の原料としてのタイ米を使う主な理由は、
・硬質米のためさらさらしていて、米麹にしたときに、硬質で長い粒のインド種(インディカ米)であるタイ米は、麹菌の付きがよく、酒にコクと旨みを出し易い。
・水や酵母を加えてアルコール発酵させるときの温度管理がしやすい。
・他の米に比べ、アルコールの収穫量が多い。


 2.洗米・浸漬
 原料米に付いている糠を洗い流す。
 その後、水を溜め、蒸すのに必要な水分を原料米に浸漬させます。
  
 3.蒸し
 浸漬した酒米を水切りした後、蒸気で原料米を蒸す。


 洗米・浸漬・蒸しの工程は、回転式のドラムを使う場合が多いようだ、日本酒のように釜を使って蒸気で蒸すより機械化されている。
 機械化を進めている蔵では、連続蒸米機を使用しているのは日本酒蔵と同じ。


 4.種付け
 放冷機で蒸し米を適温まで冷まし、黒麹菌を散布し種付けを行う。


 日本酒は、麹菌として黄麹を使うが、泡盛では黒麹を使用する。
黒麹菌を使用する理由は、亜熱帯海洋性気候と呼ばれる温暖で多湿な沖縄の気候風土に拠る。


黒麹菌は繁殖の過程でクエン酸を大量に生成するため、雑菌による腐敗を抑えることができるという大きな特徴がある。
 気温の高い沖縄では、さまざまな菌が繁殖しやすく、酸度の弱いもろみだと、空気中に浮遊する腐敗菌に負けて、腐造になる危険度が高い。
 黒麹菌はクエン酸を生成するので、もろみが安定して腐りにくくなるので、気温の高い夏場でも醸造が可能になる。日本酒のように寒仕込みの必要はないのである。


黒麹菌は、原料である穀物のでんぷん質を糖化する酵素の力が強く、アルコールの収量を増やしてくれる能力を持っている。


 5.製麹
 黒麹菌を散布した原料米を製麹棚(三角棚)に移し、切り返し等の温度管理をし、麹を造る。


  麹づくりの方法は、若麹と老麹がある。
若麹は、菌糸の伸ばし具合を抑えて麹を造る。
老麹は、米の芯まで菌糸をしっかり食い込ませて造る。
どの方法を取るかは、酒造所によって、あるいは造る銘柄によっ変わってくる。


黒麹菌には、アワモリ菌、サイトウイ菌の2種類がある。
2つを混ぜて使うばあいもある。


製麹の時間は、基本的に約2日(40時間程度)が一般的だが、3日麹(約70時間)の方法を取る蔵もあり一様ではない。


 
 6.醪 
 仕込タンクに米麹と水、酵母を加えて発酵させ、モロミを造る。


日本酒の造りと大きく違うのは、全麹仕込み行われる。日本酒では、三段仕込みが行われ、初添→仲添→留添と三回に分けて米麹がタンクに入れられるのが一般的である。
 泡盛の全麹仕込みでは、一回ですべて麹米を仕込んでしまう。


酵母は、泡盛101号という泡なし酵母が一般的に用いられている。
 果実酵母、花酵母、黒糖酵母などが使われる場合もある。


もろみ期間は、一般的には約2週間だが、低温発酵で少し長め期間を取る蔵もある。
 もろみは、約2週間で度数18%前後のアルコールを生成する。
 
 
 7.蒸留
  アルコールが水より低温で沸騰する性質を利用し、発酵し熟成したもろみを蒸留機に入れて蒸留し、アルコール度数の高い泡盛を生成する。
 
蒸留方法には、単式蒸留と連続式蒸留がある。
単式蒸留は、もろみを、蒸留釜で熱し、アルコール分を含んだ蒸気を発生させ、蒸気を冷やしてアルコールを生成する方法であり、蒸留方法の中ではもっとも古くから行われている製法である。
連続式蒸留は、一度蒸留した液体を、さらに何度も連続して蒸留する方法である。
 蒸留を繰り返すほど純粋なアルコールに近い蒸留液を造ることができる。


さらに、単式蒸留法は、常圧蒸留と減圧蒸留に区分される。
常圧蒸留は、常圧で蒸留する方法であり、減圧蒸留は釜の内部を減圧して蒸留する方法である。


常圧蒸留は、蒸留機が歴史に登場して以来昔から現在まで行われてきた伝統的な手法であり、蒸留したいもろみに熱を加え、その蒸気を集めるシンプルな蒸留の方法だ。
 常圧蒸留で造られた泡盛は、その蔵の個性があり、古酒づくりに適しているので、常圧蒸留で造った泡盛を好む人が多い。


減圧蒸留は、蒸留釜の内部の気圧を下げて蒸留する方法。気圧低いところでは沸点が下がり蒸留が楽にできる。
 泡盛で使われる減圧蒸留機は、40~50度で沸騰する様に設計されている。


気圧を下げて蒸留すると、クセがなく、口当たりも軽やかで、香りもフルーティーさが全面に出てきます。
 減圧蒸留では、沸点が低いために、酒本来の個性やコクの素となる高沸点成分の気化を抑えられるので、雑味が抑えられ、淡麗なソフトな口当たりの泡盛になる。


常圧蒸留、減圧蒸留それぞれに良い面があるので、蔵はそれぞれの商品設計で、両方の方式を使い分けでいる。
 
 8.貯蔵
 蒸留された泡盛は蒸留直後のアルコール度数は50度前後であるため、それに加水をしてアルコール度数を調整し、熟成させる。
 熟成容器はは、ステンレスタンクが一般的だが、甕、ホーロータンク、樽を用いる蔵もある。


熟成期間は、一般酒でも、だいたい半年から1年は熟成させる。
古酒は、最低でも3年間熟成させてから用いられる。


 
 9.詰め
 貯蔵年数やアルコール度数、容量や容器等によって商品が区別され、出荷される。



【今帰仁酒造蔵見学】
 
今帰仁酒造は、海の近くに在った。


 


ほぼ、予約した時間通りの到着になった。
 


入り口を入って、すぐ左が事務所になっており、製品を購入することもできる。


ご挨拶をして、すぐに蔵内をご案内していただいた。


 
酒米は、タイ米を砕米にした物。


 




ドラムと呼ぶ機械で、洗米・浸漬・蒸し・種付けの工程まで自動的に行っている。


 
製麹を行う三角棚。


 
中の米麹。

 
切り返しは、機械ではなく、鋤のような道具で行う。


 
出来上がった黒麹による米麹。


 

仕込みはステンレスタンク。


 
仕込んだばかりのもろみ。
黒麹のため日本酒のもろみと違い黒い。


 
蒸留機。常圧・減圧両方できる。


 
貯蔵タンク。


 
樫樽貯蔵。


 
製品タンク。


 
屋外の貯蔵・熟成タンク。


 
高級酒の熟成は甕・樫樽で行われている。
甕は、タイ、ベトナムで造られたものに、外釉を掛けたもの。


 
瓶詰め機。


【感想】
初めての泡盛の蔵見学は面白くまた意外でもあった。


(1)酒造りは、土地の風土に依存している事がよくわかった。
沖縄のように暑い土地では、日本酒の寒造りは適さない、もしするとすれば蔵全体を冷蔵庫にする必要がある。
 沖縄での醪造りは、黒麹を使いクエン酸を生成させ腐造を防ぐ合理的なものだ。
 造り方も全麹の一段仕込みで手間のかからない工程だ。


(2)工程が日本酒に比べ手間をかけなくて済むことから、自動化・機械化が進んでいることには驚かされた。
 今帰仁は沖縄でも北部に位置し、地方であるが、工場は機械化が進み、蔵内は日本酒の蔵の多くに比し清潔できれいである。


(3)醪期間が短いため、出来たての泡盛の香りや味は刺激的だが、それを何年も寝かせて熟成させる事によって泡盛独特のまろやかな味を生み出している。
 日本酒のように搾りたては適さない酒であるが、常温で放置しても劣化するどころか熟成が進みまろやかな古酒になっていく羨ましい酒質である。
 日本酒も古酒の世界は存在するが、熟成の過程は一様ではなく、管理が難しい。逆に言えば、その難しさが魅力なのだが。


(4)面白かったのは、事務所に戻り、沖縄でしか入手できない酒を購入したとき、値段がカタログ価格より安かったことだ。
 日本酒の蔵では、このようなことはない。
「夢幻の宴 30度720ml」
 甕貯蔵の長期熟成古酒100%の酒で、2006年モンドセレクション銀賞受賞酒だ。


カタログ価格では2140円だが購入価格は1601円。


 


加えて見学記念に「美しき古里 30度 300ml」2本をプレゼントいただいた。
 忙しい中、手間と時間を煩わせた上におみやげまで頂戴して申し訳なく、ありがたい事である。感謝!!。


 


【今帰仁酒造】
会社名:有限会社 今帰仁酒造
.所在地:〒905-0401 沖縄県今帰仁村字仲宗根500
.電話番号:0980-56-2611
.FAX:0980-56-4598
.設 立:昭和23年
.従業員:45名
.代表取締役:大城善男
.e-mail:order@nakijinshuzo.jp
.HP: http://www.nakijinshuzo.jp/index.jsp

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その6 今帰仁グスク夜桜まつり

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その6 今帰仁グスク夜桜まつり

今帰仁酒蔵見学が終り、今帰仁城址夜桜まつりに向かう。城址駐車場は、もう車が一杯で、なんとか一番奥に止められた。夜間照明開始の18:00までにはまだ小一時間ある。天気はどんよりとした曇り空で、雨がいつ降りだしてもよい雲行き、駐車場の問題もあり、車内で待つことにする。場内の案内放送が、雨が降り始めた場合のスケジュールの変更について話している... 結構忙しかった今日の行程のためか少し疲れたので、座席を倒し...

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今帰仁酒蔵見学が終り、今帰仁城址夜桜まつりに向かう。
城址駐車場は、もう車が一杯で、なんとか一番奥に止められた。


夜間照明開始の18:00までにはまだ小一時間ある。天気はどんよりとした曇り空で、雨がいつ降りだしてもよい雲行き、駐車場の問題もあり、車内で待つことにする。


場内の案内放送が、雨が降り始めた場合のスケジュールの変更について話している...
 結構忙しかった今日の行程のためか少し疲れたので、座席を倒して仮眠を取る。待ち時間は丁度良い休息時間としよう。



夜間照明の時間が近づいたので、車を出て城址入口に向かう。
駐車場は満杯で、係員は道路に駐車するように指示している。
すごい人出である。観光客がこんなに多く今帰仁の夜に押しかけることは不思議だと思っていると、事情がわかった。


今帰仁城の夜桜まつりを記念して、24日から28日まで「北山の風 今帰仁城風雲録」の公演が行われるだった。
 今帰仁村の多くの中高生が出演するらしくその関係者が中心となって大勢の観客が来場しているようだ。



 


 
入場券販売の特設テントで入場券を購入する時、前のおばちゃんが係に聞いていた。
"出演者の家族でも入場券を買わなければいけないのか?"
係は、言った。
"入場券が必要です。"
話を聞いていて、沖縄の風土なら買わなくてもいいんじゃないかと思ったがどうだろう。


 



白の外壁の外には、楽屋と思われるテントが張られて、出演者が準備をしている。


 
昼間しか来たことがない今帰仁城の正門平郎門入り口には、花篝が炎を揺らせていた。本物の花篝を見る機会は少ないので、貴重な体験だ。


H先輩の句を思い出した。
 ・美しいもののみ見せて花篝


 
平郎門から大庭(うーみやー)まで続く参道の七五三(しちごさん)の階段 には、花守の人たちが、透明なペットボトルで作った蝋燭立てに火を灯している。
 
 
平郎門から大庭(うーみやー)まで続く参道は戦前に地元民によって桜が植栽され、曲がりくねった道を直線の石段にに整備したものだそうだ。


 
昨年は七分咲きぐらいだったが、今年は一分先ぐらいだろう。


 
暮れかかっているがまだ空に明るさが残る石段には蝋燭の火が道しるべとなっている。


 ・今帰仁の城(ぐすく)灯ともす花篝


 
大庭(ウーミヤー)の樹々は緑の光でライトアップされている。

 



 
主郭から平郎門を見下ろすと城壁がライトアップされている。
空の明るさがまだ残る中での城郭のライトアップはなかなか綺麗だ。夜景を見に来てよかった。
 



 
火神の祠(ひのかんのほこら)とその前に石灯寵も照明されている。
 
次第に暗くなる主郭も四隅の明かりにぼんやりと照らされている。


 
冬の日の暮れは速い。

 
空が暗くなると、ローソクの道しるべが輝きを増して、夜道を幻想的に照らし始める。
 




平郎門に戻ると、入った時とは違って、薄暗くなった曇り空に城壁が紫の光に浮かんでいた。
 


 


「北山の風」が演じられている特設ステージへ向かうと、谷茶前が聞こえてきた。
 

ステージでは、北山の中高生の出演者が谷茶前を踊っている。
沖縄にしては冷たい風が強く吹く中観客たちは芝生に敷物に腰をおろして見続けている。


 
次は、主役らしき二人が登場する。


「北山の風 今帰仁城風雲録」は歴史のある劇のようで、何度も上演されているそうだ。


 劇の内容はチラシによれば
『北山王朝最後の王「摯安知」と、「北山の山狗(やまいぬ)」と祁楡された副将「本部太原」の確執、そして王の遺児「千代松」による仇討を描いた、知られざるもう一つの北山落城の物語を、勇壮かつ情熱的な演出で上演します。


かつて終戦直後の昭和21年、今帰仁小学校の主席訓導であった新城紀秀氏の指導・脚本により演じられた「北山」。
以来、長い年月を経て、その舞台に係わった新城紀秀先生の教え子達が立ち上がり、当時の彼らの胸に刻まれた熱い想いと、先生への感謝の念を伝えるために、演出家「平田大一」に再演を依頼。
65年の刻を経て、世代と時代を超えて、今、ここに情熱の舞台が蘇ります。』


この劇については、以下のサイトに詳しい。
「がじゅまるの樹の下で。」
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/0ac8ef6e9ecf8cdb69d81ec4d7eb5e92


 

夜の帳が降り、空の明るさが消えた空に、夜間照明された城壁が紫色の灯の中に幻想的に浮かび上がる。
 劇の照明が地面を照らしているのもいい効果を上げている。


 
劇はまだ終っていないが、今帰仁であまり遅くなることも出来ないので、読谷に向かって帰ることにする。



 

2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その7 くいもんやーうふぎ(読谷)の宴

2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その7 くいもんやーうふぎ(読谷)の宴

車に乗り今帰仁を出る頃降り始めた雨が、伊豆味街道を通る頃には本降りとなった。劇は最後まで演じ終わることが出来たのだろうか。途中、道路工事のためナビが教える道と道路が違っており、58号線から外れ迷ったりしながら、なんとか今宵の宴の場、読谷村の「くいもんやー うふぎ」に着くことが出来た。  うふぎの暖簾を見ると「うなぎ」の暖簾のように見えるが、「うふぎ」だ。 この店は6号線に面しており、昨夜の「...

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車に乗り今帰仁を出る頃降り始めた雨が、伊豆味街道を通る頃には本降りとなった。劇は最後まで演じ終わることが出来たのだろうか。


途中、道路工事のためナビが教える道と道路が違っており、58号線から外れ迷ったりしながら、なんとか今宵の宴の場、読谷村の「くいもんやー うふぎ」に着くことが出来た。


 


 
うふぎの暖簾を見ると「うなぎ」の暖簾のように見えるが、「うふぎ」だ。
 この店は6号線に面しており、昨夜の「田舎者」より残波よりの大木地区にある。大木は沖縄風に書けばうふぎになるのだろう。


 
暖簾をくぐって入ると正面は寿司屋のような板場。

 
手前右側に泡盛の甕が並べてある。なかなか気持ちの良い景色だ。


 
入口の右側が客用のスペース、仕切られた小上がりが幾つかある。
地元の人に愛されているとのネットの情報通り、5,6名の地元の若者達がゆんたくしている。
 その左側の仕切を案内されたが、猛烈にタバコの煙臭い、地元のグループが煙草好きのようだ。食事の時の煙草の煙は我慢出来ないので、係の娘に禁煙席を聞くと、
"禁煙席はないが、突き当たりの広い部屋を使えば扉で区切られています。"とのこと。


 


扉を引いて中に入ると、広い空間に掘りごたつ形式のテーブル席が6箇所ほどある。


 
この店はかなり収容力があり、大きな宴会もできそうだ。


メニューを渡されて、少しがっかりした。
 

居酒屋チェーン店のような、プラスチックの素材をビニールで包んで、使い古されている。
 
メニューの内容は、昨夜の田舎者と同じようだ。刺身、寿司、チャーハン、雑炊、天ぷら定食、沖縄料理、丼物、ピザ、サラダ、焼き鳥、一品料理...なんでもありだが、今日のおすすめのような看板メニューはない。


居酒屋メニューでは...と内心不安を感じたが、お定まりの沖縄のチャンプルー料理と泡盛を頼む。
 ボトルではなくて甕の泡盛を頼めるか係の娘に聞くと、
"2合でお出しできます。忠孝がおすすめです"とのこと。


忠孝とチャンプルー2種とラフテーとてびちの唐揚げを注文。
係の娘にフーチャンプルーとフーイリチャーはどう違うのか聞くと同じだとのことなので、フーイリチャーを注文した。
チャンプルーの中ではフーチャンプルーが一番好きだ。昨夜の田舎者には残念ながら無かった。


 
泡盛は忠孝専用の徳利に入れられ、氷と水と一緒に運ばれてきた。
この徳利は二合よりたくさん入っていそうだ。


 
フーイリチャー。麸、ポーク、キャベツ、青菜、マーミナ。
麸にもしっかり味付けがされ、香ばしく炒められており、美味しい。沖縄のチャンプルーらしい風格が有る。


 

トウフチャンプルー。
これも沖縄らしさが美味しい。


 
ラフテー。
甘醤油に生姜の味が強い。トロリとした脂感は少なく、口当たりがさっぱりしている。肉は少し固めの煮方で、口に入れるとほぐれるという感じではない。


 
てびちの唐揚げ。
てびち唐揚げに甘酢が絡めてある。
表面はパリパリしているが、中味はてびちのコラーゲンが一杯である。田舎者のそれと比べると身が多く付いており食べ甲斐がある。


 
沖縄料理以外のものということで、動きまわっておなかがすいていたこともあり、「豚カツ卵とじ」を注文してみた。
何か沖縄風のものが出てくるか期待したが、本土でも同じみのトンカツの玉子とじが出てきた。味もスタンダードなもの。


 
ヒラヤチーと書いてあるメニューがあり、どんなものか訊ねると、チジミみたいなものというので注文。
言葉通り、薄いお好み焼きといった感じ、パリパリとしていなくて柔らかい。ウスターソースのようなタレで食べる。


 
上にぎり。
ネタも大きく、シャリもたっぷりとして食べ応えがある、これで1100円は安い

居酒屋の寿司ではなく、寿司屋の寿司だった。
右上の白身は、タマンのにぎり。和名では、ハマフエフキ。沖縄では高級魚として知られていおり、鯛に似た味わいで美味しい。


「くいもんやー うふぎ」は、メニューが豊富なところは「田舎者」とおなじだ。
 敢えて特徴付ければ、「田舎者」は新鮮な魚料理が豊富で刺身、寿司、唐揚げ、バター焼きで、今日の新鮮なメニューもあるが、沖縄料理は上品すぎて沖縄風のパンチがない。大将の人柄が気さくで和やかな雰囲気だ。
「くいもんやー うふぎ」は、沖縄料理は美味しく、魚の刺身、寿司も美味しいが、メニューが定型化され居酒屋風で、本日のおすすめとか魚の料理法の自由度が少ない。
 自分の好みとかその日の気分で使い分ければよいだろう。


以前行ったことのある大木海産物店も近くにあるが、メニューは似た印象だが、観光客が多いようだった。
 今回は行けなかったが、ネットの情報では「読谷物語」も評判が良かった。次の機会に行ってみたい。

今日も、運転代行にお世話になった。
今日は、到着までに10分ほど掛かったが、呼べば応える感じで、便利至極だ。
車を運転してくれた人は、東京出身で沖縄在住10年とのことだ。
GOえん運転代行は、総勢40名ぐらいの運転手がいるそうで、夜になるとフル回転しているそうだ。
 代行のお客はホテルの旅行客だけでなく、地元の人も多い。読谷地区の人は、良く飲むので、気軽に代行運転を使うそうだ。
 読谷内のホテルであれば、1000円の料金で代行してくれるので、帰りだけ頼めば、タクシーより安いだろう。
 沖縄は公共交通網は今一かもしれないが、レンタカーとか代行運転のような私的な交通網が十分に補っている。
 車を持たなくてもよいし、飲めば代行してくれるのは、考えて見れば先進的だといえる。
本土でも広く普及させる必要があると考えるがどうだろう。飲み助の妄言だろうか。
 沖縄の夜は、羨ましい。


【くいもんやー うふぎ】
住所: 沖縄県中頭郡読谷村字楚辺1195
電話番号: 098-956-9982
営業時間: 17:00?翌1:00
定休日:  木曜日
駐車場:  有り
クチコミ:
http://www.e-pon.jp/epad/ufugi.cgi



 【GOえん運転代行】
GOエンウンテンダイコウ
住所: 〒9040316 沖縄県中頭郡読谷村字大木467-14-201 
電話 098-956-1000


 


 



2011-01-26 (Wed)

2011/01/26 日記 雪見酒

2011/01/26 日記 雪見酒

2011/1/26 (水) 旧暦: 12月23日  下弦  6時45分  17時01分  -----  10時15分  21.75  辛巳 (しんし,かのとみ)  仏滅  九紫火星  今日の季語: 雪見酒 (南房総通信、週末田舎暮らし天国! より転載)『雪景色を楽しむという感覚は、今の東京人にはあまりない。雪が降ったから雪見に出かけよう、ということはまずないだろう。スキーや温泉に出かけるにしても、雪景色は二...

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2011/1/26 (水) 旧暦: 12月23日  下弦  6時45分  17時01分  -----  10時15分  21.75  辛巳 (しんし,かのとみ)  仏滅  九紫火星 


今日の季語: 雪見酒


 



(南房総通信、週末田舎暮らし天国! より転載)


『雪景色を楽しむという感覚は、今の東京人にはあまりない。雪が降ったから雪見に出かけよう、ということはまずないだろう。スキーや温泉に出かけるにしても、雪景色は二次的なものだ。その点、江戸の人々は実にうまくこの自然現象との付き合い方を心得ている。花見や月見と同じように雪見を楽しんでいた。


この図会は料亭での雪見の宴を描いたもの。場所は深川の富岡八幡宮境内にある高級料理屋「二軒茶屋」。なかなか豪勢な酒宴だ。庭や手前の松には程よく雪が降り積もっている。
話がそれるが、図中の人間関係を想像してみると面白い。宴の主らしき人は立派な火鉢を前にして背中を庭に向けている。対面の大男に雪見酒を振る舞っている様子だ。何でまたこんな大きな杯で酒を飲んでいるのだろう。どうも風体からしてお相撲さんのよう。江戸時代、大名や有力商人はお抱えの力士がいたというから、そんな関係かもしれない。料理も立派そうだ。鯛の尾頭付き以外はよく分からないが、『江戸名所図会』文中には、「二軒茶屋と称する貨食屋(料理屋)ありて、遊客絶えず、かき・しじみ・はまぐり・うなぎの類……」と紹介されている。
取り巻きの人にも注目したい。周りにはべるは深川芸者、左奧には太鼓持(たいこもち)がいることからも、かなり豪華で立派な酒宴といえるだろう。太鼓持とは料亭や遊廓の酒席を盛り上げる芸人のこと。なぜか、美しい雪景色を見ている人は誰もいない。


このような贅沢な雪見ができたのはごく一部の富裕層に限られたが、庶民は庶民の雪見のスタイルがあった。雪景色を見るだけなら基本的にタダである。江戸には雪見の名所といわれる場所があり、冬の行楽として雪見に出かけたようだ。
隅田川の周辺、上野、不忍池、湯島、道灌山、日暮里の諏方神社、飛鳥山、愛宕山など。眺望のよい小高い場所が好まれた。面白いことに、雪見の名所は月見の名所と重なることが多い。
江戸での雪見が人気だったのは、雪見をテーマにした広重の浮世絵、数多くの図会などが残されているのをみても分かる。


今では想像できないが、江戸の人々の雪見はごく一般的なことだった。名所に出かけるのもいいし、隅田川に雪見船を浮かべて雪見を楽しむという手もある。長屋の猫の額ほどの裏庭に降った雪を見ても、それはそれで雪見だったのではないだろうか。そんなこと、ぜんぜん風流じゃないという人もいるだろうが、江戸の人々はそこに風流を感じ得たと思う。四季を無理なく受け入れ、楽しみ、自然現象を自然に享受できる能力と精神構造を持ち備えていたのだった。』(江戸散策家/高橋達郎 クリナップ より転載)



雪見酒の俳句:


・さかづきを珠なしあふる雪見酒 福田甲子雄


・みちのくの厚き丹前雪見酒 松本澄江


・杉山を育てし人と雪見酒 太田土男


・生国は土佐と薩摩や雪見酒 小田玲子


・雪見酒一とくちふくむほがひかな 飯田蛇笏


気象データは知らないが、江戸時代は、江戸にも多くの雪が降り、雪見ができるほど積もったのだろうか。
 今の東京では考えにくいが、江戸では不思議でないような気がする。


江戸の雪は事件ではなく、美しいもの。
 同志の人が集まり、茶を立て、句会を開き、雪見酒を楽しんだことだろう。
 季節の移ろいに任せ、季節を楽しむ心が江戸には在った。


去年は雪見酒を楽しむことが出来たが、今年はどうなることか。
雪は多いはずだが、それ以外の条件が。



 

2011-01-25 (Tue)

2011/01/25 沖縄旅行第1日目-その1

2011/01/25 沖縄旅行第1日目-その1

沖縄に出かけた。去年もこの時期に、花見に沖縄に行ったが、矢張り暖かく、寒緋桜の赤い花を見ていると冬の寒さを忘れることが出来た。 今年の冬は特に厳しい。寒さを避けて、再び沖縄の桜と沖縄料理を肴に泡盛を楽しむことが目的だ。訪問先は、いつもの場所に加えて、今回は泡盛の蔵を加えた。日本酒の蔵は数多く見学しているが、泡盛の蔵見学は初体験だ。 泡盛の蔵も見学可能なところと公開していない蔵もある。旅程に沿って、...

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沖縄に出かけた。
去年もこの時期に、花見に沖縄に行ったが、矢張り暖かく、寒緋桜の赤い花を見ていると冬の寒さを忘れることが出来た。
 今年の冬は特に厳しい。寒さを避けて、再び沖縄の桜と沖縄料理を肴に泡盛を楽しむことが目的だ。


訪問先は、いつもの場所に加えて、今回は泡盛の蔵を加えた。日本酒の蔵は数多く見学しているが、泡盛の蔵見学は初体験だ。
 泡盛の蔵も見学可能なところと公開していない蔵もある。旅程に沿って、北部と中部の蔵を一つずつ見学させていただくことにした。初めてのことは何時も楽しく興味深い。


もう一つは、読谷の研究。
今回はホテルが中部の読谷村なので、読谷周辺の見所を巡り、夜の宴も読谷の店を調べて、その中から評判の良い店を選んだ。


もうひとつの目的は、沖縄の世界遺産登録史跡の最後の中城城址の訪問。これで全場所制覇になる。



今回は、行きの飛行機は午後3時の便。那覇に着くのは5時半、読谷の残波ロイヤルホテルに着くのは8時前後になる予定だ。


金山から名鉄で中部国際空港に向かう。


 
平日の午後の空港は、今までと違って乗客が少なく、落ち着いて静かだった。


 
ANAもJALも整備が終わり次第目的地へ向かって飛んでいく。


巨大な機体を見ていると、こんな大きな重いものが空を飛ぶ不自然さをどうしても感じてしまう。勿論、飛行機には何度も乗っているが、墜落の可能性はゼロではない。不安と言えるほどの恐ろしさではないが漠然とした危うさを想像してしまう。


だが、考えて見れば、毎日、数え切れないほどの飛行機が日本の空を飛んでいるが、大きな旅客機の事故は最近殆ど無い。
 自動車のように危険な乗り物ではなく、プロの整備士が毎回点検し、プロの機長が操縦する最も安全な乗り物が飛行機であることを思い浮かべることができる。


出発までの時間、ロビーで玄侑宗久の「お坊さんだって悩んでる」(文春新書)を読む。


搭乗時刻になり、機内に入ると機内は満席だった。空港は人が少ないように見えたが、その印象と機内とは違っていた。
 団体のツアー客が多いのだろう。


機内サービスは、すべて廃止されていると思い込んでいたが、JALのこの便は、飲み物(お茶、ジュース、コーヒー、スープ)のサービスがあった。



飛行は特に問題は無かった。
厚い雲を抜ければ、その上はもう青い空だ。


 ・冬陽さす翼の先の空の青


下を見ると雲が一面に広がっている。
どこまでも続く白く凸凹とした雲海は、まるで光に輝く雪原の様に見える。


 ・見下ろせば雲海光る雪のごと



那覇空港に向かって下降するとのアナウンスがあり、厚い雲の中に入り、窓は灰色になり何も見えなくなり、機体は不規則な周期の振動を繰り返しながら降りていく。
 突然視界がひらけると、海が見えた。


 ・冬の海されど紺碧美(ちゅ)らの海


那覇空港に到着すると、空港内の通路には、何時ものように艶やかな胡蝶蘭が出迎えてくれた。


 



桃色、白、紫、黄色、色とりどりの胡蝶蘭がお出迎え。
灰色の冬から色のある南国へ到着したことが実感できる。


 ・冬空を降りれば南花赤し


 ・美ら海は冬も青色花は赤


空港からレンタカー会社の、バスで豊見城のレンタカー会社へ向かう。
 本土ならば空港からは公共交通機関で移動することになるが、沖縄の交通の社会基盤は異なっている。
 バスもあるが、レンタカーを利用することが当たり前になっているのが沖縄だ。


カウンターで受付を済ませて、レンタカーで目的地の読谷村に向かう。
 レンタカーの問題はナビだ。毎回車種が違うので搭載されているナビも違い、操作方法も違う。
 どう仕様も無い馬鹿なナビもあるので気になることだ。ある程度操作感を統一してもらえるとありがたいが、現実には難しい。
 今回のナビもそう使い勝手が良くなさそうだ。


ルート検索を自動で高速道路設定で検索してしまう。市内の変貌ぶりを知りたいので、一般道に変更して再検索する。
 ナビの操作がわからないとこれだけでも最初に時間を要する。


夕方の58号線はやはり渋滞していた。
夜の予定もあるので、市内には止まらず、車の流れに乗って読谷に向かう。


ナビは、58号線から読谷村に向かう道を、早めに海側に左折させた。このルートは距離的には最短距離なのだろう。
 この道は、海に近いさとうきび畑を走る道ですれ違う車もなく、夜間の照明もない真っ暗な道で心細い。
 車の飛び出し、子どもの飛び出しはないだろうが好んで走りたい道路ではない。58号をもう少し北上し県道6号を走るべきだったと反省した。


ホテルにチェックインを済ませて、その足で予約が入れてある今宵の宴の場所「田舎者(いなかもん)」に向かう。
 下調べでは、新鮮な魚と大将の人柄が評判の店だ。



 

2011-01-25 (Tue)

2011/01/25 沖縄旅行第1日目-その2 「田舎者(いなかもん)」(読谷村)

2011/01/25 沖縄旅行第1日目-その2 「田舎者(いなかもん)」(読谷村)

田舎者は夜道をゆっくり走ってホテルから15分位の場所、県道6号線の通り沿いに在った。  店の前の駐車スペースは空きがないので、店の人に聞くと、隣の店の前の白線の場所に止めてよろしいとのこと。流石、お互いにおおらかである沖縄を感じる。困っている人は許してもらえる。店に入ると、正面の奥が板場、左右がテーブルの客席。左が掘りごたつ形式で足が下ろせるので、そちらに座る。お店の女性(おくさんだろうか?)が...

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田舎者は夜道をゆっくり走ってホテルから15分位の場所、県道6号線の通り沿いに在った。


 


 店の前の駐車スペースは空きがないので、店の人に聞くと、隣の店の前の白線の場所に止めてよろしいとのこと。流石、お互いにおおらかである沖縄を感じる。困っている人は許してもらえる。


店に入ると、正面の奥が板場、左右がテーブルの客席。
左が掘りごたつ形式で足が下ろせるので、そちらに座る。


お店の女性(おくさんだろうか?)がメニューを4つ持参した。
一つは、お決まりのメニューだが、他のメニューは手書きの看板で、当日入荷の魚・お薦めメニューらしい。


 
読谷村は漁港があり、魚が水揚げされるため新鮮な魚が毎日入荷するようで、海鮮料理に強い店が多い。田舎者もそのうちの一つだ。
 刺身のメニューには、沖縄の名称で書かれているので判らない魚も多い。


 
まずは、ビールのおつまみに島とうがらし餃子を注文。


 
バター焼きが食べたかったので、得々メニューにあってよかった。



 
まずは、オリオンビールで乾杯。


 
突き出しは、もずく酢。
新鮮なのでさっぱりとした食感で、歯触りが良く、香りも良い。


 
島とうがらし餃子。
焼きはカリッと香ばしく、お気に入りの焼き加減。
口に入れると、普通の餃子で、特に激辛ではない。
だが、次のを食べているうちに、次第にじんわりと辛味が舌に纏わりついてくる。冷酒とおやじの説教タイプだ。


ビールで喉を湿らせた後は、矢張り泡盛。


 
グラスでも注文できるようだが、面倒なのでボトルで注文。
泡盛も土地の物、ここでは残波を注文しなくては。
残波の白の4号瓶を注文。


「残波ホワイト25度720ml」は、モンドセレクション金賞を3年連続受賞したそうだ。


 
沖縄の風習で喜ばしいのは、細かくないことだ。
 本土の様に疑わしいミネラルウオーターと氷のセット料金を請求することは多くの店ではない。観光客の多い国際通りの店の一部ではあったが沖縄で請求されると興ざめだ。
 田舎者では氷・水は泡盛の代金に含まれており、別途請求されることはない。


肴は、沖縄らしい料理ということで、チャンプルーと食べたかったグルクンの唐揚げを注文。


 
トーフチャンプルー。
島豆腐、もやし、ポーク、青菜。
さっぱりとした薄塩味のチャンプルーで、上品。


 
ゴーヤチャンプルー。
味はトーフチャンプルーと同じ、薄味。
美味しいのだが、DEEP沖縄の味に親しみを感じている筆者にはゴーヤーが炒めすぎだ。
 半生ぐらいの炒め方で生のゴーヤーの食感と苦味が好きなのだが、これは柔らかくなるまで火が通されており苦味はない。観光客向けにしているのかもしれない。


 
ソーメンチャンプルー。
ソーメン、ニラ、もやし、ポークの炒め物。


 
てびちの唐揚げ。
那覇周辺では食べたことがないが、読谷ではてびち(豚足)を唐揚げにして、甘酢をかけるのが普通にあるようだ。


普通のてびちのようなプルプル・トロリの食感ではなく、カリカリとした食感で、肉の多いところはモッチリとしている。


 
壁に沖縄の魚のポスターが貼ってある。
沖縄名称の肴は、グルクンとスルルしか知らない。
グルクンの和名は「たかさご」、スルルは黍魚子(きびなご)。
スルルの唐揚げはビールのつまみにぴったりだ。ワカサギとは違い、やや骨っぽく、噛むほどに味が出るのが良い。


 



 チャンプルーを肴にザンシロを楽しんでいると。
店の大将が、差し入れを持ってやってきてくれた。
刺身の差し入れだった。
島ダコと巻貝。巻貝は聞いたことがない名前なので、聞きなおして教えてもらった。


上の白い看板の刺身メニューにあるティラジャーと言う巻貝。
別名コマ貝。和名まがき貝。


 
(殻付きのティラジャー かりーさびら より転載)


刺身なので山葵と醤油でも良いが、添えられている味噌ダレでいたたいた。酢味噌だがニンニクが入っているのがミソ。
 ティラジャーは癖のない味で上品、食感はサザエのように固くはなく二枚貝のように柔らかくもない中間のプリプリした感じ。


島ダコは地物の蛸らしく柔らかくて旨みがある。
ニンニク入りの酢味噌を付けるとザンシロに良く合った。


 
食べたかったグルクンの唐揚げ。
三枚におろして、身は切って揚げてあるので食べやすく、骨も単独で揚げてあるので、パリパリと食べられる。頭部の頭蓋骨部分だけ残して全て食べられた。お薦めである。


 
気になった得々メニューのホシミゾイサキのバター焼きの大を注文。



しばらくして運ばれてきたホシミゾイサキは本当の大だった。
ザンシロの4号瓶と比べると大きさが判る。


表面は焦がさずに中まで火を通すのは難しいが、これは丁度よく火が通り、生臭さがなく鯛の焼き物のような白身がタップリと美味しかった。これで得々価格980円は安い。


58号線の南栄が在った頃は、バター焼きを注文したものだったが、今は無く寂しかったが、読谷まで足を伸ばせば、美味しいバター焼きが楽しめることが判った。


最後は、黒板に書かれていた「にぎり5貫 マグロハラゴ ミジュン」を注文。


 
左がミジュン、右がマグロハラコ。
どちらも脂が乗って美味しかった。
寿司が好きな人は、地物のネタを楽しむことが出来る店なので訪れる価値がある。


ミジュンは食べたところ鰯か鯵の印象。大将には聞かなかったが、帰ってから調べてみるとミジュンは沖縄名で和名は矢張り鰯だった。


おいしい肴と泡盛の宴に満足したので帰ることにする。
「飲んだら乗るな」、車で来たのでは?
ご心配無用、調べてあった運転代行をお店に呼んでもらう。
5分もしないうちに代行は到着した。


聞くと、飲み残しは持ち帰り可なのでザンシロの瓶をさげて、代行運転手に運転を任せて、ホテルに帰還。
 読谷大木から残波ホテルまでの料金1000円。寒風の中待たなくともよいし、並ばなくてもよいし誠に便利。沖縄の夜は酔っ払いに優しい。
 明日もまたお世話になろう。



【店のデータ】
田舎者(いなかもん)
電話:098-956-1606
所在地:沖縄県中頭郡読谷村大木326-2
定休日:水 営業時間:17:30~24:00
駐車場:5台
座席数:40


「毎朝セリで仕入れた新鮮な旬の魚が贅沢にいただける居酒屋。夫婦で営む温かい雰囲気に地元の人が集い、和気あいあいとしている。 」


ネット上のクチコミ
「ちょっとワケあって一人でお邪魔したんだけど、マスターも気さくに話し掛けてくれて、知らない土地での一人飲みもとても楽しく飲めました。また沖縄に行ったら必ずお邪魔しますね!」


「うまい!やすい!マスター最高!
近くの漁港から仕入れる、新鮮な魚で作る創作魚料理は最高です! また、メニューにはのっていない料理でも、お客の好きな食材で作ってくれるのがとてもありがたいです。 いつも無理言って「紫蘇アラカルト」を注文してます。さいこう~ですよ!」


クチコミ通り大将は、気さくな方で親切だった。
気持よく食べさせ飲ませてくれるところ。
読谷では大木海産物店も有名だが、気持ちの良さに関しては田舎者の方が良い感じだ。
 大人数は無理だが1人~10人位なら気持よく楽しむことができる店だ。


メニューも看板以外に定番のメニューも豊富。


  



寿司・魚料理はお薦め。
沖縄料理はあっさり味なので、DEEPな沖縄を好む人にはやや物足りないかもしれない。


 

代行について * by ザンバトウ
ブログ、楽しく拝見させていただきました。
今月末に、田舎者さんにお邪魔しようかと考えています。
そこで、代行運転の件なのですが、ご利用した会社名等を教えていただければ幸いです。

よろしくお願い申し上げます。

ようこそいらっしゃいました。 * by 笑山
ザンバトウ 様

こんばんは。
私が利用しました運転代行は、GOえん運転代行です。
「2011/01/26 沖縄旅行第2日目-その7 くいもんやーうふぎ(読谷)の宴」の記事に、電話番号等書いてあります。

沖縄は変化の激しいところですから、予め電話をしてして営業している事を確認されたほうが良いです。

沖縄はいいですね。
良い旅をお楽しみ下さい。

2011-01-25 (Tue)

2011/01/25 日記 雪見

2011/01/25 日記 雪見

2011/1/25 (火) 旧暦: 12月22日    6時46分  17時00分  23時22分  9時39分  20.75  庚辰 (こうしん,かのえたつ)  先負  八白土星  不成就日今日の季語: 雪見 (トリップアドバイザー より転載)『雪見(ゆき-み)とは、中世以降の日本に見られる風俗の一つであり、降雪や雪景色を眺めて楽しむこと。日本の近世にあたる江戸時代(後期)に活躍した浮世絵師・歌川国...

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2011/1/25 (火) 旧暦: 12月22日    6時46分  17時00分  23時22分  9時39分  20.75  庚辰 (こうしん,かのえたつ)  先負  八白土星  不成就日


今日の季語: 雪見


 



(トリップアドバイザー より転載)



『雪見(ゆき-み)とは、中世以降の日本に見られる風俗の一つであり、降雪や雪景色を眺めて楽しむこと。


日本の近世にあたる江戸時代(後期)に活躍した浮世絵師・歌川国芳の名所絵『雪見舟図』などは、その様子を描いた代表例である。葛飾北斎の傑作、『富嶽三十六景』のうちの1図「礫川 雪ノ旦」(右図参照)がある。


現代では特に、室内などの暖かい場所から眺めることが多い。 雪見酒や雪見風呂など、暖かいものを楽しみながら雪に興じることも広く行われる。
...』(Wikipedia)



雪見の俳句:


・唄で越す早瀬いくつや雪見舟 鈴木漱玉


・星ならぬ雪見となりし旅仲間 千原叡子


・夜半の雪見る人無くも降りしきる 渡辺玄子


・雪見してついで詣りの観音さん 折橋綾子


・母の忌の雪見座敷の三姉妹 山形悦子



気を許した人と温泉宿でゆっくりと雪見を楽しむ。
それは、幸せなことだ。
その人があればこその幸せだ。


惜しむこと無く・迷うこと無く行くべきだ。



 

2011-01-24 (Mon)

2011/01/24 日本のお酒は「日本酒」

2011/01/24 日本のお酒は「日本酒」

外務省が、新任大使に日本酒の研修を始めたそうだ。遅きに失した取り組みだが、今からでも遅すぎることはない。今までに実情はよくわからないが、外務省を始め各官庁のパーティは、シャンパンなどで乾杯していたのではないか。 シャンパンとかワインとかの情報・知識があることが何かセンスの良いことであるかの錯覚に陥っていたのではないか。 この辺りの意識・感覚は鹿鳴館時代と変わることはない。外務省は、国際連合の機関で...

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外務省が、新任大使に日本酒の研修を始めたそうだ。
遅きに失した取り組みだが、今からでも遅すぎることはない。


今までに実情はよくわからないが、外務省を始め各官庁のパーティは、シャンパンなどで乾杯していたのではないか。
 シャンパンとかワインとかの情報・知識があることが何かセンスの良いことであるかの錯覚に陥っていたのではないか。
 この辺りの意識・感覚は鹿鳴館時代と変わることはない。


外務省は、国際連合の機関でもなく、職員はコスモポリタンでもない。日本の機関であり、日本人である。外国の酒に通じている事は、知らないよりましであるだけで、知らなくても何も問題ではない。
 だが、日本の役人がワイン・ウイスキー・ビール・老酒は解るが日本酒が解らないのでは、失格だ。


インターナショナルということには、ナショナルが前提となっている。ナショナルがないところではインターナショナルな関係は成り立たない。
 日本のことに通じている人に対して、外国人は日本人と認め、尊敬するのであって、外国のことに通じているからと言って日本人と認めてくれるわけではないのだ。


古今東西のワインに精通している人は、フランス人から変な外人であって、日本人ではないだろう。



『外務省、新任大使に日本酒の講習 地酒世界に売り込めと
2011年1月23日 17時30分


 



 日本酒PRのため、ロンドンの日本大使館で行われた利き酒会の冒頭、
鏡開きをする海老原紳・駐英大使(当時、左)ら=2010年9月8日(共同)
 
 【ロンドン共同】日本外務省は、新任の大使や総領事への研修の一環として、日本酒に関する講習を行うことを23日までに決めた。同時に在外公館のパーティーなどで、全国の地酒を積極的に提供する方針も決定。日本製品・文化PRの一環として、日本酒普及を後押しする。


 初の日本酒講習は24日、新任大使らを対象に東京・霞が関の外務省で実施。講師は日本国外で最大の日本酒品評会、インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC、ロンドン)の2008年日本酒部門最優秀賞を獲得した出羽桜酒造(山形県天童市)の仲野益美社長が務める。


 仲野社長は「国を代表する酒が持つ奥深さを伝えたい」と話し、外務省在外公館課は「会食の場で日本酒を使ってほしい」としている。』(CHUNICHI Web より転載)



日本酒が、外国で受け入れられる日は既に来ているが、本当の日本酒がそのままで紹介されるには問題も多い。
 ウイスキー・ワインと違って保管管理が難しい。香り・味が日に日に変化することは、日本酒の特性だ。
 このことに理解がないまま、人気だけ先行すると、日本酒の姿を見誤ることになる。
 儲かればなんでも買い占める民族が、日本酒を買いあさってもそれは日本酒のためにはならない。


日本酒の季節感・香り味わいの繊細さ、管理の難しさと言った日本文化の背景まで考えたPRを行う必要がある。
 これは、一日程度の講習で身につけられることではない。


こうなったら、日本酒造組合が毎月一定量の日本酒を提供し、外務省の役人に浴びるほど飲ませて、各種研修も行ったらどうだろうか。
 そうすれば、外務省の役人は、日本酒に自信を持ち、外国人から流石に日本人は美しい酒を飲んでいることに尊敬の念を持つだろう。


日本文化の特質である季節感・繊細さ・移ろいは日本酒の中にもタップリと流れている。



 

2011-01-24 (Mon)

2011/01/24 日記 水仙

2011/01/24 日記 水仙

2011/1/24 (月) 旧暦: 12月21日    6時46分  16時59分  22時13分  9時05分  19.75  己卯 (きぼう,つちのとう)  友引  七赤金星  一粒万倍日今日の季語: 水仙 (高画質壁紙写真集 無料壁紙 より転載)『スイセン属(-ぞく、学名:Narcissus)は、ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の属のひとつ。この属にはラッパスイセンやニホンズイセンなど色や形の...

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2011/1/24 (月) 旧暦: 12月21日    6時46分  16時59分  22時13分  9時05分  19.75  己卯 (きぼう,つちのとう)  友引  七赤金星  一粒万倍日


今日の季語: 水仙


 



(高画質壁紙写真集 無料壁紙 より転載)


『スイセン属(-ぞく、学名:Narcissus)は、ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の属のひとつ。


この属にはラッパスイセンやニホンズイセンなど色や形の異なる種や品種が多くあるが、この属に含まれるものを総称してスイセンと呼んでいる。多年草で、冬から春にかけて白や黄の花を咲かせるものが多い。


狭義には学名Narcissus tazettaや、その変種であるニホンズイセン(Narcissus tazetta var. chinensis)をスイセンということも多い。しかし、本記事では特に明記しない限り「スイセン」をスイセン属の総称の意味で用いる。
 
 特徴
原産地は主にスペイン、ポルトガルを中心に地中海沿岸地域、アフリカ北部まで広がり、原種は30種類ほど知られている。また、園芸用に品種改良されたものが広く栽培されている。日本においては、ニホンズイセンが古くに中国を経由して渡来したといわれている。分布は、本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化し、群生が見られる。越前海岸の群落が有名であり、福井県の県花ともなっている。


有毒植物で毒成分はリコリン( lycorine )とシュウ酸カルシウム( calcium oxalate ) など。全草が有毒だが、鱗茎に特に毒成分が多い。スイセンの致死量は10gである。食中毒症状と接触性皮膚炎症状を起こす。葉がニラととてもよく似ており、ニラと間違えて食べ中毒症状を起こすという事件が時々報告・報道される。ニラとの大きな違いは次の通りである。


葉からの臭いが無い(ニラは葉からニラ独特の強い臭いを放つ)。
鱗茎(球根)がある(ニラは髭(ひげ)根で鱗茎は無い)。
中毒は初期に強い嘔吐があり摂取物の大半が吐き出されるため症状が重篤に到ることは稀であるが、鱗茎を浅葱と間違えて食べ死亡した例がある。
...』(Wikipedia)



水仙の俳句:


・うづ潮の風に花あげ野水仙 久保東海司


・しなやかに香りを浜の水仙花 いしだゆか


・越前の水仙風も香も強し 延川五十昭


・沖つ浪丈低く咲く野水仙 代田青鳥


・荒波を指揮するやうに野水仙 いしだゆか



野水仙は潮風の吹く浜が好きなようだ。
あまり強い風では香りを感じることは出来ない。
風に乗って香りが運ばれる、そんな浜辺が好きなのだろう。


その浜辺で水仙は咲き、俳人たちは水仙の香を楽しみ、水仙を詠んでいる。