旅行最終日の4日目の朝、目覚めると6時だった。カーテンをを少し開け外を覗くと、まだ暗い。沖縄の夜明けは遅い。大型バスがライトを受けながら、ホテルへの導入路を降りてくる。ライトに照らされた部分の路面が濡れて光っている。最終日も雨か。予定を変えなければならないかもしれないと思いながら、ベッドに戻った。日航那覇 グランドキャッスルの朝食はブッフェだ。洋食が中心だが、和食、沖縄のものも少しある。内容は平均的...
旅行最終日の4日目の朝、目覚めると6時だった。
カーテンをを少し開け外を覗くと、まだ暗い。
沖縄の夜明けは遅い。
大型バスがライトを受けながら、ホテルへの導入路を降りてくる。
ライトに照らされた部分の路面が濡れて光っている。
最終日も雨か。
予定を変えなければならないかもしれないと思いながら、ベッドに戻った。
日航那覇 グランドキャッスルの朝食はブッフェだ。
洋食が中心だが、和食、沖縄のものも少しある。
内容は平均的でオクマの内容とは差がある。値段もオクマの方が高いので、値段相応だ。
印象に残ったものを2つ。
自家製のパン。
真っ黒なテニスボールのように見える。イカスミのパン。
コクのある味だがクセも感じる。
ゴーヤーの漬物だが苦味は表面には出てこない。
まず甘味があり,次にコクのある旨みがある。中盤から次第に辛くなる。苦味がある所為か後口がサッパリしている。
炊きたてごはんに乗せて海苔で巻いて食べると美味しい。
売店で購入できると買いて有ったので行ってみたが、小さな紙パックのおみやげが1050円もする。美味しいが買わなかった。
チェックアウトの12時までホテルにとどまるか、予定通り玉陵に行くか迷っていたが、食事の時、窓の外を眺めていると、雨が少し弱くなり、空も心なし明るくなったような気がした。予定通り出掛けることとした。
2日目の夜、徒歩で歩いた道を走り、首里高校の先の交差点を右折,首里城の大駐車場に入る。
もう駐車場は満杯でキーを付けたまま出てくださいといわれる。係員が後で車を適宜入れ替えるらしい。
駐車場を出て、2日目の夜真っ暗でよく見えなかった金城の石畳の入り口真珠道(まだまみち)の前を通り、左折すると右側が首里高校、左側が玉陵(たまうどん)である。
以前入り口だったところを通りすぎると、広い参道が出来ていた。
雨の中、係員が石畳の清掃を行っていた。
玉陵は,世界遺産の中に入ったので、整備が進められている。
入り口には拝観料の窓口と資料館の建物がある。
資料館には琉球王朝尚氏の歴史と玉陵の詳細なデータが展示されている。
石灰岩の石組は長い年月を経て黒く変色している。
真ん中の墓室。
王の遺骸は5年ほど中央の墓室に置かれ、白骨化するのを待って洗骨された後,左の墓室に安置された。
『玉陵は、1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。
墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となっています。創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。墓域は2.442?。 沖縄戦で大きな被害を受けましたが、3年余りの歳月をかけ、修復工事が行われ、往時の姿を取り戻して今日に至っています。』(那覇市HP)
真ん中の墓室の右側の扉は新しく改修されたようだった。
雨が降り止まないので、泡盛工場、紅型染の見学は取りやめ、首里城に戻ることとした。
『園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)
『園比屋武御嶽石門は守礼門と首里城の正門にあたる歓会門の中間にあり、尚真・しょうしん(1477~1526年)によって1519年に創建されたことがわかっています。築造者は竹富島出身の西塘(にしとう)。国王が首里城を出て各地を巡る際に道中の安全を祈願した拝所です。また琉球王府の最高位の神女の聞得大君(きこえおおぎみ)が斎場御嶽で即位式をおこなう際にもここで祈願したと伝えられています。沖縄戦で大破しましたが見事に復元されています。今も祈願に訪れる人が後を絶たちません。首里城正殿へ行く途中にあります。』
首里城に来たときは毎回見ていた門だが、世界遺産に入るような門とは知らなかった。
首里城では花祭りが行われていて、葉なの植栽が多かった。
歓会門を少し登ったところ右側にある龍樋(りゅうひ)では数人に人たちが雨の中、シートを敷き、線香をたいて、宗教的な行事を行っていた。
『「龍樋(りゅうひ)」は、龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。また、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった「天使館(てんしかん)」という宿舎まで、毎日ここから水をはこんだといわれている。龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、約500年前のものである。』(首里城HP)
広福門(こうふくもん)前の庭からの眺望は首里城で最もお気に入りの場所だ。
以前に比べると、沖縄県立芸術大学、沖縄県立博物館の多きな建物が立ち視界が悪くなっている。
広福門前の花の植え込みが、雨にぬれて美しい。
雨の中多くの観光客が傘をさし、漏刻門に向かって登ってくる。
瑞泉門(ずいせんもん)の瑞泉とは「立派な、めでたい泉」という意味だそうで、泡盛の瑞泉もそれに因んでいるものだろう。
雨の中、門の両脇には一対の石獅子が、魔除けの仕事を果たすべく、那覇に市街を見渡していた。
観光客は次々に正殿に向かい登ってゆく。
写真は人が少ない時に撮っており、実際は途切れること無く連なっている。
首里城の駐車場を出て、ナビの教えてくれたトンネルを抜けて裏側の道を市内に向け降りているとき、雨脚は猛烈になった。スコールのようである。車に乗っていてからのスコールで幸運だった。
次の目的地は那覇新副都心、おもろまちである。
以前の天久米軍住宅地が一変し、ビルが立ち並ぶ新都心になった。
前回その変貌振りに驚かされたが、今回は沖縄のイメージを今の姿にアップデートするべく、おもろまちを歩いてみよう。