『光母子殺害、元少年に死刑判決 広島高裁差し戻し控訴審
2008年04月22日13時22分
山口県光市の母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、窃盗の罪に問われた元少年(27)に対する差し戻し控訴審で、広島高裁は22日、無期懲役とした一審・山口地裁判決を破棄し、死刑の判決を言い渡した。楢崎康英裁判長は「強姦と殺人の強固な意思のもとに何ら落ち度のない母子の生命と尊厳を踏みにじった犯行は、冷酷残虐で非人間的と言うほかない」と述べた。さらに「虚偽の弁解を展開して罪と向き合うことを放棄し、遺族を愚弄(ぐろう)する態度は反省とはほど遠く、死刑を回避するに足る特段の事情は認められない」と判断。一審の事実認定に誤りはないが、量刑は軽すぎると判断した。元少年側は上告した。
検察側は死刑を求め、弁護側は傷害致死罪の適用による有期刑を求めていた。
楢崎裁判長は主文の言い渡しを後回しにし、判決理由の朗読から始めた。まず、新弁護団がついた上告審の途中から、元少年側が殺意や強姦目的の否認を始めた経緯を検討。「当初の弁護人とは296回も接見しながら否認せず、起訴から6年半もたって新弁護団に真実を話し始めたというのはあまりにも不自然で到底納得できない」と述べ、「死刑を免れることを意図して虚偽の弁解を弄(ろう)しているというほかない」と新供述の信用性を否定した。
そのうえで、元少年側が「被害女性の首を両手で絞めて殺害した」との認定は遺体の鑑定と矛盾し、実際は右手の逆手で押さえつけて過って死亡させたものだとした主張を退け、「そのように首を絞めた場合、窒息死させるほど強い力で圧迫し続けるのは困難であり、遺体の所見とも整合しない」と判断。「殺意に基づいて両手で絞めたのは明白」とする検察側の主張を認めた。
また、被害女性に母を重ねて抱きついたとする元少年側の「母胎回帰説」を「被害女性を殺害して姦淫(かんいん)した犯行とあまりにもかけ離れている」と否定。「姦淫することで生き返らせようとした」との主張も「荒唐無稽(こうとうむけい)な発想」と一蹴(いっしゅう)し、「性欲を満たすため犯行に及んだと推認するのが合理的だ」と述べた。被害女児の首にひもを巻いて窒息死させたとの認定にも誤りはないとした。
さらに、元少年の成育歴が犯行に結びついたかどうかについて「幼少期からの父親の暴力や母親の自殺などの成育環境が人格形成や健全な精神の発達に影響を与えた面もあるが、死刑の選択を回避するに足る事情とまではいえない」と指摘。一方で、元少年側が差し戻し控訴審で「虚偽の弁解」を展開したことについて「更生の可能性を大きく減殺する事情といわなければならず、死刑回避のために酌量すべき事情を見いだす術(すべ)もなくなった」と結論づけた。 』(asahi.com)
判決は世論も納得できる内容であった。これが、無期懲役にでもなっていたら、世論と法曹界との溝が決定的になっただろう。
問題は弁護側が、上告したと報道されている点である。最高裁が差し戻した控訴審を何故上告する必要があるのか。
法曹界の理屈・論理では当然かも知れないが筆者のような法律に縁遠い一般人には理解できない。
判決で 『「姦淫することで生き返らせようとした」との主張も「荒唐無稽(こうとうむけい)な発想」と一蹴』と書かれているにもかかわらず、この弁護団は、上告して何を争うのか。そしてその費用は誰が負担するのか。
この弁護団の問題については橋本弁護士が一石を投じて社会問題になった様に、この裁判を別の目的に対する手段と考えている様に思える。
それは死刑廃止論なのか売名行為なのかその他なのか解らないが、常識から逸脱したところに法的詭弁を弄しても、世の中の理解は得られない事を知るべきである。
来年から裁判員制度が始まる。死刑の判決を下すべきかどうか考えなければならなくなる。
その場合死刑廃止論者の言うことが一つの理想だとすれば、社会はそのコストを負担しなければならないのだろうか。
人間の命はお金では換算できないのは確かだが、そう主張するのであれば、そのような貴重な命を奪った加害者の命だけが貴重で、殺された被害者の命は貴重ではないのか。
法律の世界では、経済のことは考えなくても良いらしいが、世の中では常に経済のことを考えなければならない。だとすれば、経済のことを考えない法律論は世の中から遊離している。
死刑に相当するような極悪非道な犯罪者を無期懲役・もしくは死刑廃止論者が導入を主張する終身刑になった場合、一生の生活を保障する施設費・生活費は一人当たりいくら掛かるのだろう。
法務省はそれを試算公表すべきである。コストの総額を前提にして施策を考えるのが世の中の常識であるのだが、なぜか法律の世界では世の中の常識が通用していない。
社会的コストはどこから出費するのかと言えば税金だろう。誰が負担するのかと言えば国民が負担することになる。まさか死刑廃止論者だけが負担してくれることはないだろう。
そんな税金の使い道より、老人医療、賃金も貰えないコンビニ・ファーストフード店の名目管理職対策に使用した方が納得できるはずだ。
理想を語るのは良いが、その実現にかかるコストを考えよう。巨額なコストの掛かる理想は世の中のためにならないのだから。
一ヶ月程前、昔の誘拐事件の報道番組を見た。1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件である。
犯人の小原のアリバイがかたく捜査は難航したが、刑事平塚八兵衛は、小原の生い立ちを知り、貧困といじめとに育った小原と彼を守った母の愛を知り、母の心から捜査最終日に小原を自供させることが出来た。
この裁判の経過も、以下の様である。
『1966年3月17日、東京地裁が死刑を言い渡すが、弁護側が計画性はなかったとして控訴。
同年9月から控訴審として計3回の公判を行うも、11月に東京高裁でも控訴が棄却される。弁護側が上告したが、最高裁は1967年10月13日に上告を棄却し死刑が確定する。4年後の1971年12月23日に死刑が執行された。享年38歳。
小原の処刑間際の言葉として、「今度、生まれてくるときは真人間に生まれてきますからと、どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残した事が知られている。この言葉は、当時、府中署の「3億円事件」の特捜本部にいた平塚八兵衛に、看守によって電話で伝えられた。』(Wikipedia)
死ぬ時に真人間になって死んでいきますと言ったとの説があるが、犯人小原が改心したのは確かである。
菜花亭さんもやりますネエ。
私も人に劣らず、自分のことを結構もの好きな人間と思っているんですが・・・ この記事には参りました。
>小容量で、ガラス瓶でないものの流通
コンビニなどで売ろうと思ったら、常温管理とともに、必須に近い条件かもしれないですね。
このパックなら割れないし、へこんでもアルミほど関係ないし、スペースの無駄なく梱包できるし。。。
流通にとっては、実に完璧な容器ですね。
ただ、このお酒を購入した方は、ほとんどストローで飲むわけで、実際ストローで飲んだほうが飲み応えも感じられるお酒でしたが、その辺は微妙な気分です。