沖縄本島、宮古島、石垣島の中では、最も美しいビーチと透き通った海を持つ宮古島がコロナの感染に襲われている。人口10万人あたりの患者数は、東京の3倍の水準になった。宮古島で唯一の基幹病院である県立宮古病院はコロナの患者への対応のために、一般診療をすべて止める非常措置をすることになった。医療崩壊の状態であると言える。以下の琉球新報の記事では、まだ学校は授業を続けることになっているが、最新の報道では28日か...
沖縄本島、宮古島、石垣島の中では、最も美しいビーチと透き通った海を持つ宮古島がコロナの感染に襲われている。
人口10万人あたりの患者数は、東京の3倍の水準になった。
宮古島で唯一の基幹病院である県立宮古病院はコロナの患者への対応のために、一般診療をすべて止める非常措置をすることになった。医療崩壊の状態であると言える。
以下の琉球新報の記事では、まだ学校は授業を続けることになっているが、最新の報道では28日から2月7日まで臨時休校にすることになった。
『宮古島の新規感染、沖縄全体の4割に 人口10万人あたり東京の3倍 公共施設閉鎖、来島自粛も
1/27(水) 5:04配信
琉球新報
宮古島市の現状を「極めて危機的」として市民に協力を呼び掛ける座喜味一幸市長=26日午後、宮古島市平良の宮古島市役所
沖縄県は26日、10歳未満から90代以上の男女84人が新たに新型コロナウイルスに感染したと発表した。そのうち宮古島市が34人(男性15人、女性19人)と4割以上を占めた。座喜味一幸市長は同日、市役所で会見し、公園や公共施設の閉鎖を発表した。市民の外出と島外渡航の自粛や観光客などの来島自粛も求め、「極めて危機的状況だ。法律上、ロックダウン(都市封鎖)はできないが、人の移動を制限する。市独自の緊急事態宣言と捉えて、命を守るために理解してほしい」と事実上の「封鎖」へ協力を強く訴えた。
同市の26日までの直近1週間の新規感染者数は84人で、人口10万人当たりで151・11人に達した。都道府県別で全国1位の東京都は25日までの直近1週間で56・03人で、東京の約3倍に上った。
宮古島市は「市民の外出制限を促す措置」として27日から市内の公園や図書館、公民館を閉鎖し、乳幼児検診や婦人検診を中止する。小中学校は原則、休校しないが部活動は停止。いずれも2月7日までだが、状況によって延長する。飲食店や宿泊施設、航空関係など人の移動につながる企業、団体にも「休業や減便などの協力を要請する」とした。
宮古島市では1月に入って市中感染に歯止めが掛からない状況が続いている。26日までに135人の感染が確認された。福祉施設での20人超が関係するクラスターや市内小中10校で児童・生徒の感染による学級閉鎖が起きている。
市唯一の感染症指定病院の県立宮古病院は連日、満床と病床拡大を続けており、26日からはコロナ対応の医師や看護師確保のため一般外来を中止した。
座喜味市長は感染拡大の背景について「飲食や会食、カラオケによる感染から家庭や職場、学校へと感染が広がっている」と指摘した。「宮古病院の危機を克服するため、家族や友人を守るために、外出はできるだけ控え、人との接触を減らしてほしい」と強調し、3密回避や手指消毒、マスク着用の徹底を呼び掛けた。
』
(琉球新報社)
宮古島は絶景ポイントが沢山あり、個人的には沖縄でも特に好きな島だ。
フェリーにレンタカーを載せて、渡島したころは特に良かった。
しかし、伊良部大橋が完成しフェリーは廃止され、車で橋を渡れば、すぐ伊良部島・下地島に行くことが出来るようになった。
橋ができると、次は美しい海岸に沿って、多くのリゾートホテルが建設されることになった。
その次は、下地空港が旅客機に開放されるようになった。
猛烈な勢いで変わっていく宮古島を見ていて、これで良いのかなと危惧を感じた。
宮古島の魅力は、本土とは全く違う離島感だった。
沖縄本島は開発が進み、街並みも店も本土に近づき、那覇では離島感はもう無いと言っても良い。南部や北部のリゾートホテルではリゾート感は感じることが出来るが離島感とは違う。
開発が進む工事現場を見ながら、危惧というか漠然とした不安を感じた。
お金を持って旅行客は来ることになるのだが、それが宮古島に暮らす人達にとって良いことなのだろうか。
昨年の7月の第1波の時は、東京からの来訪者からの感染が原因だったが、封じ込めに成功した。
今回は、それが出来なかった。
昔と違って、GOTO トラベルに乗っかって、レンタカーで橋を渡る旅行者、下地空港に飛行機で乗り込む旅行者が宮古島に押しかける。
これでは、感染が防御できるはずはない。
記事の内容ではわからないが、伊良部大橋の通行止・下地空港の閉鎖など抜本的な水際封じ込めを行わなければ、感染爆発は止められないと思う。
GOTOトラベルは、本島、本土の感染が収束するまで中止すべきだと思う。
美しい離島の穏やかな生活を、先ずは取り戻して欲しい。
戦争より前の歴史から見れば復帰という言葉は可笑しいでしょう。私たちは大和人でも日本人でもなく沖縄人であり琉球人です。なぜ歴史を隠すのか。勉強しないのか。