【原文】一日、濃州より来る自本と云遁世者、師を辞するに示曰、是は我が其方ゑの遺言也。必我に無後世を人に教ゑめさるヽな、只人には我信実を起して見するが好、総而化廻れば、先今生も住にくき物也。只一心不乱に念仏を用ひ、我に離程申さるべし。我に離ると云は、南無阿弥陀仏\/と死習て、死の隙を朋る事也。其方も、自本は秘蔵なるべし。永き事は入ぬ、只念仏を以て、自本を申し尽すべしと也。【要約】 ある日、濃州(...
【原文】
一日、濃州より来る自本と云遁世者、師を辞するに示曰、是は我が其方ゑの遺言也。必我に無後世を人に教ゑめさるヽな、只人には我信実を起して見するが好、総而化廻れば、先今生も住にくき物也。只一心不乱に念仏を用ひ、我に離程申さるべし。我に離ると云は、南無阿弥陀仏\/と死習て、死の隙を朋る事也。其方も、自本は秘蔵なるべし。永き事は入ぬ、只念仏を以て、自本を申し尽すべしと也。
【要約】
ある日、濃州(岐阜・美濃地方)より来ていた自本という世捨て人が去るにあたって老師が自本に教えて云われた。「是は、私のお前に対する遺言である。自分に無い後世を絶対に人に教えてはならない。只、人には真の自分の姿を見せるのが良い。大概、自分を実物以上に見せれば、此の世も住みにくくなるものである。只、一心不乱に念仏によって、自分を忘れる程唱えなさい。自分を忘れるというのは、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱え、死を修行して、死から自由になる事である。お前にとって、自本というものは特別なものだろう。遠い未来の事は必要ない、只、念仏を以て自本というものを唱え尽くしなさい。」と。
【註】
後世: 仏語。
1 死後の世界。あの世。来世。後生(ごしょう)。のちのよ。「―を弔う」→現世(げんせ) →前世(ぜんせ)
2 来世の安楽。「―を願う」
一心不乱(いっしん‐ふらん)
[名・形動]心を一つの事に集中して、他の事に気をとられないこと。また、そのさま。「―に祈る」「―に研究する」
【寸言・贅言】
正三は、修の人である。證は自ずからのものであり、求めてどうなるものではない。悟っていないのに悟ったように振る舞う偽物を嫌った。悟って無いのに悟りの世界の事を話したり、自分が知ってもいない悟りの境地のことを人に話す事を嫌った。
正三は教えを求める人に人を見て法を説いた。自本という美濃から来た修行者は心が現実から離れ此の世にないものに向かい勝ちなのを知っていて諭したものであろう。
遠い分からない世界の事に関心を持つ必要は無い、増してそれを人に説いてはいけない。只、ひたすら念仏を唱え自分と言うものから自由になるように教えた。問題は空想の世界ではなく、目の前の自分の足許の現実での一挙手一投足に集中する事が必要である事を説いた。證の為の修ではない、只の修である。
諺にいう「桃李不言下自成蹊」(桃李ものいはざれども、下おのづから蹊を成す)(司馬遷・「李将軍列伝」(史記))も同じ消息を伝えている。
この段は、正三らしい言葉で正三の仏法を説いているので、訳すのは避けた方がよいだろう。原文をそのまま何度も口に出して読み、正三の教えを心に感ずる方が良い。"