NHK 「世界遺産への招待状 62回
中国 少林寺 変わりゆく夢の舞台」を見た。

チャンネル :総合/デジタル総合
放送日 :2011年 1月15日(土)
放送時間 :午前9:25~午前9:55(30分)
再放送予定: 2011年 1月18日 NHK BS2 11:00~11:30
少林寺といえば映画「少林寺」で世界に知られている少林拳の聖地だ。
一方、仏教の世界では、達磨がインドから中国に渡来し、禅を広め弟子を育成した中国仏教の聖地でもある。
創建された5世紀以来連綿として伝統を守り続けてきた少林寺。これが一般的な少林寺の姿の理解である。
この番組は、伝統的な少林寺が、今、急速に変貌している状況とその変貌を推し進めている機関車である釈永信方丈に焦点を当てて報告している。
少林寺の変貌と中国の変貌が重なりあって、色々考えさせられる番組であった。
(以下、感想を書くが、番組の内容そのものではなく、番組で触れていないことも書いている事を予め述べておく。)
伝統的な少林寺は、2本の柱から成り立っている。
1本目は禅、2本目は武である。
禅の柱は、達磨大師以来の禅の本拠地である少林寺の大黒柱である。

現在でも、多くの僧侶が日夜厳しく心身を鍛え禅の修行を行なっている。

番組では、修行僧が11月、49日間にわたって禅堂にこもり修行だけに集中する「禅七」儀式を撮す。
禅七は、5世紀に建てられた少林寺が達磨大師が禅の教えを1500年を超えて守り続ける歴史にのっとった荘厳な儀式だ。
2本目の柱の武は、小林拳を中心とした武術である。

少林寺への関心は、小林拳を外しては成り立ち得ないほど少林寺の本質を形成している。
少林寺へは、現在毎年200万人を越える参拝客(観光客)が訪れるが、その関心の大部分は禅より武と想像される。
何故、禅寺に武術が必要なのかと素朴な疑問が起きるが、過去を振り返れば、寺が武力を持つことは一般的な事実であることを理解する必要がある。
その時代を支配する権力者から、寺が自らの存立を保つには武力を必要としたのは、中国だけの話ではなく、動乱期には日本の比叡山延暦寺は強大な僧兵を擁し、時の権力に対抗した。
権力者の意のままにされないために、自己の伝統を守るために武術は欠くべからざるものであった。
武の柱は、少林寺と実社会との関係の中で必要とされ建てられたものであった。
歴史的事実としても、少林寺の僧13人が棒術を使い、後の唐の太宗となった李世民を鄭軍に囚われていた洛陽から救出し、唐王朝が中国を統一することに大きな貢献を果たしたことからも武の柱の意味を理解できる。
番組は禅と武の少林寺が、今大きく変貌しつつあることを紹介する。
その変貌を、強力に推進しているのが少林寺30代住職釈永信法師である。彼はMBAの学位を持ち、袈裟を着たCEOと呼ばれるほど経済の面で華々しい活動を行なっている。
賛否両論の大きな渦を巻き起こしながら、彼が推し進める少林寺の変貌を理解するためには、歴史を振り返らなければならない。
1960年代後半から1970年代前半まで中国を席巻した文化大革命は、「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」というスローガンのもとに、破壊活動を行った。
文化大革命の嵐の中で、各地で殺戮が行われ、マルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。
扇動された盲目な紅衛兵達は旧思想・旧文化の破棄を叫びながら、伝統のある仏教寺院や歴史的文化財を破壊した。
少林寺も例外ではなく、破壊され、僧たちは寺院を追われ寂れた。
1976年毛沢東が死去し四人組が逮捕された。翌1977年鄧小平が復活し、文化大革命の破壊の嵐は収まった。
少林寺再建のために当時の住職であった行正方丈は、政府の宗教局、中国仏協会などを訪れては、寺の建物、文物等と入場料の管理を僧侶たちが行えるように訴え、復興の運動を行っていた。
1980年代に入ると少林寺復興への道筋が立ち始めた。
映画「少林寺」の世界的ヒットによる参拝客の増加と観光収入の増加である。
(映画を企画したのは日本に馴染みの深い寥承志だそうであるが、データに記載の「北京で太極拳」の記事に詳しい。)
嵩山少林寺は中国の改革開放政策に伴い、物販・観光・武術公演などの商業活動を活発に行い経済的基盤の確立に向けて走り始めた。
1988年から少林武術をショーとして公開し始め、世界各地で公演が催されるようになった。
1996年に公式ウェブサイトを開設。
1998年には少林寺実業発展有限公司を設立。茶などの通販を行う一方で、「少林」「少林寺」など関連する多くの商標を登録し、企業活動を体系化し始めた。
この商業化路線の中心人物が釈永信法師である。

(日中経済協会上海事務所 より転載)
1980年代行正方丈の付き人であった彼は、行正方丈の後を継ぎ少林寺の復興のために商業路線をひたすら走り、1999年には弱冠34歳で少林寺第30代住職に就任した。
番組で紹介されたように、現在の少林寺では毎夜少林寺ではショーが開催されている。

観光客たちは少林寺のショーを楽しんでいる画面が映され、また見に来たいとインタビューに答えている。
商業化路線による経済的成功を成し遂げつつある少林寺は、禅と武に続く3本目の柱を建てようとしている。
3本目の柱は医である。
既に、少林寺の境内では少林寺ブランドの医薬品が販売されている。

参拝客は、販売担当の若い僧侶から人気のシップ薬を購入している光景が映される。
番組は、少林寺が寺域に近い煉瓦工場の広大な跡地を入手したことを紹介する。
担当の副住職が、熱を込めて語る。
この場所には、養生のための一大施設を作る。ここで多くの人に、少林寺の薬と医が提供されることになる。」
今の少林寺は、医の柱を建てるべく驀進している。
昨年12月、釈永信方丈はインタビューに次のように語っている。
『「少林寺の価値を体現してほしい 商業化は止めない」 =釈永信住職=
2010/12/2408:32
少林寺の釈永信住職は元の名を劉応成という。法名は永信。1965年の生まれで、皖頴上人と号し、少林寺第30代住職、中国仏教協会副会長、河南省仏教協会会長を務め、中国で初めてMBAの学位を取得した僧侶でもある。
仏教の聖地である河南登封城西少室山の少林寺は、多くの参拝者と観光客を引きつけている。釈永信住職の1日は明け方4時に起床することから始まる。その後、禅堂で朝課を行い、忙しい1日が始まる。いったん寺院や山門外に現れるや、大勢の観光客や参拝客に取り囲まれる。
中国でこのような「待遇」を受けるのは、釈永信住職が初めて。少林寺第30代目の責任者として、いろんなうわさ話にも恬淡として受け流し、「少林寺の足どりを止めることはない。少林寺のこれからの1500年のために、私は前だけを見ている」と語る。
釈永信住職は、「少林寺は大乗仏教の道場であり、俗世間社会から離れられない。出家人は完全に世の中から隔絶することはできない。今日、寺院の生きる環境は変わってきている。僧侶の生き方も変わらなければならない」と教え、「消極的に俗世間から逃避することは仏教の本来の教えではなく、積極的に世間に関わってこそ、衆生をよりよく理解することができる。彼らの思うところ、求めるところを理解してこそ、衆生をあまねく済度する目的を達成する」と説く。
1990年になって、釈永信住職は僧侶たちを伴って外国を訪問し、2000年頃から少林功夫を主として実演した。それ以降は少林功夫を海外に伝えると同時に禅宗文化の活動に参加している。
釈永信住職は、仏教の発揚、僧侶たちの修行、人心の浄化のために自信を持って尽している。派手に立ち回って人気をとるためではなく、さらにいえば他人の好奇心を満たすためでもない。善悪功罪は後人の評価に委ねる。「1500年余り続く少林寺は、いかなる僧侶、よしんば住持、住職であれ、少林寺の発展の過程において他人を成功に導く捨石でしかない」。
多くの人々が少林寺の商業化に疑問を持ち、「少林寺はもう仏門清浄の地ではなく、商業化が徹底的に少林寺を破壊した」という人がいる。これについて、釈永信住職ははっきりと逆の見方を示す。
釈永信住職は、「商業開発は少林寺自体をあからさまにして商業運営しているわけではない。開発しているのは少林文化から抽出したものである。こうした商業形式でもって表わされる活動が正しいか、間違っているかのキーポイントは、寺院の発展と仏法の発揚に役立っているかどうかだけを見ている」と語る。
釈永信住職は、「この数年、少林文化の商業開発は多くの関心を集めている。少林医薬局の経営、精進料理の開設、"功夫之星"の開催や撮影は、すべて仏教徒の信仰から出発したものであり、仏教文化を心から愛する人たちのために奉仕するものである。こうした商業活動を行うのは、仏法の発揚のためであるが、より重要なことは世界の人々が聞いて喜び、見て楽しみ、自らの意志で参加しているという点だ」と指摘する。
そして釈永信住職は最後に、「少林寺の文化は全国的なもの、世界的なものである。誰もが少林文化に参加して、その中から教えを学ぶことができる。これこそがまさしく中国の少林寺、世界の少林寺の価値を示すものだ」と締めくくった。(翻訳:SS)』(InsightCHINA より転載)
【感想】
折しも1月13日、北京でジャッキーチェンがプロデュースする新作映画「新少林寺」のプレミア上映が行われた。いずれ日本でも公開され、大ヒットするかもしれない。
商業はヒットするかもしれないし失敗するかもしれないものだ。
リスクを取らなければ成功はないことも確かだが、少林寺の商業路線が今後も成功するかどうかは判らない。それは歴史が証明するだけだ。
事業の展開は本業の近いところに展開するというのが鉄則だ。この鉄則かられていない3本目の医の柱に沿って、医薬・養生・健康法のサービスが提供されれば成功しそうな気がする。
西洋医学は病気になってからの事後処理が中心だ。東洋医学の予防・養生に宗教的ケアが加われば、世界的にニーズは無限にある。
釈英信の少林寺の変貌を見ると改革開放後の中国の変貌と重なって見える。
今の中国は、資源のためには他国の領海も無視し、利益のためには著作権も無視し、公害を垂れ流す強欲国家である。強欲中華思想に囚われた政府に世界は警戒し始めている。
少林寺が、僧侶が仏道を修行するための聖地少林寺の復興・基盤の確立を目指すものであれば世界はそれを望むだろう。
だが、少林寺文化を世界に押し付けるものであれば、それは宗教的強欲と理解されるだろう。
これからも少林寺は危うさを見せながら変貌していくだろう。
後年振り返ってみたとき、尊敬できる少林寺の姿を保っていることを望みたい。
【釈永信法師のデータ】
『少林寺CEO 釈永信
映画やカンフーでお馴染みの、あの少林寺の頂点に立つ現役住職であり、なんとまあMBAを持つ、現代的なビジネスセンスに長けたお坊さんです。。そしてまた少林寺の会社組織(下記)のボスでございます。。この会社で「少林寺」での観光ビジネス、「少林寺」ブランドの商標無断使用への対処、許諾‥「少林寺」ブランド管理、、「少林寺」ブランド商品発売、、「少林寺」海外公演の運営等々を行っているようで‥‥★年商20億円★とも言われています。。★禅宗レジャーゾーン★を計画中(笑)。海外をも飛び回っておられます。無論北京五輪も‥むふふ?
■17歳のころ‥「少林寺」出家
■34歳‥第30代住職に就任
■少林寺実業発展有限公司(会社)のCEO(最高経営責任者)
■全人代代表も務める
●ネットの記事によると‥
今や少林寺の日常にはパソコンや携帯電話、インターネット、映画、衛生放送、自家用四輪駆動車、ブログ、オンラインゲーム、チャットが欠かせない。ある僧侶の部屋からは映画『イニシャルD』に主演した人気歌手周杰倫(ジェイ・チョウ)のCDが流れて来るとか(笑)
釈永信 語録
「少林寺も企業の理念を持たなければならない」
「この5年間で中国は大きく発展し変化してきた。これに伴い少林寺も変わっていく。少林寺は中国発展の縮図だ」』(関心空間)
釈永信が少林寺を変貌させている背景について、彼自身が語っていることが以下に書かれている。
「北京で太極拳」
http://takeichi3.exblog.jp/15288842/