宮古島の千代泉酒造の蔵元が2013年に急逝された。 その後、醸造再開の報を聞かないまま歳月が経過した。 後継者は見つかったのだろうかあるいは新しい資本が経営を引き受けたのだろうかと思ってきた。 3月末に千代泉の古酒を、クラウドファウンディングの方法で、販売を行うとの報道が行われた。 この形での支援が軌道に乗れば、千代泉ブランドの復活も実現する期待を持った...
宮古島の千代泉酒造の蔵元が2013年に急逝された。
その後、醸造再開の報を聞かないまま歳月が経過した。
後継者は見つかったのだろうかあるいは新しい資本が経営を引き受けたのだろうかと思ってきた。
3月末に千代泉の古酒を、クラウドファウンディングの方法で、販売を行うとの報道が行われた。
この形での支援が軌道に乗れば、千代泉ブランドの復活も実現する期待を持ったが、7日の日の報道では千代泉酒造の正式廃業が決まったとのことだ。
規模の小さい酒造所でも、個性的な味わいがあり、地酒として地域の人から愛飲されていれば、泡盛の愛飲家は全国にいるから存続することは可能だと思うのだが。
47酒造所しか無い泡盛の蔵が、これで46に減ってしまった。
残念なことだ。
個人的な思い出だが、2013年5月に宮古島の酒造所巡りを行っていた。
5月30日は琉球王朝の多良川酒造に行き、その後ニコニコ太郎の池間酒造に寄り、「すむばり」で昼食の後、近く狩俣の千代泉酒造に行った。
現在の幹線道路から旧市街地の狩俣地区に入る所に、石積みの門があった。
東の大門(あーぬふじぁー)と言う名前の由緒ある門だ。
細い道を少し行くと、千代泉の看板があった。
駐車場には車が停まっている。
酒造所は閉まっており、人影がない。
建物の周りを歩いてみたが、蔵は動いていないようだ。
通りを挟んで反対側の家に行き、千代泉酒造さんの事務所はどこか尋ねてみることにした。
声を掛けると、喪服のような黒いワンピースの女性が出てこられた。
千代泉酒造さんの事務所に行きたいと話をすると、驚くべき返事が帰ってきた。
蔵元さんが亡くなられ、今日はその葬式で、千代泉酒造の見学はできないとの話だった。
知らないこととは言え、お取り込み中の失礼をお詫びして、ほうほうの体で退散した。
そんなことから、その後も後継者が再開されることを待ち望んでいたのだが、不可能になってしまった。
『宮古島の「千代泉」復活へ 泡盛倉庫、残った原酒買い取る 価値高め今夏にも販売
2018年3月24日11:45
「千代泉」復活の取り組みを進める(左から)中野貴也さん、屋良景美さん、濱中大輔さん、比嘉智明さん、比嘉康二さん=23日、那覇市久米の泡盛倉庫
宮古島北部・狩俣集落の酒造所でかつて造られていた泡盛「千代泉」を復活させる取り組みが進んでいる。泡盛専門バーの泡盛倉庫(那覇市、比嘉康二店長)らが宮古島の酒蔵で眠っていた原酒を全て買い取った。付加価値を高めて販売する計画で、早ければ今年7月にも第1弾商品が出る予定だ。メンバーは「千代泉最後の酒。多くの人に泡盛の魅力を知ってもらう契機としたい」と意気込んでいる。
企画しているのは比嘉店長のほか、中小企業の経営を支援する比嘉智明さん、屋良景美さんと、酒類問屋に勤める濱中大輔さん、マーケティングを専門とする中野貴也さんでつくるグループだ。酒蔵に残っていた原酒約1万8千リットルの引き取り先が課題となっていることを聞き、事業を思い立った。メンバーが持つノウハウを結集して、事業化する。
金融機関の融資やクラウドファンディングで計約3千万円を調達し原酒の買い取りや商品、プロモーションに充てる。3~5年程度かけて酒を販売していく。
比嘉店長は泡盛を水割りにして飲むだけでなく生のまま、ちぶぐゎー(小さなおちょこ)でじっくり楽しむ飲み方の提案を狙う。「泡盛は100年以上にわたって寝かせることができ、代々大切に飲まれてきた。千代泉の貴重性を生かした泡盛の飲み方を提案したい」と話した。
メンバーによると原酒はタンクに貯蔵され、2013年以降手を付けられていないといい、古酒化が進んでいると見られる。一方、いつから貯蔵しているかなどの記録が残っておらず古酒としての販売は難しいという。中小企業診断士の比嘉智明氏は「狩俣は文化財が多く存在する歴史ある地域だ。そういった地域性を織り込みながらブランディングしていく」と意気込む。
今回の取り組みで培ったノウハウを活用し、将来的には商品開発力やマーケティング力が相対的に弱い小規模酒造所を支援していくことも検討し、泡盛業界全体の活性化にもつなげたい考えだ。』
(琉球新報社)
『泡盛「千代泉」が廃業 県内酒造所で復帰後初 宮古島市、1948年創業
4/7(土) 6:34配信
千代泉酒造所のラベル
沖縄県宮古島市平良狩俣の琉球泡盛酒蔵所・千代泉酒造所が3月末で廃業したことが6日、分かった。県酒造組合によると、県内の泡盛酒造所の廃業は1972年の日本復帰以降では初めて。千代泉酒造所は2013年に経営者が亡くなって以降、後継者が見つからず休業状態だった。泡盛出荷量の減少が続く中、小規模酒造所を中心に事業承継の難しさが課題として浮かび上がった。
県酒造組合や相続財産管理人となった弁護士によると、千代泉酒造所は13年以降、酒の製造を停止した。親族や島内の酒造所で引き継ぎ先を検討したが見つからなかったという。
今年に入ってタンクに残っていた在庫の引取先が見つかって清算を終え、3月末で廃業した。
県酒造組合も17年度で退会扱いとした。
県酒造組合の土屋信賢専務理事は「後継ぎがおらず、廃業は残念だがやむを得ない」と述べた。「県内酒造所の半数近くが離島にあり、従業員が数人しかいない小規模な酒造所も複数ある。後継者不足が課題と認識しており、組合としても人材育成を支援していきたい」と話した。
酒造組合によると千代泉酒造所は1948年創業。「千代泉」の銘柄が地元住民を中心に親しまれていた。
』(琉球新報社)
【データ】
以下、千代泉酒造所のデータを泡盛百科から転載しておく。
いずれ、見ることができなくなる前に。
『千代泉酒造所 チヨイズミシュゾウジョ(宮古地区)
酒造所名: 千代泉酒造所
住所: 沖縄県宮古島市平良字狩俣1572
電話: 0980-72-5115
FAX: 0980-72-5164
創業年: 1948年
施設見学: 不可
施設: 製造工場、試飲コーナ
お取り寄せ: 不可
酒造所の理念
宮古島先端に位置し、祖神祭(ウヤガン)や豊年祭など古来の伝統祭祀が今も行われている歴史ある狩俣の地で、先代より受け継いだ泡盛の製法を守り、消費者にいつも変わらない安定した品質の泡盛が提供できるよう心掛けています。
酒造所のこだわり
戦後間もなく7人の共同事業として泡盛製造を始め、1948年に初代渡口徹夫氏個人の事業となりました。仕込み水と割り水に隆起サンゴ礁からなる宮古島の琉球石灰岩の地層から染み出した硬水を使用しているため、やわらかい甘さとコク、すっきりとしたキレのある飲み口に加え、素朴な手作り感のある酒質が特徴です。酒造りに勤しむ父親のそばに付いて見様見真似で覚えた製法を守り、ただ懸命に酒造りを続けてきた2代目当主渡口清司氏の醸す泡盛は「懐かしい味わいの酒」「狩俣の酒」と親しまれ、ほとんどが島内で消費されています。近年、蔵を慕って来た県外の若者を受け入れ、伝統の製法を受け継ぐ世代を育てています。
主要な銘柄
千代泉
終戦直後、千代に平和を願うという思いをこめて名づけました
』