行方不明になっていた2歳の男の子が発見された。 発見したのは大分からボランティアで捜索に参加していた尾畠春夫氏。 この人のインタビューのニュースを見て感じたこと。 話の内容もさることながら、画面に書かれている(78歳)の文字と画面の人物との乖離だった。 話しっぷりや表情や外見は78歳と不釣り合いで、60歳前後に見える。 話の内容も...
行方不明になっていた2歳の男の子が発見された。
発見したのは大分からボランティアで捜索に参加していた尾畠春夫氏。
この人のインタビューのニュースを見て感じたこと。
話の内容もさることながら、画面に書かれている(78歳)の文字と画面の人物との乖離だった。
話しっぷりや表情や外見は78歳と不釣り合いで、60歳前後に見える。
話の内容も、どうして発見できたのか理解ができる。
子供は下には行かず上に行くという過去の経験から、不明になった地点から上を捜索した。
大声で名前を呼びかけながら探すこと、僅か20分で発見したそうだ。
話の途中、発見したときの嬉しさを思い出して、涙を拭っている。
感情豊かな人だ。
後で、ネットで記事を探してみると、立派な過去を持つ人であることがわかり、成る程と得心できた。
『「罰を受けても直に家族にお渡ししたかった」行方不明2歳児を発見した尾畠春夫さんが会見
座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答えた。
山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子を発見した捜索ボランティアの男性が15日午後、報道陣の取材に応じた。
発見したのは、大分県の尾畠春夫さん(78)。「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と、全国各地で車中泊しながら、ボランティア活動を行ってきたという。
今回も広島県でのボランティアを終え、一時帰宅していたが、報道を見て昨日午後に現地入りし、捜索に当たっていた。「大分の佐伯で2歳の女の子を探した経験から、下るということはないと思っていた。不思議なもんで、子どもっていうのは、上に上がるのが好きみたい」と話し、今朝は家族から行方不明になった場所を聞いて、「絶対この上にいるなと確信した」という。
そして尾畠さんが理稀ちゃんの名前を叫びながら、曽祖父の家の北側にある山を700メートルほど登っていたとき、「おいちゃん、ここ!」という返事が聞こえ、沢の苔むした岩の上に座っている理稀ちゃんを見つけたという。
「一瞬、心臓が止まりそうな感じがした。近づいて、"頑張ったね"と言って、飴の袋を取り出したら、袋ごと取って手を突っ込んで開けようとした。自分では破れなかったから、開けて渡してあげたら口に入れて、途端にガリガリと噛んだ。この声の出し方、飴玉を袋ごと取って口に入れる様子を見て、これは大丈夫だなと思った」。
家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していたという尾畠さん。「口約束も契約。警察が"渡してください"と来たけど、"イヤです"と言った。言うたことは守る。なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない。理稀ちゃんの顔を見せたときは、お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」と振り返り、「人の命って重いから、何かお手伝いさせてもらえいたいなと思って参加した。尊い命が助かってよかった。"おいちゃん、ここ"と言った時は嬉しかった」と涙を浮かべていた。
記者に座右の銘を尋ねられた尾畠さんは「朝は必ず来るよ」と答え、理稀ちゃんには「人の痛み、悲しみのわかる人間になってくれたら」と話していた。』
(HUFFPOST
https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/yamaguchi-20180815_a_23502456/?utm_hp_ref=yahoo
より転載)
『捜索ボランティアの尾畠春夫さんは「師匠」と呼ばれていた。行方不明だった2歳男児を発見
8/15(水) 13:58配信
ハフポスト日本版
周防大島
山口県周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男児が15日、無事に保護された。山中で男児を発見したのは、ボランティアで捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった。
報道各社のインタビューに応じた尾畠さんは、「小さな命が助かったと思った。本当にうれしかった。助かってよかった、助かってよかった。ただそれだけ」と語った。そして、2016年末に大分県で行方不明になった女児の捜索ボランティアにも参加しその時の経験が今回の捜索で生かされたことも明らかにした。
ボランティアで由布岳の登山道の整備
大分県別府市で鮮魚店を営んでいた尾畠さん。40歳で登山を始め、58歳で北アルプス55山を単独縦走した。
尾畠さんはその頃から、ボランティアで由布岳の登山道の整備を始めている。月に7~8回、30~40キロの材料を担いで登り、崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置したりしたという。
徒歩で日本列島を縦断
66歳で尾畠さんは鮮魚店を引退し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出た。
2006年の4月1日に出発、7月1日に全行程3250キロを歩き、尾畠さんは無事ゴールを遂げている。毎日、朝夕に孫の声を電話で聞くことを励みにしていたという。
このチャレンジについて、尾畠さんは朝日新聞の取材に「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、体力がどのくらい持つのか、動機は単純じゃ」と語っている。
ゴール後、同級生たちに祝福された尾畠さんは「目標を持ってやれば、出来るものだ」と笑顔だった。(朝日新聞2006年07月09日)
東日本大震災・南三陸町でボランティアの「師匠」と呼ばれる
2011年の東日本大震災では、3月から宮城県南三陸町でボランティアとして活動していた。町から依頼され、被災地で、人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。
軽自動車で3日かけて被災地へ。日本列島縦断の旅で、テントを干していた南三陸町で親切にされた人を訪ねたことがきっかけとなったという。
2004年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動に参加していた尾畠さん、若いボランティアからは「師匠」と呼ばれていたという。その後も大分と車で往復しながら計500日間支援に当たったという。(朝日新聞2011年04月27日)
熊本地震でもボランティアに参加
熊本地震では、熊本県益城町でボランティア活動をしていた。既にこの時には「ボランティア歴25年」になっていた。
町が設置したボランティアセンターに「スコップやヘルメットがもっと必要」などと用具などについて助言。職員が「私たちにも初めての経験。言われて気付いたことがたくさんあって助かります」と話していたことが報じられている。(朝日新聞2016年04月25日)
夢は100歳での祖母山登頂
尾畠さんは、夢は「100歳での祖母山登頂」だと答えている。ボランティアは「体力の続く限り続けたい」という。(朝日新聞2010年12月24日)
ハフポスト編集部』
(ハフポスト編集部
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00010003-huffpost-soci
より転載)
日本にも、この様に日々、陰徳を積んで真っ直ぐ生きている人がいることがわかり、気分が晴れ晴れとした。
レスリング部の陰湿な監督、アメリカンフットボール部の非常識な権力亡者とその大学の理事長、ボクシング連盟の暴力団会長、裏口入学を認めない文部官僚TOPなどなど
日本の組織のリーダーの呆れるほどの低レベル。
非常識とか我儘とか権力欲とか亡者とかを超えて、壁の向側の人たちだ。
戦後日本の民主主義の悪い面が相当に日本を蝕んでいることへの危惧と不安ばかりだった。
そのような閉塞感の中、尾畠春夫氏が登場してくれた。
ありがたいことだ。
生き仏様のようだ。
報道も悪い人だけ報道するのではなく、世の中のために私利私欲を超えて奮闘している人を、世の中に知らしめて欲しい。
しぼりたてのお酒はどれも美味しかったですね♪
今日持ってったお酒はコチラ↓です。
http://www.choseimai.co.jp/news.htm" rel="nofollow" target=_blank>http://www.choseimai.co.jp/news.htm
一応画像添付しときます。
【 箱 】
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【 瓶 】
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【 ラベル 】
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